第40話 「今度は私が……」

 十分に海を楽しみ、皆が帰る準備を始めたのは三時過ぎだった。

 その頃にはビーチの雰囲気にのぼせたのか、逆に表情に疲労が滲んでいた。


 着替えを済ませ、駐車場に向かう。

 普段通りの服に着替えた美也を見ると、「ああ、終わったんだな」と一抹の寂しさのようなものを覚える。



「樋渡さんは、今度の花火大会誰と行くんだ?」

「私ですか? 私は自分の家から花火を見てますよ。人混みが苦手なので」

「あらそう」

「逆にお兄さんは、やっぱり美也さんと行くんですか?」

「そうなる予定だ」

「二人っきりで?」

「それはどうだろうな。別に祐奈や星くんと一緒でもいいけど?」

「私は……新一と二人で回るから。兄も美也ちゃんと二人で回ってくれば?」

「そうですよ。あそこ人混み凄いですし。あんまり固まらない方が動きやすいですよ」

「確かにそうかもな」


 花火大会は小学生の頃、家族で行ったのが最後だ。

 四人のうち二人が子供でも、気を抜くとすぐ人混みに紛れてはぐれてしまいそうになったのだ。

 

「それでいいか? 美也」

「……(こくり)」


 美也は問題ないと頷く。


「じゃあ、二人で行こうか」


 車へとたどりつく。


「誘ってくれてありがとう、祐奈ちゃん。それと、兄さんも。今日は楽しかったです」

「うん。また遊ぼうね、祈ちゃん」

「俺も楽しかったよ」

「美也さんも。今日はありがとうございました」

「……っ!」


 自分まで礼を言われるとは思わず、美也は面食らう。

 ぎこちなく頭を下げた。

  

 樋渡さんは祐奈と俺たちに手を振りながら、自転車に乗り込み、去っていく。

 

 俺たちも車に乗り込み、帰路に着く。

 さすがに祐奈も星くんも、そして美也も疲れたのか、車の中でうとうとしていた。


 俺も眠気を噛み殺しながら、運転を続ける。

 家までの道が随分と長く感じた。



 ♢


 星くんとも別れた後、祐奈と美也と共に家に上がる。

 祐奈は眠気が限界値を突破したのか、「おやすみぃ、兄」と部屋にふらふらと戻っていった。

 

「俺もちょっと疲れたな」

「……」


 俺はベッドに腰かけると、すぐに隣に美也も座る。

 時計を見ると、まだ夕食まで二時間近く残っていた。


 何をするにしても、中途半端な時間である。

 どうしようか、と考えていると、太ももにすとんと重みのあるものがのっかる。


「……美也?」

「……んにゃ」


 美也が俺の膝に頭を乗せていた。

 体を丸め、いつもの眠る姿勢に入っている。



 俺の太ももに、頬をこすり合わせていた。


「そのまま寝てもいいんだぞ?」


 美也の頭をそっと撫でる。

 

「……んへへ」


 美也は目を閉じたまま、嬉しそうに顔をふやけさせた。

 これも水着姿のままだったら恥ずかしがっていたんだろうな、と思ってしまう。


 何度触っても、美也の髪は絹のような触り心地が返ってくる。

 撫でているこっちが癒されるようだった。

 俺はほとんど無意識に美也の頭を撫で続ける。


 しばらく手を止めると、美也は寂しそうに「んぅ」と声を上げるものだから、手を動かし続けるほかなかった。


「……すぅ」


 時間の概念が曖昧なりつつある中、美也の静かな寝息だけが聞こえてくる。

 息が太ももに当たって、少しだけくすぐったかった。

 

 気づけば、部屋には夕日が差し込んでいる。

 深く息を吐き、俺は目を閉じる。


 眠気が襲ってくる。手が止まっていた。

 睡魔に身を任せるように、俺は眠りに落ちていった。


 ♢


 眠っていたと気づいたのは、起きて外が暗くなっているのを確認してからだった。 


「あれ?」


 いつの間にか、俺は仰向けの体勢になっており、美也の姿はどこにもなかった。

 頭も枕元に乗せられており、誰かが俺を移動させたとしか思えなかった。


 まさか、美也が?


「もう夕食の時間だな」

 

 むくりと起き上がる。

 時計の針は六時を回っている。

 しかし、夕食の時間になってもだれも呼びに来ていない。

 

 珍しいこともあるものだ、と思いながら階段を降り、ダイニングに向かう。

 

「やっと起きたか、秀斗」


 例の如く、ヤクザファッションの父さんが食卓で新聞紙を広げていた。

 祐奈も既に食卓に着いていた。


「父さん、美也は?」

「美也さんなら、キッチンで母さんと一緒にいるぞ」

「え? キッチン?」


 キッチンの方に目をやる。


「ほら、美也さん。次は玉ねぎを切ってみて」

「……(こくり)」

「で、その次はニンジンね。切り方はさっきいった通りよ」

「……うぅ」

「あら、タマネギが目に染みちゃった?」


 調理している母さんに並んで、美也がキッチンに立っていた。


「何で美也が料理を?」

「どうも美也さんから料理を手伝いだしたみたいでな」

「美也の方から? なんで?」


 父さんは「さあな」と肩をすくめる。

 代わりに答えたのは祐奈だった。


「他人の家にお世話になっているのに、何もしないっていうのが居心地悪かったんじゃない?」

「そんな気にすることか?」


 俺からすれば「何を今更」、としか言えないタイミングだ。

 

「まあよかったじゃないか、美也さんがつくってくれるんなら。お前、料理下手だろう?」

「父さんの子だからね」


 父さんもまた、筋金入りの料理下手であった。

 他の家事は一通りこなせるものの、料理に関しては母さんに一任している。


 ちなみにだが、祐奈も料理は下手だった。


「でも美也だって、料理が上手いわけじゃないんだから。多分俺と同じくらい」

「それはお前の教え方が悪いからだろう。お前が教えてお前より上手くなるわけがない」

「確かに」


 節穴だった。


「でも、何で今になって料理なんて……お前何か知ってるか?」

「ん? なんで私に聞くの?」

「お前昼間に美也と話してただろ? 心当たりはあるのか?」

「……まあ、あるにはあるけどさ」

「何?」

「教えな~い」

「んだと?」

 

 額に青筋を立てる。


「兄、普段は鋭いくせに、こういう時だけ鈍いよね。女心わかってないんだから」

「今回ばかりは察しようもないだろ」

「強いてヒントいうなら……」

「いうなら?」

「兄って、美也ちゃんと対等な関係って言いきれる?」



 ♢



「美也ちゃんって、兄と対等な関係って言いきれる?」

「……?」


 時刻は昼過ぎに戻る。

 祐奈と星は、美也と秀斗の仲を進展させるため、花火大会に向け作戦会議を開いていた。


「秀斗さんのことだから、甲斐甲斐しく面倒見そうですよね」

「そうね。でも、それがダメなのよ」


 美也と星が首を傾げた。


ってことならまだ理解できるけど、兄はまだ面倒見るとか、世話をするって感じで接してるように見えるから」

「確かにまだそんな感じですね」


 美也が障がいを抱えている以上仕方のない話ではあるが、どうしても美也は「社会的弱者」と見られがちだ。

 つまり悪い言い方をすれば、美也は社会的に下に見られる立場なのだ。


 秀斗でもその印象は拭いきれておらず、「自分がしっかりしないと」と気負っているところがあった。


「それが兄のいいところでもあり、悪いところでもあるのよね」


 秀斗が美也と関係を進めることを渋っているのは、そもそも二人が同じ土俵に立っていないという背景もあるのかもしれない。


「だから美也ちゃんが兄ともっと深い仲になるには、まず下準備から整えないと」

「……?」

「下準備っていうと?」

「対等な立場になるってことよ。今まで兄がやってたことを、代わりに美也ちゃんがやってあげるとか。そしたら、兄の美也ちゃんを見る目も変わるんじゃない?」


 


  

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