第38話 「手、離さないで……」
※美也の主人公に対する好感度(みたいなもの)を知りたい人は、あとがきをご覧ください。あくまでヒントですけど。
♢
美也と一緒に波打ち際まで近寄る。
祐奈たちは祐奈たちで別行動をとるらしい。同級生同士で一緒の方がいいだろう。
それに、人が三人以上集まると喋れない美也がどうしても浮いてしまう。そのことを察してくれたのもあるかもしれない。
足元まで海に浸かると、冷たい水と濡れた砂の感触が伝わってくる。
プールでは味わえない、自然と一体となる高揚感と解放感を覚える。
「ほら、美也も海に浸かってみなよ」
「……」
美也は深刻な顔のまま、波打ち際で立ち止まっていた。
「どうした?」
「……」
まるで地雷原に一歩踏み出すかのような足取りで、ゆっくりとくるぶしまで海水に浸かる。
「……っ」
初めて浸かる海水の感触に、しばらく美也はボーっとする。
すぐに波が去っていく。
「……っ! ひゃぁ⁉」
「……え?」
美也が小さく悲鳴を上げ、俺にしがみついて来る。
しがみつくというより、完全に抱きつくような体勢だった。
体を震わせ、頭を俺の胸元にぐりぐりと押し付けてくる。
「ちょ、ちょっと。そんなにくっつくなよ」
布一枚しか隔てていない格好で抱き着かれるのは、さすがにマズい。
親愛の印として密着されることもしばしばあったが、それにしたってこの状況はマズすぎる。
何も介さず、美也の体温、美也の素肌の感触が直接伝わってくる。
頭がくらくらしてきた。
「と、とりあえず、膝元まで浸かってみなよ。手、握ってるから」
平静を装って美也の手を握り、波の方へ向かう。
手を握っているだけでも、心臓の鼓動は収まらない。
俺は一体どうなってしまうんだ、と不安さえよぎる。
「うぅ……」
美也は目を潤ませながら、俺の手首をがっしりと握る。
腰が完全に引けていた。
「大丈夫、波に攫われたりしないよ」
俺も昔海が怖かったことがあったな、と懐かしむ。
足を取られる感覚に恐怖を覚えたものだ。
広大な自然に恐怖を抱くというのはある種人間としては当然の反応なのかもしれない。
それが都市生活を経て、傲慢になってしまったのだろう。
「ほら、ゆっくり」
一歩ずつ歩みを進める。
波が押し寄せる。くるぶしまで波が浸かる。
そして波が去っていく。
「ひゃぅ」
「うおっ⁉」
美也の体が傾く。それに気づいた時には、もう体は動いていた。
美也が足を取られるように転びかけたところで、咄嗟に腰に手を回し、引き寄せる。
「あっぶな」
「……っ⁉」
「あ……」
美也と至近距離で、視線がぶつかる。
崩れた体勢の美也に、腰に手を回す俺。
まるでフォークダンスの一部を切り取ったかのようだった。
「……」
「……あぁ、なんていうか」
「……」
美也の黄金色の瞳が、俺の目をじっと見詰めている。
周囲の音が消失する。
二人の周りだけ、時間が止まったかのように錯覚してしまいそうだった。
「……ふぅ……にゃぁ」
美也の体が硬直するのが伝わる。
ゆでダコのように顔を赤くした美也は、唇をキュッと結び、俺から目を逸らしてしまった。
美也から合わせた目を逸らすのは、初めてのことだった。
「ご、ごめんな」
急いで美也の体を抱き起こし、離れようとした。
「……ぁ」
咄嗟に、美也は俺の服に手を伸ばす。
胸元を掴まれる。
しかし美也も意図してのことではないようで、自分の行為に自分で驚いていた。
「ホントに大丈夫か?」
「……」
美也の眼が、一瞬揺らぐ。
しかしその動揺はすぐに瞳の奥に消えた。
美也と体が離れる。
その瞬間、「離れたくない」という欲求が頭をかすめた。
緩めた腕にまた力を込めそうになった。
ああ、なるほど、と俺は思う。
美也もさっき、俺と同じ気持ちだったのかもしれない。
♢
予想通りというべきか、美也は泳げない。
人間油断していると膝元程度の水かさでも溺れるものだ。
夏の時期は中高生の不幸な事故が絶えないのもあって、何の対策もなしに美也を海に浸からせるのは憚られる。
一番いいのは、浮き輪だ。
美也くらいの歳の女の子がつけるにはちょっと幼い気がするが、安全には代えられない。
「というわけで、レンタルしてきたぞ。浮き輪」
「……」
浮き輪は海の家でレンタルできる。
俺も祐奈も運動神経はそこそこいいので、わざわざ浮き輪など用意していないのだ。
「……むぅ」
美也は不安そうに眉を上げた。
こんなもので本当に大丈夫なのか、と訝しんでいるように見える。
「大丈夫だ。今日は波は立っていないし、深いところまではいかない。それに、俺が傍についているから」
美也はおずおずと浮き輪を受け取る。
それでも美也の顔が晴れない。
「とりあえず行こうぜ」
物は試し。
実際に浮かんでみるまでは、不安は拭えないだろう。
二人でゆっくりと海に体を沈める。
「ほら、力抜いて」
美也は深度が深くなるにつれて、体を強張らせていた。
足が地面を離れた瞬間、「はぅ⁉」と声を上げる。
じたばたと手足を動かし、俺にピタッと身を寄せる。
腕が背中に回された。
「……うぅ……すぅ」
「そう怖がらなくていいぞ。浮き輪があるんだから。ゆっくり体を離して」
そう言ってみたものの、美也は俺に抱き着いたまま離れる気配はない。
まるで浮き輪よりも俺にしがみついている方が安全とでも主張するかのようだった。
「ゆっくりでいいから」
美也の背中をさする。
美也と初めて会った日の夜を思い出す。
暗闇を恐れて俺に抱き着いてきた時も、こうやって背中をさすってあげると少し落ち着いたのだ。
「……んぅ」
美也が息を吐きだす。
強張っていた体が、弛緩する。
「力を抜いて、波に身を任せるんだ」
おもむろに、美也は俺から体を離す。
背中に回されていた手は、俺の肩、ひじ、腕、そして手首までもっていく。
そして触れている部分は指先だけになり、完全に離れる。
「な? 大丈夫だろ?」
「……っ」
念のため浮き輪のひもだけは握っているが、美也は完全に力を抜いてぷかぷかと浮いていた。
「海も悪くないだろ?」
「……ふわあぁ」
美也の眼が輝いた。
ただ波に任せて浮いているだけなのに、愉快そうに笑う。
しばらくこのままでもいいかもな、と俺も脱力する。
だが、そうしてぼーっとしていると、急に衝撃が襲ってくる。
「うわっ⁉」
「……っ⁉」
高めの波だった。
高めといっても少し体が揺らいだだけで大したことはなかったが、海水が派手に顔にかかる。
「ぷはっー、やっべ。海水少し飲んじまった……」
喉元に辛味を感じながら、美也の方を振り返る。
「大丈夫か?」
「むぅ」
美也は両手で顔にかかった水を拭う。
崩れた髪を、耳に掛けなおした。
美也の頬を伝った水滴は首元へと流れ、そのまま胸の膨らみの谷間へと入っていく。
それがいつになく色っぽく感じてしまい、目を逸らす。
普段は気にしたこともなかったが、よく見てみれば結構あるのだ。胸が。
細身の分、大きく見えるのかもしれない。
たぶん、胸の谷間は指三本分くらい入るんじゃないだろうか。
――指三本……指三本分か。
思わずまじまじと自分の指を見詰めてしまう。
「……?」
「あ、いや、なんでもない」
美也に勘付かれる前に、邪な思考を払い落とした。
♢ (以下ネタバレ注意)
※美也と秀斗の互いに対する印象や好感度は、作中を通してほとんど一緒です。
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