第34話 「花火大会?」

「荷物全部持ったか、美也?」

「……(YES)」

「その枕も持っていくんだな……」

「……(YES)」

「いいけど、あんま人に見せないでくれよ?」

「……?」

「特に、母さんとかな」


 そんなものを見られたら、即家族会議だ。


「あと……水着とか持ったか?」

「……(YES)」

「オーケー。じゃあ、行こうか」


 キャリーバッグを手に持ち、部屋を出る。

 むわっとした空気が体を覆う。


 すでに季節は真夏。 

 日差しに毛穴が緩み、汗が滲みだすのを感じる。

 都会といえど、セミの鳴き声が遠くから聞こえてくる。


「暑いなあ」

「……(こくり)」

「大丈夫か? 髪とか蒸れないか?」

「……(こくり)」

「だよな。野暮だった」


 結んでも腰まで届く長い髪なのだから、特にうなじ辺りが蒸れるのだろう。

 女性は難儀なものだ。

 

「早いとこ、実家に帰るか」


 車で三十分もすれば着く距離だ。

 マンションを出て、車に乗り込む。


 車内はサウナのように蒸し暑い。

 黒塗りの車の難点だ。


「さて、と」


 エンジンをつけ、車を発進させる。

 都会のビルの街並みが、横に流れていく。


「……」


 その風景を、美也は博物館の標本でも見るような目で眺めていた。


 バイト先でガソリン給油していこうかと思ったが、大して距離も離れていないので、やめた。

 

 寄り道はせず、まっすぐ実家へ向かう。

 実家が近づくにつれ、建物の高さが低くなっていく。

 地元は発展した都会とはいえず、かといって田舎でもない。


 ぼちぼちの中都市といった感じだ。


 たいして道は混んでおらず、ニ十分ほどで実家に到着する。

 二階建ての、青い屋根が特徴の一戸建てだ。


 住んでいるのは両親と妹と、あとペットが二匹。

 俺が大学に進学して一人暮らしを始めて以降、元々の俺の部屋は空き部屋となっていた。


 玄関前でインターホンを鳴らす。


「……っ」


 美也が急にそわそわしだす。

 不安げに俺を見上げ、手まで握ってくる。


 これはこれで、親や祐奈に見られると色々とややことになりそうだが。

 だからといって振りほどくわけにもいかず、そのまま握り返す。


 その時、玄関のドアが開く。


「あら、秀斗。お帰り」

「ただいま。母さん」


 母さん――黒瀧木葉くろたきこのはが柔らかい表情で出迎える。


「隣の子は――あらあら」

 

 俺と美也が手を繋いでいるところに、目が行く。


「お話は聞いているわ。そちらが美也さんね?」


 新田がどんな説明をしているのか知らないが、両親は美也の件をある程度承知している。

 一人暮らしといえど、俺の身分はあくまで学生。

 まだ両親に養われる立場だ。


 さすがに美也の件では、両親に仁義を切らないわけにはいかなかったのだろう。


「さあ、上がって。しばらく家でゆっくりするんでしょう?」

「どうだろ。今年は色々と外に出かけるかも」

「あら、珍しい。去年の夏はずっと家でだらだらしてたのに」

「まあね」



 荷物を二階の俺の部屋に置きに行く。

 この家庭に生まれてから高校卒業まで過ごした部屋は、私物がなくなっただけで俺の記憶と何ら変わりなかった。


 一人暮らしの部屋は八畳のワンルームだったが、この部屋も同じくらいだった。


 荷物を解いていく。

 

「あ、兄。帰ってきたんだ」


 タンクトップ姿の祐奈が、顔を覗かせる。


「それに美也ちゃんも」

「……」


 美也が軽く会釈する。


「お前も、もう夏休みだっけ?」

「そうそう。この間からね」

「いいなぁ、高校生」

「私から見れば、大学生の方が羨ましいけどね。こっちは宿題多いんだから」


 祐奈は肩をすくめる。


「それより兄さ、今年は花火大会行くの?」

「花火大会?」

「……?」

「ほら、出店がいっぱい並んでさ、毎年テレビで流れてるじゃん」

「あったな。そんなものも」


 しかしあまりの人混みで行く気力もなく、毎年遠くから眺めているだけだった。


「……?」


 美也は俺の服の袖をくいっと引っ張る。

 疑問に満ちた顔だった。


「花火大会がうちの地元で毎年開かれているんだ。結構な人が集まって、ここらじゃ有名なお祭りなんだよ」

「同時に神社の夏祭りも開かれるからね。しかも、近くのビーチでも海開きがあるから、夏は遊ぶのに困らないよ」

「そういえば、祐奈は今年はどうするんだ?」

「私? 私は今年は新一と一緒に回るけど?」

「リア充め」

「兄がそれいう? 兄だって美也ちゃんと出かけるんじゃないの?」

「まあ、そうだけどさ」

「……?」


 美也が首を傾げる。


「一応さ、ついでに花火大会も夏祭りも、海の方にも行こうかと思ってな。美也は、それでも大丈夫か?」

「……(こくり)」


 美也は曖昧に頷いた。

 あまり「楽しみにしている」といった様子は見受けられなかった。


 もしかしたら、美也は花火も、夏祭りも、海も、どういうものかピンと来ていないのかもしれない。


 美也は入院していたといっても外出はかなり自由に許されていた。しかし、新田によれば美也は一日のほとんどを院内で過ごしていたそうだ。


「その花火大会、いつだっけ?」

「三日後だよ。うちのクラスじゃ、花火大会に誰と一緒に行くかでもちきりだね。年に一度のデートイベントだし」

「青春だねぇ」


 俺の高校時代にもそんな浮ついた話が上がったこともあったし、騒がしい連中から誘われたこともあるが、当時は気になっていた女子もいなかったため、結局は行かなかった。


「そういえば、兄は海にもいくんだよね?」

「そうだが?」

「いついくの?」

「早ければ明日とか」

「じゃあさ、その時に私たちも行っていい?」

「『私たち』?」

「私の友達と、ついでに新一も誘ってさ」

「星くんはついで扱いかぁ」


 一応星くんは祐奈と付き合っているのだが、まだまだ祐奈からの評価は低いようだ。


「友達って、具体的に誰だ?」

樋渡祈ひわたしいのりって覚えているでしょ?」

「ああ、樋渡さんね。覚えてる」


 祐奈の中学以来の友人であり、うちに何度も遊びに来ている子だ。

 祐奈はクラスでは比較的派手なグループにいる反面、樋渡さんは大人しい印象を受ける子だった。


「その子も誘うのか?」

「まあね」

「俺はいいけど。美也も、それでいい?」

「……っ。……(こくり)」


 さっきまで話半分で聞いていた美也は、急に話を振られて一瞬面食らったが、曖昧に頷く。


「だそうだ」

「わかった。じゃあ、祈に連絡してくるね」

「星くんにもちゃんと言っておけよ」

「ダイジョーブ、ダイジョーブ」


 祐奈は手を振って部屋を出ていった。


 ♢


 荷物を解いた後、俺は家を出る。 

 半年ぶりに来た地元を、ぶらついて見たかった。


 美也は朝っぱらから散歩をするのは気分が乗らなかったらしく、珍しく今回は単独行動だった。 


「懐かしすぎるな」


 子供がたむろする公園も、半分近くの店のシャッターが閉じられている商店街も、学校のグラウンドで練習する部活も、たった数年前のことなのに大昔のことのように思える。

 向こうでの生活に慣れ過ぎたのかもしれない。


 すぐに新しい建物ができ、古い建物が壊されていく向こうと違って、ここだけは時間が止まったようだ。


 感傷に浸っていると、ポケットの携帯が鳴る。


「新田?」


 新田の番号だった。


「もしもし、黒瀧です」

『よお。俺だ』

「何の用で?」

『お前、実家に帰っているらしいな?』

「そうですけど?」


 新田に、今日実家に帰っていることは言っていない。

 わざわざ報告しなくても、新田ならそれくらいすぐ嗅ぎつけるだろうと思っての判断だ。

 だが、ここまで鼻が早いとさすがに不気味だ。


『こういうことは事前に報告してくれ。手間がかかる』

「でも、どうせわかるんでしょう?」

『お前だって、自分が一日中監視されるなんて嫌だろう? お互いオープンのほうが、後腐れない』

「オープンだったとしても、どうせ監視はつくんでしょう?」

『まあな』


 誤魔化すことなく、新田は開き直る。


『ところで、今俺がお前の後ろにいるって言ったら驚くか?』

「は?」


 パッと、後ろを振り返る。

 

「よお」


 死神のような顔をした新田が、気配もなくそこに立っていた。


「驚いたか?」

「……かなり」


 電話を切る。

 

「なんでわざわざここに?」

「忘れたか? 俺は美也のお目付け役だ。美也の傍を離れるわけにはいかん」

「はぁ……そうなんですか」

「ちなみに、大阪旅行だって俺はついていくことになるぞ?」


 大阪に旅行に行くことはサークルのメンバーと美也しか知らないはずなのだが、もう驚くことはなくなっていた。


「ところでだが、大阪に行くことになったのはなんでだ?」

「なんでって……美也が大阪を選んだんですよ」

「美也が?」

「そうですけど」

「……そうか、美也が」


 珍しく、新田が考え込むように顔を伏せる。


「何か問題でも?」

「い、いや。なんでもない」

 

 何かをごまかすように、新田は顔を振った。


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