第31話 「シュウがくれたものだから……♪」

 後頭部をガツンと殴られたような衝撃だった。

 

「……あ、それ」

「……っ!」


 美也が驚いてこちらを振り返る。

 美也が手に持っていたのは、俺のポケットから取り出したと思われるギフトボックス。

 

 中身は言わずもがな、俺がこっそり買ったブレスレットである。


「……」 

  

 美也が俺の目をじっと見詰めてきた。

 咎める、というより問い詰めるような目だった。


 ――怒らないから言ってみなさい。


 母親は俺が何か隠し事をするたびに、そう言ってたのを思い出した。

 それは例えばテストの点数が悪かったり、家の車をちょっと傷つけてしまったりとかだ。


 母親の優しげな雰囲気に乗せられぺらぺら打ち明ければ、結局小一時間くらい説教を食らうのだから堪ったものではなかった。


「あ、それはだな……別に大したもんじゃ」

「……」

「これはただの……こう、妹のお遣いで頼まれただけで」


 自分で聞いていても見苦しい言い訳であった。

 そんな口からでまかせを、勘のいい美也が見逃すわけもない。


 訝しむように、目を細める。

 なぜこんなにもごまかす必要があるのか、不思議でならないといった顔だった。


「……はあ」


 諦念とともに、ため息をつく。

 

「……開けてみてくれ」

「……?」


 こんなはずじゃなかったのに。

 本当はもっとスマートに渡すはずだったのに。


 舞台に上がった瞬間「タネが分かったぞ!」といわれるマジシャンの醜態と同じのようなものだ。


 美也がゆっくりと包装をほどいていく。

 心臓がうるさく鳴っている。

 こんな渡し方になってしまったのは仕方ない。

 だが、ブレスレットを気に入ってもらえなかったら最悪だ。


 大学受験の合格発表の時でさえ、こんな緊張した覚えはないのではないか。


 そしてついに美也が蓋を取る。


「……ぁ」


 小さく、美也が声を漏らす。


「美也が毛利と一緒にいるときに、買っておいたんだ。……一つくらい、こういうのあったほうがいいかと思って」

「……」

「美也?」


 反応を返さない美也。

 すると美也はおもむろにブレスレットを取り出すと、右手首に通す。


 サイズ調整をしていないにもかかわらず、ブレスレットは美也の手首にぴったとフィットした。

 ピンク色のレザーブレスレット。


 名家の生まれとあって一種の壮麗さや、それゆえの近寄りがたさを放つ美也でも、ブレスレットを着けた美也からは愛おしく思えるような可憐さを感じた。

 


「似合ってると思うよ……自分で言うのもなんだけど」

「……♪」

「うおっ、なんだ?」


 美也が急に抱き着いてくる。

 

「……むふー」

「どうした、急に?」


 胸に美也の呼吸を感じ、くすぐったさを感じる。

 呼吸は深く、ゆっくりで、非常にリラックスしているように思える。


 美也の腕は、俺の肩甲骨あたりまで回されていた。

 

 感謝のしるし、ということだろうか。

 美也の意図はわからないまま、俺はただ美也の背中を撫でる。


 ただ反応を見るに、少なくともこのプレゼントは気に入ってもらえたようだ。

 ホッと胸を撫で下ろす。


「よかったよ。気に入ってもらえて」

「……ふふっ」


 美也はどこか可笑しそうに笑う。

 

「どうした?」


 なんでもない、というふうに首を振る。

 体が離れる。


 美也の頬は緩みきっていた。

 心なしか、顔も少し赤くなっている気がする。

 

 美也は右手首のブレスレットをそっと撫でた。

 目を細める。

 あまりにも愛おしげに撫でるものだから、こっちが恥ずかしくなってくる。


 だが同時に、笑みをこぼしてしまいそうな嬉しさを感じていた。

 


 ♢



「――と、いうことがあったんですよ」

「……ふぅん」


 新田へ定例報告を済ませる。

 プレゼントが上手くいったからか、いつもより饒舌に話してしまった。

 

 話し終ってから初めて、新田が興味無さげな様子であることに気づく。


「なんか今日は、随分と無関心ですね」

「……昨夜のこと覚えているか?」

「昨夜?」

「ああ」


 新田は気だるげに頬杖をつく。


「お前が急に電話をかけてきて、『美也が寝言をいった』って報告してきただろ?」

「まあ、一大事ですから」

「おかげで俺の仕事が深夜まで伸びちまってな。眠たくて仕方ねえよ」

「悪いとは思ってますけど」

「で、だ」


 新田は目薬を取り出し、目に差した。

 目に力が戻る。


 何か重要な話でもあるのか、と身構えてしまう。


「首相にそのことを報告した。すると、どうやら首相はお前に興味を持ったようでね」

「俺に?」 

「当たり前だ。腕利きの医師だって美也の病には手の打ちようがなかった。それが、わずか一か月足らずでここまでの回復を見せた。寝言とはいえ、言葉を口にしたんだからな」

「俺のおかげ、ってことなんですかね?」

「それを首相は見極めたいんだそうだ」

「どうやって?」

「直接会うのが一番手っ取り早いんだろうが、さすがに首相は多忙でな。一介の学生に付き合う時間なんてない」

「でしょうね」


 国の舵取りを任されている人物が俺のために時間を割くというのも、申し訳ない。


「まあ、そのために俺がいるというわけだ。いわば俺は、首相の代理人だ」

「あんたは忙しくないんですかね」


 思えば公安がわざわざ美也の存在一人に、人員を割くというのも奇妙な話だ。

 美也の存在が世間にバレれば確かに白石首相は破滅だが、首相の都合一つで公安を動かせるものなのだろうか。


「お前、『ハコスミ』、って知ってるか?」

「ハコスミ?」

「厄介者の吹き溜まりのことだ。俺の懲戒フォルダを見ればわかる。小説みたいな分厚さだ」


 自嘲気味に、新田は笑う。


「押し付けられる仕事は、雑用同然。だが三年前に、妙な仕事が俺の元に回ってきてな」

「妙な仕事?」

「とある少女を監視しろってさ。目的も意図もわからない。どこからの指令なのか探っても、何人もの人間を経由して、まるで伝言ゲームみたいに指令が飛んでいた」


 過去を振り返るように、新田は視線を天井に向けた。


「監視の仕事は、公安にとってはよくある仕事だった。暴力団とか、カルト教団、外国人のコミュニティー。胡散臭い連中の情報を収集し、犯罪が認められれば事件化して、一課とか四課が捜査を引き継ぐ。だから俺も多少の疑問があったとはいえ、いつも通り仕事にあたろうと思った矢先――首相官邸に呼び出された」


 首相官邸は、要は首相のオフィスだ。


「そこで俺は、首相から本当の事情を聞かされた。俺みたいなハコスミの捜査官を使ったのは、情報を最小限に留めておくためだろうな」

「それで、美也の身元を引き受けたわけですか」

「三年前に母親が亡くなって、美也は孤独の身となった。美也は駆け落ちの末に生まれた子だから、親戚に頼ることもできなかったんだろうな。特に西ノ宮家からは、首相は美也の母親を無理やり手籠めにした憎き相手みたいな扱いになっている」

「手籠めにした、って……実際にそうだったんですか?」

「さあな。その辺のことは知らない。西ノ宮家が一方的にそう思っているだけかもしれない」


 奇妙な違和感が思考を覆い隠す。

 まただ。


 またこの違和感だ。

 何か引っかかる。


 今の話が、忘れ去られた遠い記憶と繋がっている――気がした。

 今にも切れてしまいそうな細い繋がりだ。

 意識しなければ気づかないほどに。


「まあ、俺のことはいいとして」


 新田は話題を切り替える。


「お前の話だ」


 新田はコップに注がれた水を口に含み、唇を湿らせた。








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