「この気持ちを、どう表そうか」

第25話 「……かわいい」

 首相公邸には有名な怪談話がある。

 首相公邸は五・一五事件や二・二六事件など、旧日本軍のクーデターの舞台となり、多数の死者を出している。

 

 故に幽霊の目撃談が絶えない。


 なかでも軍服の男の幽霊が出るという話は、以前からまことしやかにささやかれていた。

 公邸に引っ越さない首相は歴代でも多く、その度に「幽霊のせいではないか」とマスコミから揶揄されていた。


 しかし白石首相は、幽霊の存在は「承知しない」と公表し、首相就任時から公邸に住み続けている。


 午前零時を過ぎた首相公邸は、電気がついているにもかかわらず、不気味に思えた。

 遠目から見れば、幽霊屋敷にしか見えない。



 新田は腕時計を見ながら、早足で公邸を去る。


 図太い首相と違って、妙なうわさが絶えない公邸に長居するのは御免だった。

 だが、美也の報告に関しては文面ではなく、必ず口頭で知らせることが求められている。

 報告書などの書類が残るのはマズいからだろう。

 美也の存在を知っているのは内閣でも首相、官房長官、幹事長くらいだ。

 

 公安でも新田とごく一部の人間しか、秘密は共有されていない。


 首相公邸から離れ、尾行がないか気配を探る。 

 まあ来るときもいなかったのだから、去るときに限ってつけられている可能性は少ない。


 時にマスコミやフリーのライターが張り込んでいるときがあるが、新田のことは気にかけない。

 SPか警備員とでも思っているのだろう。


 大通りに差しかかる。

 脳内のニコチンが切れ始めるのを感じた。

 

 胸ポケットを探って煙草を取り出すも、入っていたのはケースだけで、中身はない。


 横断歩道の先に、コンビニが見えた。


 赤信号をぼんやりと待っていると、ポケットの携帯が振動する。

 

 取り出してみると、『黒瀧秀斗』と表示されていた。


「……めんどくせ」


 こっちはもうとっくにオフモードなんだよ、馬鹿が。

 内心毒づきながら、電話に出る。


『……ちょっと今、いいですか?』


 秀斗が声を潜めながら、そういう。


「お前、今何時だと思っている?」

『何時ってそりゃ――』

 

 少し間があって、「午前零時半だと思ってます」と毅然ささえ感じる口調でいわれる。


「非常識だと思わんのか?」

『いつも人の家にずかずか上がり込む人にいわれたくないですね』

「俺はもう仕事上がったんだ」

『何かあったらいつでも連絡くれ、って言ったのはそっちでしょう』

「夜中に連絡していいとは言っていない」

『だったらいつ電話すればいいんですか……』


 電話の向こうから呆れたようなため息が漏れる。


『それより、重要な話があるんですから。聞いてくださいよ』

「じゃあ聞いてやる」

『あの、実はですね、美也が喋ったんですよ』

「……なんだと?」


 自然と声が低くなる。


「どういうことだ? 説明しろ」

『いや、なんというか、寝ている時に俺の名前を』

「名前を? 寝言ってことか?」

『前にもあったんですか? 寝言を言うことって』

「……いや、なかったはずだ」


 顎に手を当てる。

 新田が美也のお目付け役を命じられたのは、美也の母親が亡くなったとされる三年前からだ。

 


 それ以前のことは、見聞でしか知らない。

 だが、「寝言を口にする」なんて聞いたことがない。 

 病院の主治医や看護師だって、そんなことを言っていなかった。

 

 もちろん病院側が昼夜を問わず美也を見守っていたわけではないが、今更になって新しい事実が発見される可能性は少なかった。


 むしろ環境が変わったことによって美也にも何か変化が生じたと考えるのが自然だった。


「具体的になんて言った?」

『ただ一言、『シュウ』って」

「……そうか」


 意図せず初めて口に出した言葉が、それなのか。

 

「わかった。報告ご苦労だった」

『これは、病気が回復傾向にあるってことですかね』

「まだ何とも言えん。しばらく様子を見ておくんだな」


 電話を切る。

 ちょうど目の前の信号が青になった。


「仕事増やしやがって……」


 新田は来た道を戻り始めた。

 夜道を歩きながら、新田はとある番号に電話を掛ける。


「……急ぎ耳に入れておきたいことが」



 ♢


 美也が目を覚ました時には、まだ秀斗は眠っていた。

 

 美也は朝が弱いため、普段ならいつも秀斗の方が先に起きる。

 しかし、いつもなら起きるはずの時間になっても秀斗は目覚めない。


 片手に携帯電話を握りしめている。

 姿勢も仰向けになっており、美也の背中に回っていた手が離れていた。


「……」


 美也は秀斗の肩を恐る恐る触る。

 反応がないことを確かめて、体を揺すった。


 秀斗の眉がぴくっと動く。

 美也はその反応を見て、急いで手を引っ込めたが、秀斗が起きることはない。


「……っ」


 美也は秀斗の頬を、人差し指でつついた。

 秀斗は口元をもごもごと動かす。

 美也はその様子を、目を細め、慈しむような表情で見ていた。



 やがて美也はゆっくりと、秀斗の背中に腕を回した。

 

「……んぅ」


 秀斗の体に跨り、胸に顔を埋める。

 息を吸い、目を閉じた。

     

 美也は眠りに落ちるギリギリまで目を開けている。

 美也は視界が塞がれるのを極端に恐れているのだ。

 だが、秀斗の胸の中に収まっているときは、たとえ目を閉じていても、電気が消されていてもパニックを起こすことはない。


 美也には、秀斗の心臓の音が聞こえていた。  

 トクン、トクンと、心臓の鼓動は一定のリズムを刻んでいた。 


「~~っ」


 美也は唇をキュッと結ぶ。

 頬を秀斗の胸に擦り合わせる。

 

 自分が何をやっているのか自覚したのか、段々と顔を赤くした。

 だが一方で秀斗の背中に回した腕の力を、さらに強めた。


 体が密着し、隙間がなくなっていく。

 体の境界が曖昧になる。

 体温を交換し合う。



 その感覚に、美也は気持ちよさそうに顔をふやけさせた。


 すると、秀斗が急に身じろぎする。


「……っ!」


 秀斗の腕が、美也の背中に回される。

 美也がパッと顔を上げるも、秀斗は未だに目を覚さない。

  

 美也が少しほっとしていると、秀斗の右手が美也の頭に伸びてきた。

 ポンっと、美也の頭の上に秀斗の手が置かれた。


「……ん♪」


 秀斗の手が上下する。

 頭を撫でられ、美也は艶っぽい声を出した。


「……んへへっ♪」


 美也は再び目を閉じる。

 美也が二度目の眠りに落ちるのに、そう時間はかからなかった。

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