第24話 「――シュウ」

「――と、いうことがあったんですよ」


 例によって今日起きた出来事を、新田に報告する。

 新田は最近、美也が風呂に入ったタイミングを狙いすましたかのように訪ねてくる。


 これは本当に、カメラや盗聴器の一、二台くらい仕掛けられているのかもしれない。


「……お前ら、短い間にずいぶんと仲良くなったんだな」

 

 何か含めるような言い方だった。


「美也を任せたのはこちら側とはいえ、まさかここまでとは」

「何がですか?」

「いや、なんでもない。それよりお前、これから美也をどうするつもりだ?」

「どうする、とは?」

「また友達に紹介するつもりか?」

「いや、今はそのつもりはないです」


 新田もやはり、美也の存在を言いふらすのは避けたいようだ。

 須郷と綾瀬に打ち明けたのは、二人の口の堅さを見込んでのことだった。

 だが、誰もが口が堅いわけではない。

 

 

「とりあえず、須郷と綾瀬に馴染むとこまでですね」

「そうか」

「それより、一体何なんですか? あの金は?」

「金?」

「俺の口座に振り込まれてましたよ。五十万も」

「最初に言ったはずだろう? 生活に困らない程度の金を送ると」

「にしても、五十万って……。ただの学生が持つ金じゃないでしょう」

「五十万って言いだしたのは俺じゃない。首相の方だ」

「白石首相が?」


 確かこの五十万は、首相が自腹で出していると聞いた。


「親バカもいいところだ。だが、お前の性格なら大金を貰っても、急に金遣いが荒くなることはない」


 ただの学生が急に金回りがよくなったら誰でも怪しむだろう。

 怪しいバイトをやっていると疑われるかもしれない。


「じゃあ、振込名義人の『タナカ ハナコ』って誰ですか?」

「わざわざお前の口座に振り込むために作った口座だ。当然、『タナカ ハナコ』なんていない」

「随分手の込んでいる……」

「もしお前の金回りを疑われて警察が動いても、火傷するのはお前だけだ。俺や首相に飛び火することはない」


 用意周到な奴らだ、と感心してしまう。


「そもそも、このお金は毎月貰うことになるんですか?」

「お前が美也を預かる限りはな」

「それって、どのくらいの期間ですか?」


 美也の症状が一生好転しない場合もある。

 その場合、俺がずっと美也の面倒を見るわけにはいかないだろう。


「じゃあ逆に訊くが、お前はどのくらいの期間なら美也の責任を持てるんだ?」

「はい?」

「俺が『治る見込みなし』と判断すれば、その瞬間美也がここにいる理由はなくなる。美也の病が治った場合も同じだ。その場合、お前はまた一人に逆戻りだ」

「元々一人の状態が正常だったんですよ」

「ならすぐに美也がいなくなっても構わないな? お前の代わりは、幾らでもいるんだから」

「それは……」


 途端に言葉に詰まった。

 形容し難い何かが喉にこみあげてくるのを感じる。


「まあ、人の病気が『治る見込みが百パーセントない』なんて証明しようのないことだ。美也がここを去るときは、健常者と同じように喋れるようになった時だな」

「じゃあ、美也が喋らない限りずっとこの家にいるってことですか?」

「今のところは、な。でも、お前だって美也が急にいなくなるのは嫌だろう?」

「……俺にどうしろっていうんですか」


 美也が喋らない限りこの家に住み続ける。

 だが話せるようになれば、ここを去る。


 新田の言っていることは、「美也と一緒にいたいなら病気を治すな」と言外に告げているようなものだった。


「俺はただの報告係だ。お前の好きにしたらいい。元々、美也をお前に預けるのはちょっとした実験みたいなものなんだからな。お前は深く考えなくていい」

「そんなことを言われても……」


 いじけた子供のような声が、俺の喉から出てきた。


「邪魔したな」


 新田は立ち上がって、玄関に向かう。

 靴を履いたところで、新田はこちらを振り返った。


「喋れるようになって一人になるのは、お前も美也も一緒だ」


 靴先を床でトントンと叩く。


「あの子は本当に、喋れるようになることを望んでいるのか?」

「それを俺に聞かれても、わかりませんよ」

「……このままの方が幸せなことも、あるかもな」


 そう言い残し、新田は去っていった。


 ♢


「……♪」


 新田の言葉を反芻しながら、美也の髪を梳いていく。 

 少しひんやりした美也の髪をブラシで梳くたびに、胸に押しかかっている重圧が消えていく。


 単純な作業は嫌なことを忘れさせてくれる。

 

 風呂上がりの美也が体を預け、無防備な姿を見せていることにも、どことなく心地よさを感じていた。


 それに美也もブラッシングされるときは気持ちよさそうな表情をしているのも、満足感を与えてくれる。


「……ふわぁ」

「眠たいのか?」


 美也が目元をこする。

 頭がかくんかくん、と揺れていた。


「そろそろ寝るか」


 ブラシを置く。

 美也と一緒に横になった。


 ベッドは狭い。

 互いに仰向けで寝ると肩が当たってしまう。

 二人とも寝相が悪いわけではないが、窮屈で仕方がない。


 向き合うように横向きで寝るのが、自然な流れになっていた。


「電気消すぞ」

「……っ!」


 美也が俺の体にしがみつく。

 ぎゅっと体が密着した。

 この流れも、もはや慣れたものだった。


 リモコンで電気を消す。

 視界が暗転する。暗闇の中で、美也の淡色の髪だけが薄く見えていた。


「~~っ」


 美也の腕が背中に回される。胸に、美也の鼻と口が当たるのを感じた。

 もう二週間以上も一緒に暮らしているのに、まだ暗闇が怖いのか。

 

 それとも、他に理由があるのか。


 俺は美也の体に腕を回し、背中を撫でる。

 美也の呼吸で、背中が上下するのを感じる。


 呼吸の間隔が、だんだん美也の呼吸と合っていく。

 呼吸が深くなっていく。

 気づけば瞼が下がっていた。


 意識が朦朧とする。

 深い水底へと落ちていく感覚を最後に、意識を手放した――その直前だった。



「――シュウ」



「――……え?」


 パッと顔を上げる。

 か細い声が闇の中に溶けていく。


 今の、美也の声か? 

 喋ったのか? 

「シュウ」っていったのか?

 俺の名前を?



「……すぅ……すぅ」

「……寝言?」


 電気を点ける。

 気持ちよさそうに眠る美也が、変わらずそこにいた。


 体勢はそのままで、俺は携帯を取り出した。

 連絡先の中から、とある番号を呼び出す。


 電話の主は、三コール目で出た。


「……ちょっと今、いいですか?」


  

   


――第一章 〈完〉

  第二章に続く



 

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