第23話 「……彼女?」

 やはり映画の終盤となると、シリアスな雰囲気に感化され口数が少なくなる。

 まるで本当に映画館にいるかのように、照明が暗転し、すぐ後ろには観客がぞろぞろと座っているかのように錯覚する。

 知っているはずの映画の結末を、最後まで見守る。

 

 そして真剣な空気のまま、物語は感動のフィナーレを迎える。

 エンドロールが流れて始めてようやくほっとしたように空気が弛緩する。


「俺はそろそろ帰るよ」

 

 俺はバッグを手に取る。


「あれ、もう行くのかよ、秀斗」

「夜どこかに食べに行かないの?」

「まあな」


 須郷とは一度顔を合わせているとしても、美也が二人とちゃんと対面したのは今日が初めてだ。

 食事にまで引っ張りまわすのも、悪いだろう。


「また今度にしておくよ」

「美也ちゃんはまた来るのか?」

「……またここに来たいか、美也?」

「……(こくり)」


 美也が頷く。


「だそうだ」

「また来たときに、一緒にご飯でも食べに行きましょ?」

「……♪」

 

 美也は綾瀬に笑顔を返す。

 少なくとも、綾瀬は美也に気に入られたようである。

 まあ女子同士なのだから、俺よりも気が合うこともあるはずだ。


 元々美也をこの部に連れてきたのは、須郷よりも綾瀬に会わせるためでもあった。


「じゃあな。また今度」

「おっす、お疲れ」

「お疲れ様~」


 挨拶して、美也と一緒にエレベーターに向かう。 

 サークル棟を出て、キャンパス内を抜けていく。


「……」


 美也はずっと、俺の袖をぎゅっと掴んでいた。

 ただ、距離が遠い。

 大学に来たときはぴったり横につけていたのに、今は半歩後ろからついてくる。


 美也の顔は少し伏せ気味で、その様子がどこか恥ずかしげに見えた。


 手を繋いでいるときより、歩きづらい。

 俺は思い切って、美也の手を掴む。


「~~っ⁉」


 パッと、美也の手が引っ込んだ。


「え?」

「……っ」


 まさか拒否されるとは思わず、俺は瞠目する。

 振り返ると、美也が顔を真っ赤にして、自分でも驚いたような表情をしていた。


「あ、なんか、ごめん。……馴れ馴れしかったよな」

「……」


 そういうと、今度は美也の表情が悲しげな色に変わる。

 美也が自分から俺の手を握ってくる。

 

「……ありがとな」

「……♪」


 美也がはにかむように笑う。

 ちゃんと俺の横に並んだ。


 真っ直ぐ家には向かわず、大学内のATMのある建物に入る。

 今日はお金を下ろさなければならない。

 

「美也は外で待っててくれ」

「……(こくり)」


 建物に入る。

 ATMに通帳を入れる。


 昨日バイトの給料が入ったはずなので、預金残高を確認する。


「……なんだ、これ」


 そこに表示された金額に、目を疑う。

 貯金は毎月少しずつだが貯めており、十数万はある。


 だが、預金残高には五十万以上の金額が表示されていた。


 入金記録を見ると、一週間前に五十万が振り込まれている。

 振込人の名義は「タナカ ハナコ」になっていた。


「誰だよ、それ」


 おそらく新田、ひいては白石首相からの報酬あるいは――口止め料といったところか。


 美也と首相の関係を週刊誌にリークすれば、それ以上の金を貰えるかもしれないが、これが毎月振り込まれるとなるととんでもない金額になる。


 俺は既に、首相の秘密に関わる立派な共犯者というわけだ。


「にしても、途方もない金だな」


 五千円だけ引き出しておく。


「美也の服でも買ってあげるか……」


 それくらいしか使い道が思いつかなかった。

 通帳を受け取り、財布をしまう。

 

 建物の外に出て、美也の元に向かった。


「あれ?」


 美也の前に、一人の男が立っていた。

 髪を金髪に染めており、黒と黄色のミツバチのような柄の悪いシャツを着崩している。


 いかにもチャラついた大学生、という感じだ。


「ねえねえ、君ここの学生?」

「……」

「名前は何ていうの?」

「……」

「ここら辺の人じゃない? 道がわからないんだったら、俺が教えるよ?」

「……」

「ねえ、勿体ぶらないで教えてよ」


 美也は男の言葉につまらなさそうな顔で返すだけだったが、男は気づいていないのか、それとも無視しているのか、徐々に美也に迫ろうとする。


 俺はため息を押し殺す。


「おい、楠本」

「げっ、黒瀧じゃないか……」


 楠本健司くすもとけんじはバツが悪そうに、顔を歪める。


「相変わらず元気そうだな」

「そういうお前も、な」


 楠本は同じ高校を出た同級生であり、同じバスケ部の出身でもある。

 特段付き合いがあったわけではないが、大学に入ってから数少ない同郷ということで顔を合わせるようになった。


 だが楠本は俺とタイプが違い、目立ちたがりで騒ぐのが大好きな、陽気な男だった。

 毎夜十人近くの男女で呑んでいるらしい。


「その子は俺の連れなんだ。悪いな」

「え、知り合いか何か?」

「……彼女といったら、驚くか?」

「……っ!」


 美也が視界の端で、びくっと肩を震わせる。


「ま、まあまあ驚くね。黒瀧って女に興味無さそうだったし」

「俺だって男だ。いずれ彼女だってできる」

「でもその子、大学じゃみないけど、どこの子?」

「そもそも学生じゃないからな」


 楠本の目は、まだ美也のことを諦めていなかった。

 さすがに「彼女」と紹介した以上露骨に手は出してこないだろうが、あわよくば仲良くなろうという魂胆だろう。


「な、なあ。今夜知り合いと呑みに行くんだけど、君もどう? 秀斗も一緒にさ」


 俺はついで扱いか。


「……悪いな。もう帰るとこなんだ」

「お前には訊いていないんだけどなあ」

「この子、シャイなんでね」


 じゃあな、と挨拶して、美也と一緒にこの場を去ろうとする。


「あ、ちょっと! せめて名前くらい教えてくれよ!」

「ん?」


 美也と目を合わせる。

 

「……タナカ ハナコだよ」


 それだけ告げて、今度こそこの場を後にする。


「……」


 美也が、自然と俺の手を握ってくる。

 

 まだ楠本の目がある。

 彼女と紹介した手前、ここで手を握り返さなければ不自然だ。


 俺は美也の手を、そっと握り返す。

 少しでも爪を立てれば傷が残ってしまいそうな、きめ細かい肌の感触があった。


「改めてすると、恥ずかしいな……」

「……♪」


 美也はほんのりと頬を染めながら、照れ笑いを浮かべた。




 

 

 

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