第20話 「一緒にいたいから」

「ふうん、勉強会ね」


 テーブルに並べられた夕食を興味無さそうに見ながら、新田はそういう。

 祐奈と星くんが帰ってから間もないのに、相変わらず新田は人様の家で遠慮なく足を伸ばす。しかも冷蔵庫を開けて勝手に食べ物を物色していたのだから、恐ろしいものだ。

 この男が日本最強の情報機関公安警察の人間であるなど、誰が信じられるだろうか。


「何も漏らしてはないよな?」

「小便?」

「とぼけるな。美也の秘密だ」

「当たり前でしょう。というか、いっても信じませんよ」


 美也がゆっくりと長風呂に浸かっている間、俺は新田と向き合う。


「美也は数学が得意だったんですね。意外でした」

「まあ、美也には西ノ宮家の才女の血と首相に昇りつめた男の血が流れている。頭が悪いわけがない」

「しかも独学だったんですよね?」

「昔家庭教師をつけたことがあったみたいだが、逆に教師側が音を上げたみたいでな。まったく、恐ろしい才能だ」

「でも、大学には行かなかったんですよね? それだけの才能を持っていたのに」

「考えてもみろ。話せない、伝えられない。そして社会経験も親もいない。そんな状態で、将来を見据えることができると思うか」


 将来といわれ、俺は押し黙る。

 美也くらいの年齢になると、そろそろ将来のことを考えて行動する必要がある。

 だが、普通の人のようにいかないのは間違いないだろう。


 どれだけ彼女が優れていても、病を治さない限りは。


「どのみち、彼女にとって最善なのは病の治癒。そのためにお前がいる」

「肝に銘じておきます」

「で、どうだ? 美也の様子は」

「別に変わりありませんよ」


 一朝一夕でどうこうできるほど、簡単な話ではない。

 

「わざわざその確認のために、俺の家に来るんですか? 電話で確認すればいいでしょうに」

「この目で見ないとわからないことだってあるだろう」


 新田が覇気のない目を、すっと細める。


「それとも、この部屋にカメラでも仕掛けられたいか? 俺ならお前にバレずに、十個ほど仕掛けられる。その場合俺は安楽椅子に座って、四六時中お前の様子を見るわけだ。愉快だろう?」

「愉快でしょうね。当事者以外は」


 この男なら本当に仕掛けかねないのだから、笑えない。

 もしかしたら、もうすでにカメラが設置されている可能性だってある。

 

「そういえば、一つ確認しておきたいんですが」

「何だ」

「明日、美也を大学に連れて行ってもいいですか?」

「理由は?」

「友達に、紹介したいんですよ」


 今日美也は、祐奈とも星くんとも上手くやれていた。

 むしろ、楽しそうに二人に教えていた。


 その様子を見て、俺は決めたのだ。

 美也が病を回復させるには外界からの刺激――つまり同年代の子とのコミュニケーションが必要だ。


 だが相手が俺だけでは足りない。

 須郷と綾瀬なら、信頼できる。あの二人になら、俺と美也が同居しているという秘密も打ち明けていい。


「須郷と綾瀬の素性は、あんたはもう調べているんでしょう?」

「お前の周りの人間は全員調べている。安心しろ、お前の友達付き合いはなかなか健全のようだ」

「なら、別に紹介しても構いませんよね?」

「それを聞くのは俺ではなく、美也に聞け。あの子の意思次第だ」

「それはわかってますけど」


 自宅の次に過ごす時間が多いのがサークル仲間との付き合いだ。

 その輪の中に加われば、必然的に俺との時間が増え、一人になる時間は減るということになる。


「だが、須郷明人には気を付けておけ」

「須郷?」


 意外な名前が新田から飛び出してくる。

 

「須郷がどうしたんですか?」

「あいつは夜な夜な飲み屋を渡り歩いては、女と飲み交わすそうじゃないか」

「まあ……アイツはそういう奴ですから」

「学生のお遊びとして目を瞑れる範囲であるのはいいが、あまり感心はしないな」

「根は良いやつですよ」

「人間なんて、根っこの部分は皆善人だ。問題は根の上の部分だ」

「だとしても、さすがに美也に手を出すなんてことはないと思いますけど」


 美也が須郷と初めて会った時、警戒する素振りを見せたことを思い返す。

 

 今にして思えば、美也はあの時須郷の女癖の悪さを見抜いていたのだろう。



「俺はそろそろ出るぞ。邪魔したな」

「どうせまた来るんでしょう?」

「首相から命じられているんだ。俺の意思じゃない」

「首相から?」

「そうだ。この報告も美也の様子も、毎晩毎晩俺が首相に直接伝えている。この後も、俺は首相官邸に行かなくちゃならない」

「大変ですねえ」

「仕事だからな」


 新田は煙草で黄ばんだ歯を見せる。


「じゃあな」


 ♢


「あのさ、美也」

「……?」


 美也の長い髪を櫛で梳いていく。

 美也が頼まずとも、風呂上がりには俺が美也の髪を梳かす流れが自然とできていた。

 美也は何も言わないが、俺に身を預けてくれる。

 風呂上がりに俺のベッドにお尻を降ろし、背中を向けるということは、美也もこの時間を心地よく感じているということだった。


「明日、俺と一緒に大学行くか?」

「……?」

「俺のところの大学は広いし、学食は美味いし、購買だって充実している。それに、紹介したい友達がいるんだ」

「……」

「どうだ? 一緒に来るか?」

「……っ」


 美也が振りかえる。

 上目遣いでこちらをじっと見詰めてくる。


「ま、まあ、別に嫌なら嫌でいいんだけど」

「……♪」


 美也は、嬉しそうに微笑んだ。


「オーケーってことでいい?」


 美也は元気よく頷く。


「そうか、よかったよ」


 美也の頭を撫でると、例の如く「にへへっ」と変な笑い声をあげる。

 ブラッシングを続ける。


 美也の目線も、前に戻る。 

 表情が見えなくなっても、上機嫌になったのが分かった。

 美也が小さく口笛を吹いていたからだ。


 美也はテレビの画面を見ている。

 

「それ、そんなに面白いか?」

「……」


 美也はテレビの画面に釘付けとなっていた。

 俺の言葉も聞こえていないようだった。


 その内容は十年以上前に公開された青春恋愛映画だった。

 

「恋愛ものが好きなのか?」

「……っ!」


 美也は動揺したようにビクッと肩を揺らす。


「これと似たような映画、うちにも沢山あるぞ。後でまた見てみるか?」

「……」


 美也は少し迷うように間を空ける。

 そしてしばらくした後、美也は小さく頷いた。

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