第17話 「コイビトって?」

 目覚ましのアラームが鳴り響く。

 風呂に浸かっているかのような心地よい温もりを感じながら、俺は目を開ける。


「……すぅ。……すぅ。……むにゃ」


 美也が胸元でぐっすりと眠っている。

 俺にぴったりと身を寄せていた。

 美也の柔らかさと温かさが服越しにじわっと伝わってくる。

 美也は細身に見えるが、抱きしめてみればちゃんと女性らしい凹凸がある。

 ただそれを感じても、胸の高まりよりもまず先に安堵を覚える。

 起きたばかりなのに眠気が襲ってきた。


「まあ、いいか。日曜だし」


 うるさいアラームを消す。

 日曜くらいだらだらしたって罰は当たるまい。


「……♪」

「そうだなあ、気持ちいいな」


 こちらが抱きしめると、美也の方もぎゅっと抱きしめ返してくる。

 眠っているはずなのだが、赤ん坊の把握反射――手のひらにものが触れると握りしめてくる原始反射――のようなものだろうか。

 今日はずっとこうしていてもいいくらいだ。

 

 頭がぼーっとしてくる。

 そうして何時間経ったのだろうか。


 もう起きる気力もない。

 ふと、時計に目を向ける。


 午前十時過ぎ。

 

「……十時?」


 ちょうどその時、インターホンが鳴った。

 

『兄ぃ~、来たよ』

「ゆ、祐奈?」


 エントランスではなく、もう部屋の前まで来ていた。

 宅配業者と一緒にエントランスを抜けたのか?


『起きてる?』

「起きてるよ!」


 起き上がろうとして、美也に捕まる。


「……むぅ」

「ちょ、美也。離してくれないか?」

「……ん~」

「寝ぼけている場合じゃないんだよ」


 足まで絡めてくる。

 プロレス技をかけられたように、四股を完全に固定される。

 

『ちょっと、兄? 早く入れてよ』

「あ、おい、ちょっと待て! だめだ! 入るな!」

『なんで?』

「だからちょっと待てって!」


 何とか美也の腕から抜け出そうとする。


『あ、鍵空いてる』

「何っ⁉」


 まさかよりによって昨夜鍵を閉め忘れたのか。


『入るよ~』

「おい! ちょ――」

「おっはよう、兄! ひさしぶ――」


 目が合った。

 

「……むにゃ」

 

 相変わらず美也はベッドの上で俺の体に抱き着いたまま。

 それを見た祐奈は時が止まったように固まったまま。


 そして、祐奈が急に携帯を取り出した。


 ――カシャ。


 シャッターを切る音。


「……お母さんに報告しとこ」

「おいやめろぉ!」


 ♢


「は、初めまして。黒瀧祐奈です。よろしくお願いします」

「……」


 美也と祐奈が向き合い、ぺこりと挨拶する。

 まるでお見合いのような、ぎこちない空気だった。


「こちらは白石美也だ。よろしくってさ」

「は、はあ。こちらこそ」


 さすがの祐奈といえども、話さない相手にどう距離を取ればいいのか決めあぐねているようだ。


「で、お二人はどういう関係?」

「どう、といわれても」


 俺と美也の関係を一言で表すのは難しい。

 居候という言葉にすると、少し関係が淡白に思えてしまう。


 かといって付き合っているわけでもない。

 もうすでに親友より身近な存在に感じているはずなのに、それを示すのに適した表現が見つからなかった。


「恋人……ってわけでもないでしょ?」

「……?」


 美也はこてんと首を傾げる。


「まあ、恋人ではないな。ちょっと色々と事情があって」


 祐奈には、美也が生まれつき言葉を話せない障がいを持っていること、それを治すために一緒に生活していることまで説明する。

 さすがに公安だの、首相の娘だの、という点は省く。


「へえ、そんな病気が」


 祐奈は疑いもせずに、俺の話に相槌を打つ。


「だからしばらく一緒に暮らしている」

「しばらくって……どれくらいなの?」

「そんなの知るか」


 元々美也は一方的に押し付けられたといっていい。

 病の治癒が主な目的だが、美也を世間から隠す必要もあった。

 一体美也が、どれくらいの間うちで暮らすことになるのか、まだよくわからない。


 だが、上の二つの条件が満たされれば、美也はうちで暮らす必要はない。

 美也だって、まさかずっとここにいるつもりはないだろうし、親である白石首相も保護者である新田も、そう思っているはずだ。


「このこと、あんま友達には話さないでおいてくれるか?」

「え? なんで?」

「この話を広められると、ちょっと困るからな」

「お母さんには?」

「母さんはこのことを知ってる。父さんもな」

「そうなの?」


 新田が美也と一緒に暮らすことを頼み込んだ時に、「親にはすでに確認を取っている」という旨をいったはずだ。


 どんな鼻薬を使ったのか知らないが、両親はこのことを黙認している。


「私知らなかったんですけど」

「知る必要はないだろ」

「あるでしょ!」


 自分だけが仲間外れにされたと思ったのか、祐奈が口を尖らせる。

 

「それより、星くんはどうした?」

「新一? 今日は現地集合なの」

「お隣さんなのにわざわざ現地集合かよ」


 星新一ほししんいちは祐奈の幼馴染であり彼氏である。

 家が隣同士だったこともあり、俺とも面識がある。


 幼い頃は弟のように可愛がったこともあった。


「もうそろそろ来るはずだけど……」 


 ――ピンポーン。


「言ったそばから、だな」


 モニターを覗く。


『お久しぶりです、秀斗さん。星です』


 童顔の男子高校生が人懐っこそうに笑う。

 

「久しぶり。今開ける」


 エントランスの扉を開錠する。

 ほどなくしてもう一度インターホンが鳴る。


 玄関に向かい、扉を開けた。


「どうも、おはようございます」

「おはよう、星くん。祐奈は先に上がってるぞ」

「すいません、日曜日なのに。迷惑ですよね」

「よせって。今更だろ」

「ですね」

「さ、上がって」

「お邪魔します」


 礼儀正しく礼をしながら部屋に入っていく。

 祐奈の姿を認め、そして美也と真正面から目が合ってしまう。


「……」

「うおっ! な、え、どちら様ですか?」

「……とりあえず座ってくれ」

 

 星くんにも、先程と同じ説明を繰り返す。

 美也はその間、お気に入りの枕を抱きながら二人を交互に見やる。

  

 じっと、まるで新種の虫を観察するかのように。

 表情が変わることはない。

 少なくとも、警戒の色は示していなかった。


「はえ~、そんな病気があるんですね」


 祐奈と全く同じリアクションを取る。


「仲良くしてくれよ?」

「それはもちろん」


 星くんは美也に笑いかける。 


「……」


 目を合わせてはいるものの、美也が反応を返すことはない。

 にこりともしなければ、眉をピクリとも動かさない。


「あ、あれ? 僕さっそく嫌われちゃいました?」

「そんなことはないと思うが」


 思えば、美也が人前で笑うところを、俺は一度も見たことがない。

 元々、笑わない子なのだろうか。


 それとも、作ったような表情ができないのか。



「ともかく二人とも、試験が近いんだろ。勉強するぞ、勉強」

「は~い」


 二人は鞄から参考書や問題集を取り出し、机の上に広げる。


「わからないところあったら、ちゃんと教えてよ、兄」

「わかる問題だったらな」

「秀斗さん帝東大の学生なんですから、余裕ですよ」

「どうだか。もう高校の授業なんて八割覚えてない」


 国語や英語はともかく、数学は一年生の問題でも解ける自信がなかった。


 星くんは既に問題集を広げ、問題に集中している。

 だが、祐奈は何かじれったそうにペン先で机の上を小刻みに叩いていた。


「……あのさ、兄。ずっと気になってたんだけど」

「なんだ?」


 祐奈は美也に視線を向ける。


「何で美也ちゃんは、YES/NO枕を抱いてるの?」


「――……あ」

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