第16話 「……お母さん」

「別におかしな話じゃないだろ。お前くらいの歳で、彼氏の一人や二人できたくらい」

『兄はその歳で彼女できたことないくせに」

「うるせえ。関係ないだろ」

『で、どうなの? 日曜空いているの?』

「……ちょっと待て」


 台所に戻る。


「美也、ちょっといいか?」

「……?」

「日曜にさ、妹と、その彼氏がうちに遊びに来るんだけど」

「……」

「招いてもいいか? 美也が嫌っていうなら、断るが」

「……♪」


 美也はにっこりと笑顔を見せた。


「それは、オーケーってことでいいのか?」

「……(こくり)」

「そうか。ならよかった」


 ほっとする。

 やはり美也は、特別人見知りというわけではないようだ。

 

 

 我が妹は兄と違って対人能力に優れている。

 クラスメイトどころか、同じ学年の女子全員の連絡先を把握しているらしい。

 

 あいつなら、美也とも仲良くなれるはずだ。

 星くんは知らないが。


 電話に戻る。


「確認できた。大丈夫だぞ、日曜日」

『確認って、一体何の確認してきたの? 兄は一人暮らしなのに』

「別になんだっていいだろ」

『あ、もしかして彼女? ……なわけないか』

「自己完結するな。一応尋ねろ」

『じゃあ、彼女?』

「違う」

『やっぱ違うじゃん』


 電話越しに呆れたようなため息が聞こえる。


「複雑な事情があるんだよ、こっちにも」

『複雑ねえ』


 毎度言葉を濁すにも限界がある。

 毛利や張本先輩は美也について深く追及はしてこなかったものの、妹となると話が違う。

 普通は家族に打ち明けない秘密事でも、俺たち兄妹は共有してきた。

 

 俺だけが星くんの話を知っているのが何よりの証左であるし、俺が密かにムフフな本を買ってきた時も「見てくれよ、これ! すげえだろ⁉︎」と、戦から帰ってきた侍が討ち取った首を自慢げに晒すように、妹に見せたこともある。


 俺は美也の秘密を、妹に隠し通せるだろうか?

 今までのように「従妹」と偽ることもできない。


「じゃあ、日曜日に待ってるからな」

『お菓子とジュースの準備よろしく』

「図々しいヤツだな。自分で買って来いよ」

『だってお小遣いもうないんだもん』

「俺がくれてやったお年玉はどうした?」

『もう使い切っちゃった』

「はぁ~、金遣いの荒い妹だこと」


 だから最後までお年玉あげるか迷ったというのに。

 来年はもうなしだな。


『そもそも五千円なんて、あっという間になくなっちゃうよ』

「高校生の身でお年玉貰えるだけありがたく思うんだな」


 俺がお年玉をもらっていたのは小学生までだった。

 祐奈は両親に媚びるのが上手い。

 そんな妹に、両親も甘かった。

 まあ、俺もせっせとお年玉を用意していたのだから、大概甘いが。


「じゃあな」

『うん。ありがと。じゃあね』


 電話が切られた。

 携帯をポケットにしまう。


「ごめんな、美也。また人を招くことになりそうだ」

「……」


 美也は気にしなくていい、と首を振る。

 一旦台所を離れる。

 手帳を取り出し、開いた。


 空白の日曜日の予定を埋める。

 

「全く、俺の家は公民館かよ」


 手帳をしまったところで、インターホンが鳴った。

 思わず、眉根を寄せる。

 時刻は七時を回っている。

 こんな時間に家を訪ねてくる奴を、俺は一人しか知らない。

 

 モニターを覗く。


『よう』


 頬がこけた男が、不敵に笑っていた。


「……どうも」

 

 ♢


「――で、進捗の方はどうなんだ?」

「進捗、というと?」


 俺は食卓に料理を並べていく。

 その間も、新田は我が家にいるかのように胡坐をかいていた。


「なぜ美也をお前に預けたのか忘れたか? 病の治癒が目的だったはずだ」

「今のところ、特に変わったところはありませんね」


 食事の席に着く。

 美也がそっと隣に座った。

 美也は食事する時はいつも正座だった。


 お坊さんのように、姿勢がいい。


「相変わらず、喋る予兆は何も」

「そうか、まあまだそんなものだろう」


 箸を持つ。


「いただきます」

「……」


 手を合わせ、料理を口に運んだ。

 今日も料理の質は変わらない。

 美也もだいぶ料理の手順を覚えるようになったが、腕が上達したわけではない。

 時間が短縮されただけだ。


「美也、コイツとは仲良く暮らせているか?」


 新田が美也に尋ねる。

 美也が箸を止める。


「……♪」


 美也は元気よく頷いた。

 何一つの憂いも迷いも偽りもない笑顔を見せる。

 子供のような無邪気さも、大人のような妖艶さも同時に感じ取れるのだから、不思議なものだった。


「よかったな、お前。嫌われてなくて」


 内心、少しほっとしたことは心にしまっておく。

 美也に何か不平不満があっても俺には汲み取ることができない。


 俺の前では上機嫌に見えて、本当は顰蹙ひんしゅくを買っていたのではないかと思うこともある。


「実はこの料理、美也と一緒に作ったんですよ」

「美也と?」

 

 珍しく、新田は目を丸くする。

 民衆がテロリストに攻撃された、といわれてもこの男はこんな顔を浮かべないだろう。


「一応尋ねますけど、美也に料理の経験は?」

「ない。あるはずないだろう。包丁すら握ったこともないんだからな。で、実際どんな味だ?」


 新田は傍に置いてあった爪楊枝で料理を口に運ぶ。

 草食動物のように、ゆっくりと咀嚼する。


「……微妙だな」

「やっぱそうですか」


 元より人に振る舞うわけではない。

 自分たちで食べる分には、腹さえ満たせればそれでよかった。


 美也も、今の食事に不満を抱いてはなさそうだった。

 美味い料理を食べたいなら、外食をすればいい。


「揃いも揃って料理が下手くそとはな」

「でも、美也は箸の持ち方綺麗じゃないですか?」

「箸の持ち方?」

 

 思わぬ指摘だったのか、新田は美也の手元を注視する。

 美也は一瞬きょとんとした顔をしたが、気にせず食事を続けた。


「綺麗な持ち方なんて知らないからな。比較もできん」

「知り合いがいうには、すごく綺麗みたいですね」

「その箸の持ち方が一体どうしたんだ?」

「美也が入退院を繰り返す前は、それなりにいい教育を受けていたんじゃないかってことです」

「なるほど。まあ、確かにあの母親ならあり得るな」


 そういえば、美也の身元を引き受けていたのは三年前に亡くなったという母親だったか。


「どんな人だったんですか、その人」

「実際に会ったことがないから、俺も詳しいことは知らんが」

「……っ」


 母親の話になった途端、美也は箸を止めた。

 咀嚼すらも中断し、頬を膨らませたハムスターのような状態のまま新田の話に聞き入る。


西ノ宮にしのみや家って知ってるか?」

「なんですか、それ」

「東日本じゃそこまでだが、西日本では有名な名家だ。代々医者や薬師を輩出している」

「医療に従事している家柄ってことですか」

「まあな。美也の母親は、その西ノ宮家の一人娘でな。んで、二十歳になったころにお見合いの話が舞い込んできた」

「それが、白石玄水ってことですか?」

「いいや、違う。実のところ、この段階から白石玄水と美也の母親は密かに付き合っていてな」

「実家に黙って、ってことですか」

「当時の白石玄水はテレビにも出ていないし、全然有名でもなかった。多分政治活動だってまだ行ってなかったんじゃないか? つまりただの一般人と変わらなかったわけだ。西ノ宮家が交際を認めるわけもなくてな」

「それで、どうなったんですか?」

「駆け落ちだよ、駆け落ち。西日本から、関東に逃げてきたんだ。そしてしばらくして、二人の間に子が産まれた」

「……それが、美也ってことですか」

「そういうことだ」


 おおよそ現実とは思えない、まるでよくできた演劇のシナリオでも聞いているかのような気分だった。

 だが、隣にいる美也の存在が、今の話が現実であることを教えてくれる。

 一気に頭が冷えていった。


「でも、結局二人は袂を分かったんですよね? なぜなんですか?」

「……っ!」


 美也は箸を置き、口の中の食物を呑み込んだ。

 


「さあな。それは調べてもわからなかった。まあ、昔は熱々だったのに結婚すると急に冷めるなんてよくある話だろ?」

「かもしれませんけど」


 腑に落ちない。

 単に別れたというには、白石首相の行動が不自然なのだ。


 白石首相は美也の母親と別れてからも、美也への支援は続けていた。

 愛想を尽かした女との間に生まれた子に、リスクを冒してまで支援を続けるだろうか。


「……」


 美也は箸を動かし始める。

 何事もなかったかのように、食事に戻っている。


 新田も、もう興味を失ったかのように爪楊枝で料理をつついていた。


 だが俺には、ずっと心に何か引っかかっていた。

 胸を掻きむしりたくなるような違和感だった。


 なんなんだ、この違和感は?

 

 

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