第14話 「……もっと撫でて?」

「何事だ?」


 俺は慌てて二階に駆け上がる。 

 まさか、美也に何かあったのか?

 張本先輩が何かしたのか?


「何があったんだ⁉」


 休憩室に飛び込む。

 

 張本先輩が腰を抜かしたように倒れているのが、見えた。

 驚愕と衝撃に目を見開き、金魚のように口をパクパクさせている。


 今にも泡を吹いて失神していまいそうな顔色だった。


「ど、どうしたんですか、張本先輩」

「め、目の前に、女神が……」

「はい?」


 張本先輩が指を向けた先には――


「……?」


 状況が呑み込めず、首を傾げる美也がいた。


「ま、まさか、拙者は死んだのでござるか?」

「生きてますよ」

「ということは、ここは天国でござるか!」

「職場ですよ」

「これが、異世界転生ッ……!」

「どこに行く気ですか」

「女神様、チートくださいでござる!」

「いい加減にしろよ」


 後頭部を叩く。


「はっ! 黒瀧氏! なぜここに!?」

「なぜも何も、ここ職場ですよ」

 

 張本先輩は目を白黒させる。

 長い沈黙。

 張本先輩が重たい口を開ける。 


「で、ではこの女神さまは……」

「……?」

「女神でも何でもないですよ。ただの女の子ですよ」

「黒瀧氏は、この女子おなごと知り合いでござるか?」

「まあ……従妹です」

「嘘つくなでござる! どこをどう見ても赤の他人でござる!」


 またしても一瞬でバレる。

 まあ、俺からしても美也のような女の子が従妹だといわれても、絶対に信じられないだろう。


 美也は、常人とは纏う気配が違う。

 傍から見ればお嬢様のような高貴さ、接してみれば幼女のようなあどけなさ、そして喋れないという障がいもあって、初めて会う人にしてみれば距離感がまるで分らないのだろう。


 だからこそ、独特の雰囲気を彼女から感じるのだ。



「今は、従妹ってことにしてもらえませんかね? いろいろと複雑な事情があって」

「複雑な事情?」

「とりあえず、そっとしてもらえません?」

「黒瀧氏がそういうのなら、構わないでござるが……」

「ありがとうございます」

「……」


 どこかぽかんとした表情の美也と、目が合った。


「あ、美也。大丈夫だ。なんともないぞ」


 腰を抜かした張本先輩を立たせる。


「さあ、さっさと行きますよ、先輩」

「う、うむ。わかったでござる」


 一階に降りると、案の定そこに毛利が待ち構えていた。


「何があったんっすか?」

「何でもない。先輩の思考が次元の狭間を彷徨っただけだ」


 毛利がはあ、という顔をする。


「全くびっくりしたでござるな……目の前にいきなりあのような女子がいようとは」


 張本先輩はブツブツ言ってはいるものの、これ以上言及してくる気配はない。

 物分かりが良くて、助かった。


「仕事に戻るぞ」


 ♢


 そして、時は昼下がりに戻る。


「待たせてごめんな、美也」

「……っ」


 休憩室で待っていた美也が、俺に気付く。

 すると美也がリュックから、弁当を取り出した。


「まだ食ってなかったのか?」

「……(こくり)」

「わざわざ俺を待たなくてもよかったのに」


 いつ休憩に入れるかわからないため、昼食が遅くなることも多い。

 最悪三時過ぎということもあり得る。


 だが美也は、どうしても一緒に昼食を食べたかったようだ。


「じゃあ、一緒に食べようか」

「……♪」


 美也は上機嫌そうに微笑む。

 俺は美也の隣に座った。


「……」


 美也が静かに肩を寄せる。

 自然と距離が縮まる。


「この距離だと、少し食べづらくないか?」


 美也が首を振る。

 少しでも腕を動かせば肩が当たりそうなのだが、美也は全く気にしていないようだった。


「そうか」


 まあ、美也がいいなら、いいか。

 幸い俺は美也の右側に座っているので、身を寄せられても右手は自由だった。

 

 弁当箱を開ける。

 美也の方も、同じく弁当箱を開けた。

 

 全く同じ内容の料理が、二人の弁当に詰まっている。

 

「いただきます」


 同時に、箸を口に運ぶ。


「……うん。微妙だな」

「……♪」



 おいしいともマズいともつかない弁当。

 焼き加減、味付け、形、盛り付け。

 全てが微妙。

 しかしそれを、美也はおいしそうに食べる。


「おいしいか?」

「……(こくり)」

「そうか」


 俺は美也の頭を、そっと撫でる。

 なんとなく、特に何か考えがあってのことではない。


 気づけば俺の手が美也の頭の上にあった。

 絹のようなすべすべとした感触が手に伝わる。


「……っ!」


 美也は驚いたように俺の顔を見上げた。

 俺と目が合う。

 しかし、すぐに気持ちよさそうに目を細める。


「……んぅ♪」


 美也の身体が、少し傾く。

 美也の肩と俺の肩がぴとっと、くっつく。

 まるで俺に身を委ねるかのように。

 

 ――なんだこの雰囲気は。


 息がつまる。

 美也の体温、息遣い、髪を撫でる感触。

 体と意識が離れていくような高揚感を覚える。 

 


 俺は、一体どうなってしまうんだ?


「……うわぁ」

「ハッ!?」

「なにやってんすか、黒瀧先輩」


 パッと体を離す。

 その時、美也が「……あ」と寂しそうな声が耳に残った。


「毛利? お前、いつからそこに?」

「『待たせてごめんな、美也』からっすね」

「それ最初からじゃねえか。なんでお前がここにいるんだ」

「私もあの後休憩貰ったんですよ」


 毛利は俺たち二人の向かい側に腰かけた。


「それにしても、さっきの何すか。急にイチャイチャしちゃって」

「べ、別にイチャイチャしてないし……」

「してたじゃないっすか。頭なでなでしてたじゃないっすか」

「これは……イタいのイタいの飛んでいけ、をしていただけだ」

「言い訳見苦しすぎません?」


 美也は黙々と食事を続ける。

 毛利は好奇心を隠そうとせず、身を乗り出してくる。


「で、お二人は一体どんな関係なんっすか?」

「深い事情があるんだ。非常に深い事情がな」

「その事情って?」

「ややこしい話なんだ。察してくれ」

「なんすかそれ」


 毛利はこれ見よがしに口をへの字に曲げて、不満を訴える。

 だが、口を割ることは難しいと悟ったのか、乗り出した体を背もたれに預けた。


「それにしても、今日お弁当なんっすね」

「ああ。今朝つくってきた」

「自炊始めたんっすか?」

「まあな」


 さすがに俺と美也が一緒に暮らしていることまでは、気づいていないようだ。


「てか、すげえ箸の持ち方綺麗っすね」

「ん? 俺か?」

「黒瀧先輩じゃなくて、ええと——」

「美也だ」

「美也ちゃんの方っすよ」


 美也の手元を見やる。

 箸の持ち方といっても、元々正しい持ち方など知らない。

 綺麗かどうかもわからなかった。


「そんなに綺麗なのか?」

「私おばあちゃんっ子で、よくおばあちゃんから箸の持ち方注意されてたんっすよ。だから箸の持ち方には気を付けてて」

「そうなのか」

「美也ちゃんの持ち方すごく綺麗っすよ。きっと私と同じおばあちゃんっ子っすね」

「……?」


 美也はきょとんとした反応を見せる。

 指摘されて初めて気づいた、といったリアクションだ。


 そういえば、美也は俺の元に来る前はどんな生活を送っていたのだろう。

 母親の元で育ち、入退院を繰り返していたことくらいは、新田から聞いている。


 しかしそれがどんな生活だったのかは聞き及んでいない。

 その母親がどんな人物だったのかも、どういう経緯で亡くなり、その後美也は何をしていたのかも。

 

 

 俺は、美也のことを何も知らないんだな。

 

「テレビつけよっと」


 毛利がテレビの電源を点ける。

 ちょうど昼のワイドショーが放送されていた。


 臨時国会の様子が映し出されている。

 でかでかと画面の中央に映った人物に、俺は箸を置いた。


 ――白石玄水首相。


 

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