第13話 「今日は……一緒にいさせて?」

「赤でござる」

「いやいや、黒っすよ!」

「灰色だな」


 目の前の道路で、白色のバンが通り過ぎる。


「あ~、外した~」


 昼下がり、某所のガソリンスタンド。

 給油スポットには一台も車が止まっていない。


 平日の昼は、やはり交通量が少ない。

 必然的に客が減る。

 客が減るということは、スタッフが暇を持て余す。


 おまけに、ここはセルフ式のガソリンスタンドであるためスタッフは給油作業も窓ふきもしない。

 外で延々と立っているのが仕事の大半だ。


「今日洗車も入ってないっすね……」


 作業帽を外し、汗を拭うのは大学の後輩毛利日菜子もうりひなこだった。

 ポニーテールの髪を掻き上げ、汗ばんだうなじをタオルで拭いた。 


「まあ、梅雨だしな」

「代わりに夏は大変でござるよ? 洗車の依頼が絶えないでござる」


 ござるござるとうるさいのは、大学の先輩張本隆はりもとたかしである。

 男にしては長い、目元まで届くボサボサの髪とメガネ、おまけに特徴的な「ござる」口調は見るからにオタク、といった風貌だ。


 二人はともに帝東大の工学部機械工学科に所属しているため、バイト以外でもかかわりがあるようだ。

 俺はバイトで二人と一緒に働くうちに、自然と輪に加わるようになった。


「でもやっぱ、蒸し暑いっすね~。蒸発しちゃいそうっす」

「髪が長いと蒸れるでござるからな」

「ポニーテールを前に垂らしたらどうだ? 肩に乗せるみたいに。そしたら蒸れないだろ」

「黒瀧先輩、わかってないっすね」


 毛利はやれやれといった様子で首を振る。


「実はつい最近までそういう髪型にしていたんっすよ」

「そうだったのでござるか、毛利氏」

「でもそれを店長に、『肩にウ〇チが乗っかってるみたいだ』って笑われたんっすよ。信じられませんよね。女の子の髪を何だと思って……」

「だから元に戻したの?」

「ウ〇チっていわれた髪型をそのままにしておくと思います?」


 毛利は髪を茶色に染めているため、確かにそう見えなくもないか……。

 さすがにウ〇コに喩えるのはないだろう。


『黒瀧くん。昼食入っていいよ』


 事務所に居座る店長からインカムが飛んでくる。


「了解。……じゃあ、飯行ってきます」

「おっす、了解っす」

「いってらっしゃい、でござる」


 作業帽を脱ぎ、休憩室に入った。


「……っ」

「待たせてごめんな、美也」


 休憩室にポツンと、美也が座っていた。


 ♢


 時間は今朝に戻る。


「それじゃあ、俺はバイト行ってくるから」


 作業靴を履き、外に出ようとしたところで、手首をぐっと掴まれる。

 思わず、たたらを踏む。


「~~っ」

「ど、どうした?」


 美也が上目遣いでこちら見ている。

 少し悲しそうな、もし犬だったら尻尾と耳がシュンと垂れたような雰囲気を漂わせていた。


 俺の手をぎゅっとしてくる。

 離してくれる気配ない。

 

「俺と一緒に来たいのか?」

「……(YES)」


 枕で自己主張する。


「でも、さすがにバイト中は一緒にいられないぞ? 休憩室で待つことになるけど……それでもいいのか?」

「……(YES)」

「……わかった。じゃあ、行こうか」


 俺も美也を長時間一人にさせるのは、本意ではない。


 店長に事情を説明すれば、何とかなるだろう。

 一緒に車に乗る。

 そういえば、美也と一緒にお出かけするのは初めてではないだろうか。


「……♪」


 さっきの悲しげな色は消え、今は窓の外に流れていく景色を、美也は興味深そうに眺めていた。

 いつも大学に行くときはむしろ見送ってくれるはずが、今日に限っては、引き留める。


 今日はそういう気分なのか?

 彼女も、一人でいることが途端に嫌になってしまうものなのか?

 


 十分ほど車を走らせ、バイト先にたどり着く。

 邪魔にならないスペースに車を停めた。


「さて、着いたぞ。行こうか」

「……っ!」


 今度は袖を引っ張られる。


「うお、今度は何だ?」

「……」

「あ、弁当」


 昨夜のこともあって、朝食を除けば料理は一緒にするようになった。

 まだ二人とも手際よくできるわけではないし、料理の質が向上しているわけではない。

 それどころか料理下手が二人合わさったことで、効率が一人の時よりも悪くなった気さえする。


 だが、それでも構わないと思うのは、美也が楽しそうな表情を浮かべているからだった。


 美也から、今朝一緒に作った弁当を受け取った。

 一緒に事務所に入る。


「あ、黒瀧先輩! おはようございます!」


 毛利に声を掛けられる。


「おはよう」

「あれ?」


 隣の美也と、目があった。


「先輩……職場に女連れですか」

「違う。そんなんじゃない」

 

 軽蔑の眼差しを向けられそうになり、ゴホン、と咳払いする。


「……従妹だ」

「うっそだぁ!」


 バレた。


「嘘だとしても、もっとマシな嘘ついてくださいよ!」

「そんなにすぐバレるかねぇ」

「で、一体何なんですか? その隣の――」

 

 美也が、毛利の目をじっと見詰めている。

 

「あれ、なんっすか? 私のことじっと見詰めて」


 美也は視線を外さない。


「それしても、綺麗な目をしてますね。髪色といい。どこでこんな逸材を捕まえてきたんですか?」

「捕まえてない」


 ふと、美也は毛利から視線を外した。

 特に毛利を警戒するような仕草も表情もしていない。


 無害と認められた、ということだろう。

  

 美也は初対面の人と必ず目を数秒合わせる。

 新田曰わく、美也は危険察知能力と警戒心が野生動物並みに高いようで、その類まれな感性で自分にとってその人が害か無害か判断しているようだ。


 まあ、その割には男の家にのこのことついてきたり、風呂に入ったり、挙句の果てに一緒のベッドに寝たりと、行動に矛盾も多い気がするが。


「それより、店長はいるか?」

「いるっすよ。奥に」

「そうか。事情は後で説明するから、まずは店長に話を通してくる」

「了解っす」


 事務所の奥に向かう。

 パソコンの前で、書面と向き合う店長がいつも通りそこにいた。


「店長、おはようございます」

「黒瀧、おはよう――おや」


 やはり、隣の美也に目が行く。


「ここは関係者以外立ち入り禁止なんだが」

「すいません……この子は、俺の従妹でして」

「あら、そうなの」


 何の疑いもなく俺の言うことを信じるあたり、だいぶチョロい。

 

「ちょっと事情があって……美也を休憩室で待たせてもいいですか?」

「ん? まあ、黒瀧がそう言うなら別にいいけど。仕事の邪魔にならなければ」

「ありがとうございます」


 二階に上がり、休憩室で美也を待機させる。

 ここなら空調も効いている。

 待つだけなら、辛い環境でないはずだ。


「暇だと思うけど、仕事が終わるまでここで待っててほしい」

「……(こくり)」

「よし。じゃあな」


 一階に降りる。

 店長はもう興味を失ったかのようにパソコンと向き合っていたが、毛利はやはり事情を聴きたそうにこちらを見ていた。


「で、一体何者なんすか、あの子」

「あの子って……お前と同い年だぞ?」

「え、そうなんすか? てっきり年下だと」

「別に幼い見た目でもないだろうに」

「なんていうんすかね……彼女見てると庇護欲を掻き立てられるんですよね。見た目じゃなくて、雰囲気が幼いっていうか」

「そうなのか」


 まあ確かに、庇護欲が掻き立てられるというのは俺も薄々感じていることだった。


「おはようでござる」

「あ、張本先輩。おはようございます」

「おはようございます」


 俺から遅れて数分、張本先輩が出勤する。


「店長は相変わらず奥でござるか?」

「パソコンと睨めっこしてるっす」

「まったく、あの様子だと我々に隠れてAV見てても不思議ではないでござるな」


 呆れたように張本先輩は眉を上げる。


「荷物を二階のロッカーに置いてくるでござる」


 そういって、張本先輩は上へあがる。


「で、結局あの子はなんなんっすか?」

「まだ続いてたのか、その話」

「だって気になるじゃないっすか。黒瀧先輩、今まで浮ついた気配一度もなかったのに」

「これには深い事情が――」



『ぬわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼』



 二階から絶叫が聞こえてきた。

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