第12話 「私だって……」

「え~と、このタイミングで醤油を入れるのか? 別のサイトにはもっと後って書いていたんだが……」


 台所と冷蔵庫を忙しなく行き来しながら、俺は今日の夕食を用意していた。


 一週間前の俺は、まさか台所に立ってレシピを見ながら四苦八苦する羽目になるとは夢にも思わなかっただろう。


「ムムム……なぜ料理はこんなにも難しいんだ」


 自分の家庭力のなさに嘆きをこぼす。

 そもそも、中学高校の家庭科の授業だって、全科目の中で一番成績が悪かった。


 ――あなたは、料理ができる奥さんを持った方がいいわね。


 家庭科の先生に、そういわれてクラスメイトに笑われたことを思い出す。

 なるほど、料理できないなら将来の彼女か奥さんにやってもらおうという話か。

 単純で、わかりやすい。


 だが、もしその奥さんとやらが料理ができない場合はどうするつもりだったのだろう。


 過去の俺に尋ねてみたかった。


「……」

「うおっ、またそんなところに」


 気配もなく背後に立っていた美也が、こちらをじっと見詰めている。


「な、何だ? 料理はまだ始めたばかりだけど」


 違う。

 美也は何か訴えたがっている。


 少しじれったそうな顔をしている。


 だったら何だ?

 何を訴えたいんだ?


 俺が胸の内を察せないことに気付いたのか、美也は俺の方ににじり寄る。


「あ、ちょっと」


 俺の携帯の画面をのぞき込む。

 画面には俺がさっきまで参照していた調理レシピが載っている。

 いつになく真剣な顔をしていた。


「……」

「……もしかして」

「……」

「料理がしたいのか?」

「……っ」

「そうなんだな?」

「……(こくり)」


 今度は何かを乞うような目で俺を見てきた。 


「料理を教えて欲しいのか……」


 正直何も教えることができない。

 むしろ俺の方が専門家に教えを乞いたいくらいだ。


 強いて言うなら包丁の切り方くらいか?


「じゃあ、まず包丁握ってくれるか」


 包丁をそっと手渡す。


「……」

「そんな暗殺者の武器みたいに逆手に握らなくても……」

「……?」

「普通にこう握るんだよ」


 美也の手に、俺の手を重ね、一緒に握る。

 なぜなのか、抱き合って寝るという遥かに大胆なことをしているはずなのに、手を握るという行為に顔が熱くなる。


 考えてみれば、抱き合っている時点で恥ずかしさを感じないことがおかしな話だった。

 

「まず、猫の手してみてくれないか?」

「……にゃん」

「招き猫みたいなポーズはしなくて、いいぞ」


 語尾に少し笑いを含ませてしまった。


「で、この手で押さえて、包丁で切るんだ」 


 美也の左手を握る。

 美也の身体に腕を回すことになるので、自然と俺が後ろから抱きしめるような体勢になっている。

 

 実際に食材を切ってみる。

 

 やはりこうして抱きしめると、安心感が湧いてくる。

 あらゆるストレスから解放されるかのような安堵。

 手を握った時は死ぬほど恥ずかしかったのに、何でこんなに安心できるのか。


「一人でやってみるか?」

「……(こくり)」


 手を離す。

 体が離れる。 


 目まで離して大丈夫か?


 火加減を見るつもりでも、やはり美也の方が気になってしまう。


 ふと注意を逸らした隙に手を切ってしまうのでは?

 怪我して、ばい菌が入ってしまうのでは?

 それは、一大事では?


 妙にいたたまれなくなってしまう。


「やっぱ俺が包丁使うよ」

「……?」

「美也は火の方を見ていてくれ」

「……(こくり)」


 場所を入れ替わる。

 そうだ、美也に刃物を持たせるのは危なっかしい。

 手を切ってしまったら新田にガミガミ言われそうだし。


 火を見てもらう方が安全――


「ん?」


 いや、待てよ。

 もし熱した油が美也に飛んできて火傷ができてしまったらどうするんだ?

 あの白い肌に、一生傷が残ったら?

 

 それは、一大事だ。


「やっぱり、火の方は俺が見ておくよ」

「……??」

「美也は……ゆっくりしていてくれ」

「……むぅ」


 美也は頬を膨らませる。

 

「むぅ!」

「いたっ、いたたっ!」


 ポコポコと俺の胸を叩いてくる。

 眉を顰めいかにも、不機嫌です、といった顔をしていた。


「俺、機嫌損ねるようなこと言った?」

「むぅ」


 美也の黄金色の瞳が細められる。

 怒っている。


 言葉がなくても、それくらいはわかった。

 怒り方は笑みをこぼしそうなほど愛らしいのに、目を合わせてしまうと途端に萎縮してしまう。


「ご、ごめんな」


 とりあえず、謝る。

 すると美也は俺の胸を叩くのをやめる。


「……む」


 急に、抱き着かれる。


「うおっ」


 柔らかな感触。

 寝るときの、ぎゅっと力を込められる感覚はない。

 

 腕だけを回され、包み込まれるような感覚だ。


「……」


 パッと、体を離される。

 彼女の表情は、元に戻っていた。


「……♪」


 いや、機嫌の方もすっかり直っていた。

 先ほどのように、火の方を見張る。

 


「……仲直りのハグ、なのか?」

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