第10話 「……むぎゅー」

「何です、改まって?」

「お前は確か、心理学を専攻していたな?」

「そうですけど?」

「素人意見で済まんが、だったら美也の……別に俺のでもいいが、表情見ただけで感情とか思考とか、読めるものなのか?」

「……テレビでよく出てくる、メンタリストみたいに?」

「そう、まさにそれだ」


 ふむ、と俺はどう答えるべきか悩む。

 悩んだ末、俺は黙って席を立ち、引き出しからとあるものを取り出した。


 トランプだ。


「ここに、一組のトランプがあります」


 仰々しく、まるで舞台に上がったマジシャンのような口調でいう。


「五十四枚のカードの中から、好きなものを選び取り、覚えてください。俺にいう必要はありません」


 新田にトランプを手渡す。


「何を始めるつもりだ?」

「まあ、余興だと思って」


 新田は急な展開に戸惑いつつも、トランプを広げる。

 念のため、俺は新田に背を向ける。


「……覚えたぞ」


 振り向く。

 トランプは元の状態に戻っている。


 これでは、新田の選んだカードなどわからない。


「では、これから数字を五つ挙げていきます。その中に覚えたカードがあったら、教えてください」


 トランプに意識に集中させるように、目を閉じる。 

 手を、意味もなくくねくねさせる。

 目を開いた。

 

 新田の顔を見詰め、宣言する。


「……スペードの三、クラブの九、ダイアの十、クラブの二、ハートの五」

「あっ」


 新田が思わずといった様子で、声を漏らす。


「ある。覚えたカードがあるぞ」


 ここまでは成功だ。


「じゃあ、その中からあなたが覚えたカードを特定しましょう。俺が今から質問しますから、それにすべて『いいえ』で答えてください」


 再び、新田の顔を覗き込む。

 新田の一挙手一投足、見逃さまいと注視する。


「選んだのはスペードの三ですか?」

「いいや」

「クラブの九ですか?」

「いいや」

「ダイアの十ですか?」

「いいや」

「クラブの二?」

「いいや」

「ハートの五?」

「いいや」

「――……ハートの五ですね?」

「……」


 新田が言葉に窮する。


「……いいや?」

「もう結構ですよ、続けなくて」

「お前、どうやったんだ今の?」

「どうやったと思います?」


 新田は自分の顔をペタペタと触り始める。

 自分の顔に何か書いていないか、疑っているようだ。

  

「ポーカーフェイスには自信があったんだが……」

「表情を読んで数字を当てたと思ってます?」

「違うのか?」

「まさか」


 トランプを一枚、手に取ってみる。

 カードを指で弾き、一瞬のうちに消してみせた。


「最初の質問……『表情見ただけで感情や思考を読めるのか』と聞かれましたけど、結論から言えば無理です」

「だがさっき、俺の選んだカードを当ててみせただろ?」

「世には、心を読んでいるかのように見せかけるトリックやマジックなんて山ほどあるんですよ。さっきのは、その一例にすぎません。言ってしまえば、ただの演出です」


 そして、消したカードを再び手元に戻す。


「練習すれば、誰だってできる。そこに、心理学的な知識は何一つとして必要ない。テレビでメンタリストとか、人の思考を操れると豪語するような人が心理学的な知識を有しているのは、単に自身のトリックに説得力を持たせるために過ぎません」


 心理学という学問は、世間で認知されているほど便利なものではない。

 人の心理現象は、何千、何万という統計を取って初めて認められる。

 しかし実際に論文として出しても、その結果が再現されるものは半分もない。


 心という不安定なものを研究対象とする以上、どうしてもデータに誤差が生じるのだ。


「俺には、美也の心はわからない。読めるものなら、読んでみたいですね」


 カードを置き、トランプをしまった。

 もし彼女の心が読めたなら、それだけでどれだけ楽なのか。

 そして、どれだけ彼女にとってどれだけ救いとなるのか。


 考えるまでもないことだった。


「そんなもんか」

「そんなもんですよ」



 ♢

 

 新田は美也が風呂から上がる前に、帰っていった。


「また来るからな」と言い放っていったが、正直もう二度と来ないでほしかった。

 ただでさえ俺の家は狭い上に、美也も一緒に暮らしているのだ。

 これ以上人を招くスペースがない。


 美也が風呂から上がった後、俺もすぐに風呂に入る。

 上がるまではあっという間だった。


 俺の風呂は短い。

 部屋に戻ると、美也はまだベッドの上で髪を梳かしていた。


 やはり年頃の女子は気を遣っているんだな、と今更ながらに思う。


 しかし長い髪のせいか、思うようにブラッシングできていなかった。


「手伝おうか?」

「……?」

「昔妹の髪を梳かしたことがあってな。意外と評判良かったんだぞ?」

「……」


 美也はしばしヘアブラシに視線を落としていたが、俺と目を合わせると、ヘアブラシを渡してきた。


「ほら、背中向けて」


 相変わらず、美也はベッドの上で女の子座りをしている。

 おそらくだが、これはリラックスしているときの姿勢なのだろう。


 ここに初めて来た時、須郷が来たとき、新田と一緒にいるときはこの姿勢を取らなかった。


 俺の部屋で、俺と一緒のときだけ、この姿勢を取る。

 偶然ではないだろう。


 ブラシを、ゆっくり丁寧に動かす。

 毛先まで引っかからず、するっと抜けていく。


「……すごっ」


 どんな素材でできてんだよ、これ。

 

 ブラッシングを続ける。

 美也の髪が揺れるたび、シャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。

 そういえば、女性用のシャンプーを新田に買わせていたんだった。

 

 どうりでいい匂いだと思った。


「……んぅ」

「あれ、痛かったのか?」


 それにしては妙に艶めかしい声を出していたような気がしたが。


 美也はくすぐったそうに身をよじらせた。


「気持ちいいのか?」

「……」

 

 美也は肯定しない代わりに、肩の力を抜き、俺に背中を預けるように体を傾ける。

 少し腕を回すだけで、抱き着けそうな距離だった。


 内心ドキマギしつつも、ブラッシングを続ける。


「……よし、終わった」


 ブラシを置いた。

 

「今日はもう寝るか」

「……(こくり)」

「電気消すけど、いいか?」

「……っ⁉」


 その言葉に、美也はビクッと体を震わせる。

 俺がリモコンに手をかけた瞬間、美也が抱き着いてくる。

 首に腕を回され、自然と体が密着した。


 結局、今夜も抱き合って眠るのか。

 内心、苦笑いを浮かべる。

 


 電気を消す。


 視力が消失し、残ったのは美也の体温だけだった。


 暑さで寝苦しい季節になってきたというのに、その温かさに不思議と心地よさを感じる。

 

「……」


 俺の身体に回している美也の腕の力が強まる。

 一気に体が密着した。


「み、美也?」


 やはり暗闇が怖いのか?

 美也の顔を見ようと、視線を下げる。


「~~っ」


 目を閉じ、安心しきった表情を浮かべる美也が、そこにいた。


「……そうか」


 美也の背中をそっと撫でた。

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