第9話 「まだ途中だったのに……」

「俺はそろそろ帰るよ」


 時刻は既に夕方に差しかかっていた。

 気づけば早いもので、二人といるとあっという間に時間が溶ける。


「今日は早いのね、珍しい」

「まあ、な。野暮用で」

「んじゃ、今日は解散だな」

「この後二人でどこか食べに行ったりは、しないのか?」

「馬鹿いえ。綾瀬と二人っきりで食事とか、もはやデートじゃねえか」

「今更そんなこと気にする仲でもないだろうに……」

「三人だからこそ保てる距離感って、あるじゃない。そういうことよ」

「……よくわからんが」


 思い出せば、須郷と綾瀬が二人っきりでいたところを見たことがない。

 この二人、実はあまり仲良くないのか?


「じゃあな。また明日」

「ああ、お疲れ」

「お疲れ様」


 部室を出ると、俺は早足で家へ帰る。

 大学から家まで、徒歩十分とかからない。


 しかし、今家で待つ人のことを思うと自然と早足になる。

 彼女は、一人にしておくには心配になる儚さや危うさを持ち合わせているように思える。


 少しでも目を離せば夢のように消えてしまい、また何事もなかったかのように元の日常に戻ってしまうのではないか、と。

 

 一刻も早く帰らないと、と誰かから圧力を掛けられているかのような焦燥感にかられる。

 

 気づけば、マンションの前まで来ていた。

 エントランスを抜け、エレベーターに乗り込み、部屋の前までたどり着く。


 鍵は、開けていた。

 防犯のことを考えたら鍵はかけておくべきなのだろうが、そうすると美也を個室に閉じ込めているようで、嫌だった。

 

「ただいま」


 玄関で靴を脱ぎ、部屋へ向かう。


「……っ」

「お、映画見ていたのか」


 美也は女の子座りで俺のベッドにぺたんとお尻を落としながら、テレビの画面に見入っていた。


 美也が無事に家にいたことに、胸を撫で下ろす。我ながら大袈裟だな、と自嘲した。


「何の映画だ、これ?」


 あまり見覚えのない、映画だ。

 俺の家に、こんな映画あったっけ?


 何となく内容が気になってしまい、美也と一緒にベッドに腰かける。

 内容を簡潔に言えば、バラバラになった家族の絆を描いた感動系のストーリーのようだ。

 主人公は一家の長女であり、彼女の視点で物語が進む。

 家族の再生と並列して、長女は同僚の男性と恋に落ちる。

 

 いい雰囲気になり、そのままホテルへ行き、しっとりした空気が流れ始め――


「ん?」


 なんだ? 

 このシーンだけやけに見覚えが……。


 不意に、DVDプレイヤー近くに置いてあったDVDケースが目に付く。

 裏に付箋が貼ってあった。


『新歓』


「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!?」

「……っ⁉」


 隣で美也がビクッと肩を震わせるのが見えたが、そんなことを気にかける余裕はない。


 慌ててリモコンを掴み、再生を止める。

 

「……?」


 美也が疑問に満ちた顔でこちらを見上げてくる。 


「こ、これ以上はダメだ!」

「…………?」

「こ、こんな映画見たら脳が溶けるぞ⁉」

「――……?」

「だいたい、こんな選んだやつのセンスを疑いたくなる頭のおかしな映画よりも、もっとお勧めの映画があるから‼ 違う映画を一緒に見よう! な?」


 どう見ても納得してなさそうな顔をしていたが、構わずDVDをプレイヤーから取り出し、電源を落とす。


「……」


 そして、心なしか、美也はジトッとした目を向けてきた。


「な、何だ……?」


 無意識に、DVDを背中に隠した。


「別に、あれだぞ? 何か隠し事をしているわけじゃなくてだな……単に俺は映画好きとして……」


 美也の瞳が、俺を射貫いてる。

 目を逸らす。

 このまま目を合わせ続けると、知らず知らずに心の内を暴露してしまいそうだった。


 しかし美也の前で、正確には美也の瞳の前で、嘘をついてしまうと、自分がとんでもない大罪を犯したのではないかという錯覚に陥る。


 見えない大勢の民衆が俺に対して後ろ指を指している光景が、脳裏に浮かび上がる。

 

 美也の細められた目が、元に戻る。

 幻が霧散する。


「と、とにかく! この映画はもうおしまいだからな」


 ケースにしまう。

 

「俺は夕食つくるから!」


 逃げるように台所に向かう。


 あぶっねえ。


 重たい息を吐きだす。

 あとで綾瀬に返しておかないと。この家に置いておくには危険物過ぎる。


 そう決意した瞬間、インターホンが鳴る。

 

「今度は一体何なんだよ……」


 モニターを覗く。


『俺だ』


 お前だったのか。


 頬のこけた中年男――新田である。

 

 ♢


「あっつ!」


 油が腕に飛んでくる。

 

「まだ飯はできないのか?」

「……なんで、アンタそんなにくつろいでいるんですかね」

 

 足を伸ばす新田にげんなりしつつも、俺はネットに載っているレシピを参照しながら料理を続ける。


「え~と、ここで調味料加えるのか……で、火を弱火にして、と」

「おい、この家にビールはあるのか?」

「ここ居酒屋じゃないんですよ。すいませんね」

「水もまだ出ていないじゃないか」

「だから居酒屋じゃないんで」

「おしぼりはどうした?」

「居酒屋じゃないって言ってるでしょう!」

「……ケチ臭い店員だな。どうなっているんだ、この店は」 

 

 店員でも店でもねえよ。


「……」

「うお、美也。そこにいたのか」


 気づけば、美也が脇に立っていた。


「どうした? そんなに腹が空いたのか?」

「……っ」

「……ごめん、女の子にその質問は野暮だったな」

「……」

「何か用か?」


 美也がこちらをじっと見詰めてくる。

 珍しく、真剣な顔だった。

 何か訴えたい事でもあるのか、しかし俺には美也の思考を読み解くことはできない。


「……もう料理ができたぞ。早く食べよう」


 火を消す。


「……」


 少し、美也は残念そうな顔を浮かべた。

 怒っているとか、不機嫌になっているとか、そういう感情ではなさそうだった。

 美也は大人しく、食事の席に着く。


「で、アンタは何故ここへ?」


 俺は我が家にいるかのようにくつろぐ新田に尋ねる。


「理由もなく来てはいけないのか?」

「駄目でしょうね。ここ、俺の家なんで」

「美也の家でもあるだろう?」

「家主は俺でしょう」


 なんでこの男と会話すると、どっと疲れるのだろうか。

 

「で、本当は何の目的で来たんですか?」

「俺の仕事は美也の保護。つまり俺は仕事を全うしているだけだ。ところで、俺のビールは?」

「仕事中だったらビールを頼まないでくれませんかね」


 箸を手に取り、料理を口に運ぶ。


「……微妙」


 ちゃんとレシピ通りつくったはずなのだが、あまりおいしくない。

 味が染み込んでいないのだ。

 やはり俺には、料理の才がないらしい。


「美也、おいしいか?」

「……♪」

  

 美也が顔を綻ばせた。

 お世辞なのか、本心なのか、判断がつかない。


 だが、美也に限って他人の歓心の買うような真似はしないと思う。

 

「そりゃ、良かった」


 食事を終えると、美也はすぐに風呂に入る。

 美也は結構な長風呂である。

 ふくらはぎまである長い髪が原因なのだろう。

 あれは乾かすにも、時間がかかりそうだった。


 美也が洗面所に行ったのと同時、新田が崩した姿勢を直し、俺と向き合う。


「そう、一つ気になっていたことがあるんだった」

 

 


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