第111話 宴(2)

「こちらがアコウ鯛でその隣が真鯛です――」


 真剣な顔つきで俺のお膳と自分のお膳とを交互に見比べる。


「――今度はこちらの醤油とワサビを付けて食べます」


「そう、その醤油とかいうモノだが、魚醤とは大分違うのだな」


 この時代、平成日本で指すところの醤油はまだない。魚醤がわずかにあるだけだ。刺身は酢を付けて食べるのが一般的だ。


「これは醤油という我が領内で開発を進めている新しい調味料です」


「開発? 調味料?」


 しまった。調味料という言葉は通用しないのか。城内で普通に使っていたから、てっきり通じるものだと勘違いしていた。

 城内の者たちはもちろん領民たちも、俺の口にする未知の単語を『そういうモノも世の中にはあるのだろう』と受け入れているふしがある。他領の者と会話するときは十分に注意する必要があるな。


「こちらの醤油は未完成品ですが、十分に口に出来るだけの代物になっております――」


 醤油にアコウ鯛の刺身を付けると使者の唾を呑み込む音が聞こえた。改めて観察する間でもない。早く食べたくて仕方がないという気持ちがヒシヒシと伝わってくる。


「――調味料というのは、まあ、塩や味噌と同じように食材の味を調ととのえるモノです」


 俺がアコウ鯛を口にするとすぐさま使者も同じ様に食べ始めた。

 顔を綻ばせて頬張る使者に、真鯛の刺身を見せる。


「醤油をご覧ください。少し付けただけで真鯛の脂が醤油に浮いているのが分かりますか? ――」


 箸を止めて俺が手にした醤油を覗き込むと、醤油の上に薄っすらと輝いてる真鯛の脂に使者が息を呑む。


「――本来は寒い季節の方が美味しいのですが、このように新鮮なものをワサビ醤油で食べると、味の落ちるこの季節でも十分に楽しめます」


 表面の脂が醤油を弾き、交じり合った脂と醤油がロウソクの灯りの下で艶々と輝く。

 俺が真鯛の刺身を口に運ぼうとした瞬間、使者が弾かれたようにお膳の上にある真鯛を箸で乱暴につまんだ。


「美味い。実に美味い! ――」


 アコウ鯛と真鯛を口に入れたまま聞いてきた。


「――竹中殿はいつもこのようなものを食されているのか?」


「ご使者がいらしたので特別です。刺身は三日に一度くらいです。それも一・二品程度ですよ」


 嘘ではない。

 生で食べられる状態で保存出来る時間は短い。二・三日生かしておく事が出来るものはともかく、刺身として食べられるのは届いたその日だけだ。その後は火を通したり、干物にしたりしたものを口にしている。


 忙しく動かしていた口と箸が止まり、驚きと羨望がない交ぜとなった使者の視線が俺に向けられる。

 使者に『どうされました?』と問うと、彼は慌ててかぶりを振り、話題を切り替えた。


「そ、そうか。ところでこの醤油というのは初めて見る。珍しいので土産に貰えないだろうか?」


「生憎と未完成品ですので、これを献上する訳には参りません」


 期待に満ちた顔が一瞬で夢も希望も絶たれた男の顔に変わる。

 だが、その残念そうな顔も瞬く間に消える。舌鼓を打ち、すぐに残る刺身へと箸を伸ばした。


 使者が食事に夢中になったところで周囲の様子を見回す。

 今回集めた面子は使者と同じように初めてワサビ醤油で刺身を食べる者たちが多い。ワサビ醤油や刺身を口にしたことがある者でもここまでの食材が並んだことはないはずだ。


 列席した者たちは皆、目を白黒させたり至福の表情を浮かべたりし、次々と刺身を口に運んでいた。

 使者の食事の様子を観察しながら次の食事を運ばせるタイミングを見計らっていると、百地丹波ももちたんばの配下が無言でメモ書きを差し出す。


 メモ書きには別室で歓待しているお付の者たちの様子が書かれていた。

 使者と同様に清酒と料理に舌鼓を打っている。なかには感涙にむせんでいる者や『是非とも土産として持ち帰りたい』と刺身を女中にねだる者まで出ているとある。


 清酒はともかく、料理の方はこちらよりも数段落ちるものなのだが、それでも十分に効果はあった。

 俺はメモを持ってきた百地丹波の配下に『そのまま歓待を続けるよう』指示を出し、傍らに控えていた女中には次のお膳を運ぶように告げた。

 

 隣を見ると使者がアワビを口に運ぶところだった。


「ご使者殿、そろそろ次のお膳が来るころです」


 俺の言葉と、引き戸が開かれて辺りから歓声が上がるのが同時だった。使者の視線が女中たちの運ぶお膳に注がれる。

 新たな料理の登場に慌てた使者が残りの刺身を口に詰め込んだ。


 大丈夫か? アワビとサザエだぞ、それ。

 案の定かみ切るのに苦労しているようで、必死に咀嚼そしゃくを繰り返している。


 上座なので真っ先にお膳が運ばれてくる。

 迫るお膳。速さを増す咀嚼。必至に口を動かすが女中の方が早い。迫る女中とお膳に咀嚼が間に合わないと覚悟を決めたのか、清酒をあおって食べている途中のサザエとアワビの刺身を流し込んだ。


「ゴフッ、ゲホッ」


「大丈夫ですか? ご使者には清酒は合いませんでしたか? 濁り酒に換えさせましょう」


「そ、それには、ゴホッ、及ばん。大丈夫だ、ゴフッ、ちょっと、む、せた、ただけだ。こ、このまま清酒を、頼む」


 咳き込み、涙を浮かべ、必死に『清酒を』と訴えるその姿には、もはや朝廷の使者の威厳はどこにも見当たらない。


かしこまりました」


 使者と俺の前に置かれたお膳が下げられ、たった今持ってこられた新たなお膳が並べられる。


「こ、今度の料理はなんだ?」


 目の前にした見慣れない料理に目と心を奪われているのが手に取るように分かる。善左衛門や本多正信を見やると使者の様子を盗み見てほくそ笑んでいた。


「こちらの料理は天ぷらというものです。我が領内で開発した料理です」


「これも竹中の領地で作られたものなのか!」


「こちらの小皿ですが四種類の塩が入っております。これを付けて食べてください」


 手前に置いた四つの小皿を指す。


「塩だと? これがすべて塩なのか?」


「はい。左から順に、塩に抹茶を混ぜたものが抹茶塩で柚を混ぜたものが柚塩。隣が塩を一度焼いた焼き塩。最後が通常の塩です――」


 続いて小鉢を示す。


「――これらの塩がお口に合わないときは、こちらのつゆを付けて召し上がって下さい」


「そうか。では左から順番に試してみよう」


 そう言ってキスの天ぷらに箸を伸ばす。

 サクッという小さいが食欲をそそる音が聞こえた。


「そちらはキスの天ぷらです。素材の美味しさを逃がさないように外のサクサクとした衣で包み込んであります」


 俺自身も同じように抹茶塩を付けたキスの天ぷらを口にする。

 揚げたての天ぷら特有のサクッという衣の軽い歯ごたえに続いて、ホクホクで柔らかなキスの歯ごたえがあった。口の中に広がるキスの淡白な味。それを引き立てる抹茶塩の風味が口の中に広がる。


 うん、いい出来だ。

 普段俺の食卓に上がる天ぷらよりも上だ。朝廷からの使者をもてなす、というのは台所の女中たちにもいい刺激になったようだな。


 使者が次々と天ぷらを口に運ぶ中、車海老の天ぷらに箸を伸ばしたタイミングで女中が新たなお膳を運んできた。


「天ぷらのなかで一番のお勧めがきました――」


 ピタリと箸が止まった。ゆっくりと向けられた顔は期待に満ち溢れている。

 女中が持ってきた別の小皿を差し出す。


「――こちらの天ぷらを熱いうちにどうぞ」


「これは?」


 空中で箸を止めたまま不思議そうに差し出した小皿と俺の顔を交互に見やる。


「真鯛の白子の天ぷらです。雄の真鯛から少量しかとれない希少な食材です。そして、今回お出しする天ぷらで一番のお勧めです」


「おお! では遠慮無く頂くとしよう」


 まるで宝物でも受け取るように受け取った小皿を両手で包み込む。

 ここには舞い踊る美女はいないが、竜宮城の浦島太郎はきっとこんな顔をしていたんだろうな。


 一口大の天ぷらを文字通り丸ごと口に放り込む。まるで視覚が邪魔だとばかりに、目を閉じて味を堪能している。

 

「美味い、この世のものとも思えぬ美味さだ。口の中でとろけるようだ」


 目をつぶったままの使者から感嘆の言葉が漏れた。

 善左衛門が快活に笑いながら口にした冗談が脳裏をよぎる。


『あまり美味いものを食べさせて、帰ろうとしなくなっても困りますな』

 

 使者はその後も次々と出される料理に舌鼓を打って、終始相好を崩しっぱなしだった。

 酔いも手伝ったのだろう、伊勢海老の頭を丸ごと盛り付けた味噌汁をみて大はしゃぎをしたり、締めのウナギの蒲焼を食べながら泣き出したり対応に苦慮した。


 ◇

 ◆

 ◇


 彼らを監視させて、もとい、応対させていた者からの報告が引き戸の向こう側から聞こえる。


「ご使者とお付の皆さんは既にお休みになられました」


「ご苦労さん。下がっていいよ。明日もよろしく頼むよ」


 引き戸の外に向かってそう告げ、正面に座る善左衛門と本多正信、百地丹波に向きなおると善左衛門が口を開く。


「ご使者とお付の皆さんは満足されていたようですな」


「ああ、計画通りだ。これで竹中家の噂は朝廷関係者だけでなく京の都に瞬く間に広がるだろう――」


 実際には竹中家だけでなく東北の安東家と最上家、北条家と今川家、四国の一条家に九州の伊東家の噂も広がる。

 同じように献金した毛利元就もうりもとなりには一歩下がってもらおう。


「――ご使者が帰還されるまでの間、お付の方々にも失礼の無いようにするのはもちろんだが、酒や食事を惜しまずに振る舞うよう周知してくれ」


 善左衛門と本多正信、百地丹波の三人が声を揃えて承知した事を口にして平伏した。


「後はお土産ですな」


 含み笑いを浮かべながらそう口にした善左衛門が四枚の紙を俺との間に広げた。

 土産物のリストだ。


 帝への献上品、公家や朝廷関係者への贈り物、そして使者とお付の者たちへのお土産がそれぞれ列記されていた。

 内容は包む銭の額と美濃和紙や漆器類、蒔絵の調度品などの定番のもの。さらに竹中領の特産品として認知されている清酒。海産物をメインとした保存性の高い食材が連ねられている。


「干しアワビなどの食べるのに一手間必要とするモノは、全てに利用方法を記した封書を同梱してあります。封書は予備と他家へのお裾分けを考慮し、五通ずつ同梱いたしました」


 日中見かけた蒔絵の箱に詰められた干しアワビと封書を思い出した。

 さすが本多正信、手際がいいな。謀略だけの男じゃなかったようだ。

 

「清酒は徳利のモノを百個追加してくれ。私からもご使者に伝えるが『お付の皆様へ』として渡すように」


 思いのほかお付の者たちの酒量が多かった。徳利をたくさん持たせてやれば、都に戻ってから仲間を集めてさぞや自慢話をしてくれるだろう。

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