10-7

「行ってきまーす……」

 玄関前まで見送ってくれた母に、そう力無く声を掛けた。

「しゃきっとしなさいよ! 行ってらっしゃい、しっかりね」

 耳から流し込まれた母の激励も、脳に到達する前に、すぐさま溜息と共に外へと流れ出てしまう。

 歩き慣れた通学路の傾斜は、勿論いつもと同じ筈だ。なのに、口から零れ出る吐息は俄然量を増している。

 道すがら、私は若干赤く腫れている左手の指先を見つめた。

 慣れない部位を酷使した所為か、指先が、いつもよりも強く脈打っているように感じる。まるで指先に、新たに小さな心臓が出来たみたいに。

 昨夜のお風呂タイムで湯船につけた時よりも、幾分かマシにはなったものの、未だにヒリヒリとした痛みは抜けきってはいなかった。お湯に浸した時に、指先から生じた電気信号によって、ひぅ~っ、と言う情けない音を発してしまった事は、絶対に誰にも知られたくない。

 こんなにすぐに痛くなるなんて、やっぱり私には向いてないのではないかしら?

 そんないじけた思いがのっそりと首を擡げる。

 玲央君も順哉さんも、懇切丁寧に教えてくれた。

 その甲斐あってか、紗絵は練習初日にも関わらず、目を見張るような急成長を遂げている。

 私は私で精一杯頑張ったつもりだ。だけれども、同時スタートの仲間にこうもスタートダッシュを決められてしまっては、モチベーションの維持すら大変である。

 足取りの重いまま、だけれども律儀にいつもと同じ時間に学校へと到着した私は、いつもと同じ足取りで教室のドアを開けた。

「おっはよ~、和葉~」

 ドアを開けた瞬間、紗絵がこちらに向かって来た。

 満面の笑顔を浮かべながら、流れるような手技で、その両手で私の左手を握る。

「おはよう、紗だだだだだだだだっ!」

 朝の挨拶の途中、主人である私の意に反して、私の口からはマシンガンの機銃が掃射された。引き金を握る紗絵がニヤリと顔を歪める。

「ふふふ、頑張った証拠ですなぁ」

 ニヤニヤと笑いながら、私の手を離そうとしない紗絵の手を、空いている右手でバシバシと叩く。

「痛い! 痛いったら!」

 新しく出来た心臓をぐにぐにと揉みしだかれて、痛くない訳がない。

 バシバシ攻撃が効いたのか、それともただ満足しただけなのか、紗絵は私の左手をようやく解放してくれた。自分の机へと向かいながら、左手の指先に息を吹きかける。

 気休めとは、気を休めるのが至上目的なのだ。実利を求めるのはお角違いである。

 ひりひりと痛む指に息を吹きかけながら、そんな念仏を頭の中で巡らせる。

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