10-6

「次は、Em。これは簡単、2フレット目の4弦と5弦を、中指と薬指で押さえる」

「こう?」

 恐らく、イーマイナーであろう音が、紗絵のギターから零れる。

「ああ、それじゃ指が逆なんだ。中指が上で、薬指が下」

「こう言う事ね。これ、指の上下で違いあんの?」

「次のコードに移りやすくなる、って位だけど、アレンジしてる人もいるから、慣れてきたら別に」

「んで、次は?」

「紗絵ちょっと早いよ! もうちょっとゆっくり」

 ちゃかちゃか次に進もうとする紗絵に、再び待ったをかける。

 未だにイーマイナーの確認を終えていない私の抗議に対し、

「えー?」

 と言う気楽で楽しそうな声が紗絵から漏れた。

 山歩きでこれをされたら堪ったものでは無い。一瞬にして迷子だ。いや、今も迷子なんだけれども……。

「紗絵ちゃんが飲み込み良すぎるんだよ。和葉ちゃんが普通」

 順哉さんの優しい言葉が胸に沁みる。

 それと同時に、思う。

 つまり紗絵には、才能があるのだろう。私と違って……。

「ってか順哉さん、さっきから大藤に頼ってばっかで、全然教えてくれないんですね?」

「いやいや、本来は玲央が受けたご依頼だからねぇ。俺はギターを貸す事はするけど、教えるのは玲央先生にお任せしますよ」

 笑顔を浮かべる順哉さんは、明らかにこの状況を楽しんでいる。

「友野、Em分かんないか?」

「これでいいんだよね?」

 私の手の形を見てすぐ、玲央君は私の中指と薬指を、一つずつ上の弦に移動させた。

「ここな」

「うー、ごめん」

「謝らなくていいから。鳴らしてみて」

「うん」

 私のかき鳴らすイーマイナーが、玲央君の鼓膜に届く。

「うん、大丈夫。次に行っていいか? 次で最後だから」

「最後?」

「今日は、な。次は、D。Dは、2フレット目の4弦に人差し指、6弦に中指。そんで、3フレット目の5弦に薬指。3本の指で、三角形を作るようにする」

 玲央君の言葉を反芻しながら、一本一本指を置いて行く。

 すぐに隣から、綺麗な和音が零れてくる。

「大藤、どう?」

「うん、大丈夫。それで、Dは上の2本の弦をミュートするんだ。親指で押さえて」

「こう言う事?」

 再び紗絵のギターから、先程よりも繊細な音が流れる。

「お前本当に指長いな」

「まかせなさい!」

 得意気な紗絵の声。私の心に、徐々に焦りが溜まっていく。

「三角形、三角形……」

 呟きながら、玲央君の指示してくれた指の位置を弦の上に乗せる。

 鳴らしてみるが、紗絵のように綺麗な音にならない。

「友野、もっと手首寝かせて、指先だけで押さえてみて」

「ごめんね玲央君、私、上手く出来なくて……」

 折角親身になって教えてくれる玲央君に申し訳無くなってくる。

 瞳の奥に、涙の気配……。

「お前がいきなり弾ける方が、俺はショックだ。覚えたてなんだから、出来なくて当たり前だろ」

「うん、ごめん……」

 玲央君の優しい言葉に、より一層胸を抉られる。

「はい、鳴らしてみて」

 弦に指を擦りつけるように押さえる。細い弦が指に食い込むのを感じながら、私は右手のピックで弦を滑らせた。

「うん、綺麗に鳴らせてる大丈夫」

 穏やかな笑顔をくれる玲央君を見て、これまた泣きそうになってしまう。

「とりあえず、今日はこの4つのコードを練習。これだけで一曲弾けるのもあるくらいだから」

「例えば?」

 紗絵の質問に、玲央君に代わって順哉さんが答える。

「そうだね、有名どこだと、スタンドバイミーとか?」

 言うや否や、順哉さんは愛用のギターを引き寄せて、じゃかじゃかとかき鳴らし始めた。

「玲央、歌え!」

「歌詞知りませんよ」

「そっか、残念だな~」

 残念だと言いつつ、順哉さんは構わず弾き続けた。

 途中から順哉さんが歌い出したので、私はそれに被せて唄う事にした。

 子供の頃、少年達が線路を歩いて行く映画を見て、密やかに憧れた男の子の世界。その主題歌を、当時意味も分からないまま、歌詞と語感だけを覚えていた。

 三つ子の魂百まで。それは、今でも歌える。因みに、意味は今でも分からない。

 私がメインを歌えるのをいい事に、順哉さんは私にメインを任せ、好き勝手にアドリブで唄い出した。言葉にするなら、ステェェェェン~バァァァァァイ……、ミィ……、と言った具合にである。熱意は伝わって来るが、熱意しか伝わっては来ない。

 弾き終わった後、紗絵の拍手がパチパチと鳴り響いた。

「やっぱり、和葉上手いなぁ」

「別に普通だよ」

 音楽の成績も3である。

「ってか、順哉さん酷い」

「でしょ。自覚あるもん」

「自覚あるんだ!」

「俺が何の為にギターを弾いてると思ってるのさ」

「音痴誤魔化す為かよ!」

「違う違う。喉よりも正確に音を鳴らしてくれるギターに惚れこんでるだけさ」

「喉は正確に音鳴らないんじゃん!」

 徐々に笑いの沸点が上がっていく紗絵を、玲央君が制した。

「じゃ、これが弾けるように練習」

「はーい、分かりました、玲央先生」

「……鈴原、その呼び方止めろ」

 三人の掛け合いを耳に溶かしながら、私の頭の中には、未だに4人の少年達が、線路伝いに陽炎の向こうへと歩いていた。道は見えるが、目的地はまるで見えない。

 ――本当に、大丈夫なのかな?

 指先に微かについた弦の後を眺めつつ、私は堪らず、一つ溜息を吐いた。

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