6-13
私の心は、随分と複雑だった。
彼が自分の事を、こうして話してくれるのはとても嬉しい。だけれど、彼の辛さの理由を聞いた所で、結局何も出来ない自分が、もどかしくて悔しくて、哀しくなる。
「潮騒の音を聞いてるとさ、心が落ち着くんだよ。母さんが教えてくれたんだ。いや、違うな。母さんもいつも、何かある度に、潮騒の音を聞いてたんだ。父さんと喧嘩した後とかに、よく……」
玲央君の気持ちが、どんどん落ちていくのを感じた。
「玲央君、お母さんの事、好きだったんだね?」
話を切り替える為にも、私は努めて明るい声を出した。
玲央君は身体を起こして、呟いた。
「それじゃ、まるで俺がマザコンみたいじゃないか」
「いや、そう言う意味じゃ無いんだよ! それに、お母さんの事大好きなのって、凄くいい事じゃない」
私の必死の弁明を見て、玲央君は唇の端を軽く持ち上げた。
「友野、お前本当面白いよな?」
予想外の言葉が返って来る。
「そうかな?」
「ああ、何か、いちいち反応が面白い。小動物みたいなところとか」
その比喩はあまり気に食わないが、玲央君の気持ちが少し上向いてきたようなので、良しとすることにした。
「でも、玲央君だって面白いよ? 最初は、全然、むすっとしてて無愛想で、凄い怖い人だと思ったのに……」
彼の事を知り始め、急速に彼に魅かれていった自分が蘇ってくる。
「思ったのにって事は、今はそうじゃないのか?」
玲央君が、私を見定めるように問いかけてくる。
「うん。玲央君は、全然怖くないよ」
寧ろ、真面目で、素直で、私に無い、いい所を沢山持ってて……。
「こうやって海に来てさ、今まで知らなかった玲央君の事も、一杯分かったしね」
「例えば?」
「手先がとっても器用な所とか」
――嬉しそうに、美味しそうに、ご飯を食べる所とか。
「案外食いしん坊な所とか」
――実は、結構照れ屋さんな所とか。
「ギターまで弾けちゃったりする格好いい所とか」
――自然体のまま、自分を無理に誇ろうとしない所とか。
「泳げない事を隠そうとする、可愛い所とか」
――口ではどう言っても、みんなが望む事をしてくれる優しい所とか。
「それから~」
――慣れて来ると、結構話してくれる所とか。
「それからね~」
――私以外の人にも、私と変わらない態度を取ってる所とか……。
「本当に一杯」
――私の事を、やっぱり友野って呼ぶ所とか……。
「玲央君のいい所一杯分かってさ」
――私には、お姉ちゃんみたいに接してくれない所とか……。
「本当に、来て良かったよ」
――それらを、全部全部含めて、それでも、私に好きでいさせてくれる所とか……。
鼻の奥が、思わずツンとする。
それらを誤魔化す為に立ち上がり、私は海に向かって叫んだ。
「本当に! 来て良かったー!!!」
「お前、今、夜中なんだぞ?」
私に注意をする玲央君の声は、楽しそうに弾んでいた。
私も思わず嬉しくなって、そうだった、なんて笑って見せた。
「ねぇ、玲央君?」
彼を見ずに、問いかけた。
「玲央君はさ、自分が何をしたいのかとかさ、分かってて凄いと思う。私なんか、まだ先の事なんて何にも考えて無いし、いや、そもそも私と比べるって事自体、おかしいのかもしれないんだけどさ……」
ずっと、ずっと玲央君に言いたかった事があったのだ。
振り返り、玲央君の顔を真っ直ぐ見つめる。
「だけどさ……」
玲央君の姿が、私の影に収まる。
「学校にはおいでよ?」
これは寧ろ、私の願いだ。
「玲央君は、無駄だって言ったけど、私は、学校生活って、無駄じゃないと思う」
彼と一つでも多くの接点を持っていたいと言う、
「きっと楽しいよ。ほら、私とだけじゃなく、道子とも紗絵とも仲良くなったしさ」
これからの私の学園生活に、彼の姿が合ってほしいと言う、
「祐一君とも楽しく話してたみたいだしさ」
これからも、彼の傍に居続けたいと言う、
「今までよりも、きっと、楽しくなると思うよ」
ほとんど我がままのような、
「だから、だからさ……」
詭弁に満ちた、私の願いだ。
私が月明かりを遮っている為、玲央君の表情は良く分からない。
すると玲央君は立ち上がり、半ばだるそうに言った。
「あ~、でもなぁ……」
――やっぱり、私の言葉じゃ駄目なのかな?
肩が落ちそうになるのを必死に堪え、彼の言葉の続きを待った。
「俺、宿題やってねぇんだよ」
その言葉を、私が正確に理解出来るまで、若干の時間があった。
「宿題?」
「行く気無かったから、全く手ぇ付けてなくてさ。このまんまじゃ、新学期までに終わらなさそうなんだよなぁ」
まるで、悪戯っ子のような小狡い笑みを微かに浮かべて、図々しくも呟いたのだ。
「誰か見せてくれねぇかな……」
――宿題なんて、関係無いって言ってたのに……。
思わず零れ落ちそうになった涙を、両手で頬を叩いて押さえこみ、私はわざと恩着せがましく言い放った。
「しょうがないなぁ~! じゃあとりあえず、玲央君にはお得意の数学を担当して貰うからね。そうしたら、とりあえず3教科は何とかしてあげるよ!」
私の宣言に、玲央君は、まぁ適当に頼むわ、なんて気だるそうに呟いた。
「それと、もう一つ!」
私は砂浜に置かれたまま放置プレイを余儀なくされていたアコースティックギターを掴んで、玲央君に手渡した。
「もっと色々、何か歌ってよ!」
高揚した気持ちの果ての、半ばやけくそ気味な私の要請を、玲央君は渋々と言った感じではあるが、私からギターを受け取り、リクエストは? 何て言ってくれた。
「激しいの!」
「夜中だから却下」
「じゃあ、スティグマの曲」
「簡単に言うな。あれ難しいんだぞ?」
「何ならいいの?」
「おまかせなら、なんでも」
「リクエストになってないじゃない!」
思わず笑いあってしまうようなそんなやりとり。
玲央君と、こんな下らないやりとりを出来る時が来るなんて。
清かな潮騒のバックバンドが、玲央君のギターに共鳴して、私の耳朶を震わせる。
胸が潰れてしまいそうな程の苦しさの正体が、喜びと幸せだなんて。
瞬く星々に見守られながら、透き通るような玲央君の唄声が、思い出と共に私の心に沁み込んで行くのを感じた。
胸に刻み込まれた今年の夏の香りは、きっと、一生消えないだろう。
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