6-12

 男女で分けられたテントの中で夜中、私はふと目を覚ました。

 傍らでは道子と紗絵が、寝袋と毛布を敷きつめた上ですやすやと寝息を立てている。

 寝息は穏やかで、深い眠りについているだろう事が分かる。はしゃぎ過ぎて疲れたのだろう。

 Tシャツのまま一度テントの外に出る。

 海は穏やかで、その上には満天の星を従えた夜空が、燦然と輝いている。

 ほぅっと、思わずため息が零れる。

 目が覚めた理由を解決するべく、砂浜を歩き仮設のトイレへと向かった。

 野暮用を済ませ戻ってくると、男性用のテントから、誰かが出て来るのが目に映った。順哉さんのアコースティックギターを片手に持ち、海へと向かって行く。砂浜に腰掛けたその後ろ姿が、月明かりに照らされる。

 その毛色は、金だった。

 ――玲央君だ。

 彼は暫くぼんやりと海を眺めていたかと思えば、抱えていたギターに手を掛け、穏やかにつま弾き始めた。

 アルペジオの連なりが、凪いだ潮騒と混ざりあう。

 星空の下、まるで海と語り合うように、柔らかな旋律が彼から放たれる。

 曲のきりのいいところを待ち、手櫛で髪を軽く整えて、はしゃぐ心臓に深い呼吸を与えてから、そっと近づいて声を掛けた。

「玲央君?」

 振り向いた玲央君は、私の顔を見ると、よぅ、どうした、と短く言葉を返してくれた。

「目が覚めちゃったから、ちょっとトイレに。玲央君、ギター弾けたんだね?」

「そんなに上手く無いけどな」

「隣、いい?」

 頷きを待ち、隣に腰掛ける。

 砂浜に座った途端、波の音がより一層大きくなったように感じた。

「玲央君は、どうして起きてるの?」

「何か目が覚めて。んで、順哉さんのギターが目に入ったから」

「そうなんだ」

 弦の上に指を滑らせながら、玲央君はドレミを順番に一つずつ鳴らした。そのまま弦の緩み具合を調節し、音のチューニングをする。

 そう言えば玲央君は、絶対音感を持っているんだった。この位の事は、きっと朝飯前なのだろう。

「何か弾いて、聞かせてよ」

 思わず、おねだりをしてみる。

「何かって、何がいい?」

「玲央君が何を弾けるか分からないよ」

「そうだよな。何でもいいか?」

「何でもいいよ」

 ――玲央君の唄なら、何でも。

 心の奥で鳴った本当の音には、申し訳ないが黙ってて貰おう。

「ん~、じゃあ……」

 少し逡巡した後、玲央君はギターに手を掛け、再びアルペジオを奏で始める。

 自らの指から生まれる音達の一粒一粒に応えるように、彼はそっと声を乗せた。

 柔らかな音に、玲央君の透き通った歌声、そしてスティグマとは違う柔らかな曲調に、綺麗な日本語の歌詞。

 過ぎ去りし夢を語っているような、叶わなかった理想を語っているような、温かく、穏やかで、だけど、切なくも冷たくもある、不思議な歌。

 星々がまるで、彼の唄声に呼応するように、儚げに明滅する。

 紡がれた一音一音がスローになり、最後に和音を奏で、その歌は終息した。

 拍手を打つと、玲央君は照れくさそうに首だけで一礼した。

「綺麗な曲、だけど、なんか切ないね」

「俺、この曲好きなんだよ」

「何て言う曲なの?」

「田舎の生活、って曲」

「タイトルも面白いね。初めて聞いたよ」

「割と有名だけど、結構古い曲だしな」

「誰の曲なの?」

「スピッツ」

「スピッツかぁ……」

 本当の事を言うと、スティグマの曲よりも、こういう綺麗で爽やかな曲の方が、玲央君の唄声には合ってるんじゃないかと、思ってしまった。

 勿論、おくびにも出せないけれども。

 姉や順哉さんには悪いが、どうやら私はスティグマの音楽のファンでは無く、大藤玲央と言うボーカリストのファンのようだ。

「そう言えば、海に来てからヘッドホンしてないね。やっぱり暑いから?」

「いや、まぁそれもあるけど、流石に浜辺でヘッドホンは変だろ。それに、本物の音が近くにあるんだから……」

 そう言って、玲央君は視線を海に向けた。

「玲央君さ、絶対音感持ってるんだって?」

「ああ」

「それってどんな感じなの? 聞いただけで、その音が、ドとかレとか分かるって事なんでしょ?」

 自分で口に出してみても、それがどういうものなのか、今一つピンと来なかった。

「音楽続けるなら、武器になる。だけど、普段は、結構しんどい」

「しんどいんだ。どうして?」

「聞こえてくる音が、全部頭の中で勝手に音符になっちまう。気にしなくていい事も、聞き流したい事も、全部音になって襲ってくる。だから、しんどい……」

 玲央君は声を落として、そう言ってくれた。だけどやっぱり、私にはその辛さが、今一つ掴めずに居た。

 それはきっと、実際に味わってみなければ分からないものなのだろう。それに対して、分かった風な態度を取るのは、失礼に当たる気がした。

「俺の母親さ、ピアノの先生やってんだよ」

「お母さんが?」

「そう、小さい頃は、よく母さんの弾いてるピアノに合わせて唄ってた。母さんも俺と同じで、絶対音感のある人でさ、俺が唄ってるのを、優しく、今の音は高くとか、もっと低くとか言ってくれたんだ。それをずっと繰り返してたら、いつの間にか、俺の頭にも音符が流れるようになってた。だけど、俺は別にそうなりたくてなった訳じゃ無く、ただ、上手く唄うと、母さんが褒めてくれるのが嬉しかったんだ」

 確か玲央君は、両親の離婚の末、父親に引き取られてこの街に来たと言っていた。それはつまり、今ではお母さんと離れて暮らしていると言う事だろう。

「お母さんとは、連絡は取ってるの?」

「年に、一、二回かな?」

「そっか、寂しいね……」

「まぁ、でも、仕方ない。母さんには、もう新しい家族が居る訳だし。俺が今更、顔見せてもなぁ……」

 そう呟く玲央君は、力無く笑って見せた。

「でも玲央君、辛いんじゃないの?」

「俺が辛いかどうかなんて、別にどうでもいいんだよ」

「それは、駄目だよ……。そう言うのは、誰も幸せにならないよ?」

「そっか、まぁ、そうだわな……」

 玲央君は星空を見上げるように、ギターを傍らに置いてその場に寝転がった。

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