第18話 天国の闇

 私は、ドクターに言われっぱなしにならなかった。鋭い指摘で切り返してやった。その、つもりだったんだけど──


「いずれそうする。十分な資金が貯まった時には。しかし目の前にある問題も機会も見過ごすこともできない」


 あ、あっさり躱されちゃった。第七天で稼いだ私財を投じて最下層で開業する人生設計? この人、思った以上に変態、もとい聖人じみた良い人というかバカというか。私には、ついていけない人だ。そんな人が、訳の分からない熱を持ってしきりに訴えかけてくるのは、怖い。だって私はそんな風には考えられないんだもの。自分のことだけで精一杯なの。ただの平凡な、健康な肉体だけが資本の小市民なんだもの。仕事の邪魔をしないでくれるかしら。頭が痛くなるようなこと、捲し立てないでくれないかしら。


「機会って、何の……?」


 ほら、調子が狂って反応しちゃったじゃない。ドクターの目的なんて、知らなくて良いのに。知ったら、何か考えなきゃいけなくなるのよ。誰かに言った方が良いのかどうかとか。コリンズさんみたいに、また人が身近で出るのはご免よ。でも、お腹を庇っていると、耳を塞ぐ訳にもいかないのよ。


「造られた神は第七天に君臨するだろう。優れた指導者を得て、天国と地獄の格差は更に広がる」


 そうかもしれない、でも、だから何だって言うの? 今でさえ「上」と「下」には越えるのがほぼ不可能な壁がある。それが多少厚くなるか高くなるかしたからって何なの? それは私に関係ないでしょ? むしろ、だからこそ「こっち側」に潜り込めるように頑張っちゃ、駄目なの?


「そんなこと私に言って、どうしろって言うのよ……!?」


 もはや敬語もかなぐり捨てて、怒鳴るように問いただす。そんなに広くもない診察室だっていうのに、どこに行けば良いのか分からない。ドアを目指すか、窓に寄って助けを呼ぶか。分からないまま──なのにドクターは少しずつ私に迫ってくる。


「最下層にそのお腹の子をもたらして欲しい。生まれたところで実験体にされるのがオチだ、自由に生きられる方が――」

「それって誘拐ですよ!? 犯罪に巻き込まないでください!」


 お腹で育てるうちに、胎児に情が移ってしまうのはよくあることらしい。それで代理母が赤ちゃんごと失踪したり病院から攫ったりすることも、過去にはあったとか。だから、そんな時のための罰則ペナルティも重いのがたっぷり用意されてるし、研修でも重ねて脅された。


 第一、私は代理母業コレを何回かやりたいのに。初回で犯罪歴をつけるなんて冗談じゃない! できるはずがないことを、言わないでよ!


「だが、ホルツバウアー夫妻は君に何も話さなかった。死人が出た後でさえ、何も、だ。君の雇い主は君の信頼と忠誠に値するか? 彼らが生まれた『神』をどう扱うかも分からない。人類全体への貢献だとか、雲を掴むような話だけじゃない。胎児と、君自身の人権のためにも──」

「知りません!」


 赤ちゃんへのストレスに怯えながら、外に聞こえてしまうのを恐れながら、私は声を張り上げた。私のために、みたいな言い方が、どうにも気に障って仕方なかった。コリンズさんの時と一緒だ。結局、自己満足のために誰かを助けてやった、って形が欲しいんじゃないの? あのおばさんもドクターも、本当に助けが必要な人には手を差し伸べなかった癖に!


「私は好きでやってるんです! 助けるっていうなら、無理矢理やらされてる子たちの方じゃないですか!? 結局、用があるのは『神の子』だけなんでしょう!?」

「マリア、それは──」


 違うなんて言わせない。思いっきり睨んでやると、ドクターもさすがに口を噤んだ。良い気分に水を差してやったわよ、ざまあみろ!


 まったく、どうして私は怒ってるのかしら。自殺してしまった女の子と、道連れにさせられてしまった胎児。死に顔を見てしまったというだけで、名前さえ知らないのに。でも、あの子の死に顔が、あの断末魔の《声》、思ったより心の深いところに焼き付いているみたい。どうして助けられなかったのかって思ってしまう。私も、何もできなかったのは同じなのに、勝手なもんだ。


「大体――貴方は、どうしてそのことを知ってるんですか!? そんな研究……極秘で、やるものなんじゃないんですか? 私でさえ知らされていなかったのに! 人の子宮だけじゃなく、家庭の中のことまで探ってイヤらしい!」


 ドクターの黒い目が揺らいだから、私が苦し紛れに喚いたことは良いところを――あるいは、痛いところを突いていたんだろう。この人は、公には言えないルートでホルツバウアー夫妻の研究内容を知ったのね。それで、まだ生きてる神の子、というかその容れ物である私を確保しようとしたって訳ね。


「……天国のようでいて、ここにも色々あるということだ」

「そうみたいですね。よく分かります」

「それでも留まるのか? 逃げ出すなら手助けできる」

「まあ、親切なんですね」


 この人はあくまでも私のため、ってことにしたいらしい。コリンズさんの組織は知らないらしいけど、第七天の警備も意外と穴だらけなのかしら。そう思うと笑っちゃう。今の気分だと、口元を引き攣らせるのがせいぜいだけど。私を脅してもう嫌、って言わせたいだけじゃない。そうやって、この人が思うところの正義ってやつを押し付けたいだけじゃない。

 もしかしたら、この人も助けたいのかもね。私と同じように。それでも、ひとりの力では貧富の差はなくならないし、見えない所ではひどいことになってる人がたくさんいるから。医者としての仕事だけじゃなく、何か大きいことをしたと思いたいのかも。今なら、少しだけ分かる。怖いくらいに詰めてくるのは、焦りや必死さの表れなのかもね。そう思うと、気の毒に思わないでも、ない。


 でも、私の人生を捨ててまで付き合うことなんてできない。


「逃げませんよ。仕事ですから。最後までやります」

「……無理強いはしない。だが考えておいて欲しい」

「カウンセリングは終わりなんですよね? 問題なければ帰らせてください」


 さっきまでのプレッシャーが嘘のように、ドクターはあっさりと扉への道を譲ってくれた。悄然と、と言っても良いかも。私が思い通りにならなくてがっかりしたのかしら。それとも、何かしらを悪いと思ってくれたのかしら。


「……身辺には充分気をつけて。雇い主の本心もだが、それこそテロリストにとって、君たちは格好の標的になる」

「ありがとうございました。また次もよろしくお願いします」


 あくまでも検診が終わったって体で、私はドクターの言葉を聞き入れたと報せる。患者と医者の関係を変えるつもりはない、とも。ドクターもあっさり送り出してくれたのは、彼も同じ考えってことなのかしら。そうね、この人は良い主治医だと、今日までは思っていたんだけど。こんなことがあった以上、また次も顔を合わせるなんて気まずいし、この人の情報源も気になるけど。

 病院や医者を変えてもらえば――でも、さっき聞いたような悪徳業者と繋がってるとこも怖いし。ホルツバウアー夫妻に怪しまれないような理由をでっちあげるのも、簡単じゃないだろうし。できすぎた善人は、テロリスト並みに怖いのかも、しれないけれど。


 でも、何も信じられない頼れない今の状況の中じゃ、狂信的な正義の人が、一番マシなのかもしれなかった。

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