第16話 冒涜

 ドクター・ニシャールの思い通りになって堪るもんか。これ以上、聞きたくない話を聞かされて、話したくないことを話させられて堪るもんか。


「カウンセリングって聞いて来たんですけど? ストレスになるようなお話は止めてもらえません?」

「すまないとは思うが、またとない機会を逃す訳にはいかないんだ。ふたりきりで、話がしたい」

「セクハラですか!? 出るところに出ても良いんですよ!?」


 診察室には、確かに私とドクターのふたりきり。でも、私自身はか弱い、かつバカな女でも、お腹にいるのは人類を担うべき大事な特別製のお子様だ。神の子とかいう話を抜きにしても、エリートのお金持ちのお家の子なのは変わらない。だから、私の身の安全ではなく胎児のために、私の証言は重く捉えられるはずだ。雇い主とのトラブルと同じくらい、病院でだってハラスメントの可能性は考慮されてるんだから。窓口だってあるんだから。

 キャリアをフイにしかねない危険は冒さないだろうって、そう思ったのに──でも、ドクターは動揺すら見せなかった。


「君も気になっているだろう。他人事では、ないはずだから」


 そりゃ、代理母同士だもの。他人事でないのは当然のはずだった。でも、ドクターは、の意味を匂わせてる気がしてならなかった。代理母であるという以外の、私と死んじゃった子の共通項。それは──「神の子」が子宮に居座ってるってこと? ドクターも、神の創造に関わっているの?


 ──マリア。話を聞いてみよう。あの子のこと、私も知りたい。


 とん、と。ごく軽く、お腹を内側から蹴られる感覚がある。あんたが言う「あの子」って、死んだ子と殺された胎児と、一体どっちのことなのかしら。昨日のことといい、子宮の中にいるうちから随分野次馬根性が逞しいんじゃない?


 ──コリンズさんの話は、聞けなかったし……。


 しかも、この子ってば悪辣ね。私の後悔や後ろめたさを突いてくるなんて。ええ、私はあの人の話を取り合わなかったことを、少しだけ悪いと思っている。あの人がああいう言い方をしたのは、十分に理由があったと分かってしまったから。昨日のあの子には間に合わなかったけど、もしかしたらあの人を必要としている子が、他にもいたかもしれないのに。


「仰る意味はよく分からないんですけど──」


 ぎりっと奥歯を噛みしめる音が、口の中に響く。こんな心身にストレスを掛けるようなこと、したくないんだけど。追い込まれている、という感覚がどうにも拭えなかった。


「良いですよ。じゃあ、教えてください。代理母わたしたちには教えられないっていうことを」


 だから、ドクターに向けた私の笑みは、ずいぶんと剣呑な表情になっていたはずだ。




 事故に居合わせてしまった私を慮って、という体なのかどうか、それともドクター・ニシャールが何か手を回したのか。は大分長くなってるだろうに、病院も忙しいって言ってたのに、部屋の外から何か言われることはなかった。

 私さえ声を上げなければ大丈夫、なんだろうか。ドクターは私なんかを信用してるの? それとも、通報されてキャリアを捨てるリスクがあってでもしたい、話ってこと?


「なぜ妊娠した女性が自殺できたかについて──表向きの回答は、彼女がとある宗教の敬虔な信者だったから、ということになっている。清い身で身ごもることが、彼女の信仰からすると耐え難く冒涜的なことだったから、と」


 表向きの回答、ね。どこでどう出回ってるのかは知らないけど、そんな建前でさえ、代理母わたしたちには教えられないのね。まあ、あからさまに怪しいものね。もしも本当にそんな答えで納得してるなら、第七天アラボトのお偉いさんたちも結構バカだ。それか、私たちをバカにしているか。


「でも、たいていの宗教って自殺を禁じてるんじゃないですか?」

「まさしく。だから、彼女に禁忌を犯させるほどの『何か』があったのだろうね。『処女懐胎』だけじゃない、彼女の背を押した『何か』が」


 ほら、私が指摘してみせたって、ドクターは全然驚いた顔を見せなかった。この人だって、苦しい言い分だと分かってるってことだ。


「その、何かって……?」


 聞き返すのは、すごくバカっぽいなって思った。「何か」の正体を、多分、私もドクターも知ってるから。その上で、お互いに探り合ってる。だって、ドクターはちらりと私のお腹を見たもん。その中にいる胎児が、何か反応を見せるんじゃないかと期待したかのように。自称「神の子」は、すっかり息を潜めているけど。気を散らされなくて良いのか、私に押し付けるんじゃないって、怒るべきか。


 ドクターは、私か胎児がボロを出すのを待っていたのかもしれない。でも、何も起きなかった。だから、なのか──彼は諦めたように軽く息を吐くと、私の質問に答えてくれた。


「亡くなった女性は、悪魔に取り憑かれたと話していたそうだ。悪魔が誘惑してくる、堕落させられようとしている、と」

「雇い主っぽい人もそんなことを言ってましたね。それって、つまりは赤ちゃんのこと……ですよね? ひどいことはひどいけど、その人の立場ならそう思ってもしかたないんじゃ……?」


 ああ、私、またバカバカしいことを言ってしまってる。死んでしまったあの子は、赤ちゃんの成長を喜ぶどころじゃなかったのは確かだろう。天使なんてとんでもない、悪魔としか思えなかったとしても当然だ。

 でも、誘惑してくる、とまで言ってたなら話は別だ。だから──あの子も、《声》を聞いたんだ。弱々しい声で泣いていたあの《声》も、最初からあの調子ではなかっただろう。私のお腹の子みたいに、だってしたかもしれない。造られた神の子、人類を導くはずの救世主メシアだって、もしかしたら、誇らしげに。


「君も聖書を学んだなら心当たりがないか? 悪魔は、神を名乗るものだ」


 あの子が自殺した理由が、やっと分かった。何かしらの信仰を持った人が、頭の中からそんな《声》が響くのを聞いたとしたら。しかも、められて妊娠させられて、絶望している真っ最中だったら。

 マリア様になれたなんて思うはずがない。悪魔に取り憑かれたと思うだろう。悪魔が、ひどい冒涜的なことを囁いているんだと。


 あの子は、自分ごと悪魔退治したつもりだったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る