(3.5)
「三枝さん、越谷センセから、またクレームが来たんだよ。私のとこに」
編集長は、やれやれと云う感じで、俺にそう言った。「センセ」と云う呼び方には揶揄の響きが有る。今の御時世、編集者が作家を呼ぶ場合は「さん」付けが普通なのに「センセ」と呼んでいる相手は……特に「先生」じゃなくて、わざと「センセ」と軽い感じに聞こえる様に呼んでいる場合は、まぁ、編集者から「先生と呼ばれるほどのなんとやら」と云う目で見られているのに、本人は気付いてないと云う事だ。
そして、あの世代の爺ィは女を軽く見る傾向が有る。だから、越谷の糞爺ィは、何か言いたい事が有れば、男である俺ではなく、女である編集長にいつもクレームを入れてくる。女である編集長にゴネれば何とか成ると思ってやがるのだ。
百歩譲って、越谷が時々口に出す「男らしい」なんて時代錯誤な概念が妥当なモノだとしても、そんな真似のどこが「男らしい」のやら。
「何ですか、今度は?」
「『世代間翻訳版』を作るの嫌だって」
「はぁ? いや、でも……前回の打ち合わせで、もう少しで落とす所まで行ったんですが……」
「『言葉狩り』される位なら、売れなくて良いって、駄々を捏ねてる」
また、このパターンだ。
俺が担当している作家の1人である越谷玄晶は、二〇世紀の終りごろ、その手の事で何か色々有ったらしい有名小説家の弟子筋なので、いわゆる「言葉狩り」には人一倍敏感だ。
敏感だと云うのは、アクシデントで軽く触れただけの事でも、怪我させるつもりで思いっ切りブン殴りやがったな、とか喚き散らしやがる、と云う意味だ。
しかも、今回、越谷が出そうとしてるのは、その作家の全集なのだ。
これに関して、実は、越谷との打ち合わせの中で出た「ヒステリー」と云う単語には、ヤツに話していない4つ目の問題が有る。「ヒステリー」なんて言葉が無頓着に使える世の中を取り戻そうとしてるヤツらほど、俗語の意味で「ヒステリック」な連中は居ないと云う事だ。
もちろん、越谷の糞爺ィこそ「『ヒステリー』と云う言葉を無頓着に使える世の中を望んでるヤツらほど俗語の意味で『ヒステリック』な連中は居ない」の典型例だ。
まぁ、単に、人間には軽蔑したり劣っていると思っている相手を「感情的」だと見做す傾向が有り、そのせいで、男尊女卑が当然の時代には女性が「ヒステリック」(俗語の意味だ)と見做され、今の俺にとっては越谷の糞爺ィのようなヤツが「ヒステリック」(同じく俗語の意味だ)に見えるだけかも知れないが。
「もう、何度も、何度も、何度も、何度も同じ事を言われるのは嫌なんで、いっそ……」
「いっそ、何?」
「あの糞爺ィ、SF作家を名乗ってるクセに頭が古いんで……」
「それがどうしたの?」
「騙すんですよ。他の社の糞爺ィの担当編集者とも口裏を合わせて」
「はぁっ?」
「頭が古いって事は、技術の進歩に付いて行けない、って事ですよ。騙す手はいくらでも有ります」
「じゃあ、やってみて。でも、バレたら責任取れないよ」
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