(4)

「編集長は元気? 最近、話してないんでさぁ……」

 三枝との打ち合わせで、俺は、そう切り出した。

「これ、仕事の話と、世間話のどっちなんですか? 世間話だったら、業務時間外でいいですか? ただし、あくまで私が気が向いた時に」

 そうだ。こいつらは、もう、「仕事の後に飲みに行く」なんて慣習は無くなってる世代だ。仕事の相手には、あくまで仕事の相手としてしか接しない。

「いや、編集長が寂しがってないかとか……」

「あの、それ、ストーカーが抱いてる妄想の典型例ですよ」

「待てよ、何だよ、それ?」

「まぁ、たまには、仕事の合間に世間話も悪くは無いかも知れませんね。例えば、ウチの業界を、何で未だに『出版業界』って言ってるのか、とか」

「えっ?」

「いや、だって『出版』って、元々は印刷用語ですよね。でも、今では、電子書籍の方が主流だし」

「あ……あぁ、そう言や、そうだな」

 何か、おかしい。三枝は何が言いたいのだ?

「それとか、ネット配信が主流になったのに『業界紙』とか」

 次の瞬間、画面には、三枝が送って来た画像が表示された。その「ネット配信なのに『業界紙』」のスナップショット画像だ。

「な……なんだ、これは……」

「センセの世代向けに世代間翻訳したバージョンの方が良かったですか?」

 そこに書かれていたのは、「リアルタイム世代間翻訳、実用化に目処」と云う記事だった。

「そ……そ……そんな……」

「センセ……全集は電子書籍で出すんですよね」

「あ……あ……あ……そんな……まさか……その……」

「全ての電子書籍リーダーに、リアルタイム世代間翻訳機能が搭載される事になるまで、六〜七年ってとこみたいですね」

「じゃ……じゃあ……」

「ええ、ウチが越谷センセの御意向通りにしても、その日が来たが最後、読者が望みさえすれば、郡山先生の作品も世代間翻訳されたバージョンが自動生成されちゃいますね。『二号さん』『ヒステリー』『先輩』が、各世代に意味が判ったり馴染の有ったりする言葉に置き換えられたバージョンが……」

「でも、前回、聞いた話では、世代間翻訳版を作るには、結構、色々と考えないといけない事が……」

「それでしたら、電子書籍に隠しデータとして色んなパラメーターを付けるんですよ。どの程度の『リアルさ』の話か、とか。読者に地の文を、どう云う感じで受け取って欲しいか、とか。それらの隠しパラメーターを元に、結構、賢い翻訳をしてくれるみたいですね。今、人間が手で修正してるのが百点満点で八〇点ぐらいとすれば、七五点ぐらいのヤツを。実用上は十分ですね」

「じゃあ、その隠しデータが付いてない場合はどうなるんだ?」

「ネット上のレビューその他を元にした推定値が電子書籍の運営元のサーバーのデータベースに登録される予定です。で、それを元に翻訳をやります。これでも実用上は合格ギリギリぐらいの翻訳になるみたいですね」

「嘘だろ……」

「もちろん、技術が進めば、更に翻訳の精度は上がるみたいですね」

「な……なぁ、古い電子書籍リーダーで読めば、どうなるんだ?」

「プログラムの自動アップデートの際に、この機能が自動的に追加される事になりますね」

「ネットに繋ってない電子書籍リーダーなら大丈夫だよな?」

「ネットに繋ってない電子書籍リーダーなんて早い話が単なる置物ですよ。どうやって電子書籍を読むんですか?」

「で……でも、そんな翻訳AIを作るなんて事が、技術的に可能なのか?」

「技術的な最大のネックは、学習データの量と、AIを学習させるコンピューターの処理能力だったみたいですね。つまり、どっちも時間が解決してくれるモノなんですよ。ネット上に有るデータの量が増えて、コンピューターの性能が上がれば、電子書籍の運営元の高性能コンピューター上でAIを学習させて、そのAIを各電子書籍リーダーに配布すれば、はい完了」

「AIってマシンパワーを食うんじゃねぇのか? 電子書籍リーダーに搭載したら、処理が遅く……」

「なりません。マシンパワーが必要なのは、あくまで『学習』の際ですよ。例えば、数千億件のデータの統計を取るにはマシンパワーが必要でしょうが、統計結果は非力なマシンでも利用する事が出来ます。それと同じです」

 嘘だ……冗談じゃない……。技術の進歩のせいで……それも、単なる便利機能を追加したせいで……「言葉狩り」が……師匠にとっての悪夢の世界が……。

 「言葉狩り」をやるのが、編集者や圧力団体なら交渉の余地が有る。そして、そんな真似をやったヤツを憎む事が出来る。……だが、「言葉狩り」をやるのが、読者本人や読者が使う「道具」や「本」そのものの場合は……どう対抗すれば良いんだ? そして、一体全体、誰を憎めば良いんだ?

 師匠の全集が……師匠にとっての悪夢に屈服する事に……。もう二度と師匠に顔向けが出来ない……。

「越谷センセ……どうしても、世代間翻訳版無しにしたいんなら……まだ、紙の本を出してる『出版社』を紹介しましょうか? それとも、電子書籍版を出すんなら……どっちみち同じ事になるんで、今、世代間翻訳版を作りますか? 自動生成されるモノよりも、越谷センセが思われてる『オリジナル』の『ニュアンス』に沿った『翻訳』が作れますよ。百点満点で七五点か八〇点かぐらいの違いですがね」

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