脈打つコンビニ

二石臼杵

バイト募集中

 ガラス越しに夜明けの光が差し込んでくるのを見ながら、もうそんな時間かと思った。

 外を見ると、徐々に照らし出されていく街の風景がじりじりと流れていく。

 街の目覚めを感じながら、俺は雑誌コーナーに今日届いたばかりの週刊誌を並べ、積んでいった。あ、この漫画今週で最終回か。立ち読みしたい気持ちに駆られるがぐっと堪え、レジカウンターに向かう。

 今は仕事中だ。それにホットスナックの補充もしなければ。

 ティロリロ、という音とともに自動ドアが開く。朝のお客さん第一号のご来店だ。

 これから通勤なのだろう、スーツを着たサラリーマン風の男が忙しなく入ってきた。

 男の背後、自動ドアの向こうに広がる景色は、閑静な住宅街だった。


「いらっしゃいませー」


 俺の挨拶も聞かず、男は栄養ドリンクを素早く手に取ってごんとレジに置いた。お疲れ様です。

 バーコードをスキャンして代金を受け取り、サラリーマンに商品を渡す。袋もレシートも不要だと断られた。


「ありがとうございましたー」


 男の背中に声をかけ、これから忙しくなるぞ、と気を引き締める。

 男が出て行ったとき、外にはさっきまでなかった地下鉄の入り口がゆっくりと右から左へと動いていた。

 次に自動ドアをくぐってきたのは、腰の曲がったお婆さんだった。

 おばあさんはゆっくりと店内を一筆書きで見て回り、おにぎりを二個、レジに置く。


「今が一番うちから近いのよ。歩かなくていいから助かるわあ」


 バーコードをスキャンしていると、おばあさんに話しかけられる。「はあ、どうも」と返しておいた。

 おにぎりの入った袋を提げ、おばあさんは店を出て行く。外に出るとき、おばあさんは何度か足を出すのを躊躇し、慎重に店の敷居をまたいでいった。

 外にはもう地下鉄の入り口はなく、代わりにバス停が見えた。


 店の外が変わっているわけではなく、このコンビニ自体が移動しているのだ。

 街中に張り巡らされたレールの上に乗って、路面電車のように分速四十五メートルで進むコンビニ。それが今の俺の職場だ。

 カタツムリよりも早く、牛の歩みで動く、生きているコンビニ。なぜこんな奇妙な店ができたのかというと、コンビニに足を運ぶことすら面倒になった人間の怠惰を汲み取った結果らしい。人間が動く時代は終わったのだ、と誰かが言っていた。

 もっとも利用客の多い時間帯にその場所に拠点を移す移動型コンビニは、おかげさまでそれなりに需要はあるようだ。かくいう俺も今日で何連勤めか、数えることも億劫だ。


 人間の怠けぶりはどこまでもとどまることを知らない。

 中には入店し、雑誌を立ち読みして時間を潰し、目的地に近づいたところで店を出て行く客もいるほどだ。

 渡りコンビニ、とこの店は呼ばれている。渡り鳥のように、各地を転々とレールに乗って移動している様子から付けられた呼び名だ。


 ティロリロティロリロ。

 来客を知らせる音楽につられて入り口を見れば、プロレスラーのような覆面をかぶった男が立っていた。俺の肌がざわつく。一目でわかる。コンビニ強盗だ。


「常に移動しているってのも考えもんだな。金を奪ってからより遠くに逃げられるってわけだ」


 男はレジカウンター越しにこちらに身を乗り出し、ナイフを突きつけてきた。


「金、出しな。出し惜しみはすんじゃねえぞ。全部だ」


 目の前で光るナイフを眺めたあと、外の景色に目を向ける。店の外ではビル群がゆっくりと流れていった。


「なによそ見してんだ! さっさと金を出せっつってんだろ!」


 ナイフをものともしない俺の態度が気に食わなかったのか、男は声を荒げた。

 俺は淡々とレジスターを開ける。


「お客さん、どうしてうちが移動しているか、知ってます?」


「こうして強盗に襲われたとき、どこで犯人が逃走したかわかりづらくするためだろ。しかも待ち伏せしていればそっちからのこのこやって来てくれるしな」


 覆面男は鼻で笑った。


「コンビニエンスストアとはよく言ったもんだぜ。ほんと、便利なもんだ」


「そうですね、本当によくできたシステムだと思いますよ」


 俺はレジスターの中にある赤い非常ボタンを押した。とたん、天井から無機質な鋼鉄製の格子が高速で降ってきて、レジカウンターと覆面男のいる店内を分断する。ナイフが檻に挟まれてぐにゃりとひん曲がった。

 同様の格子が店外にも下り、たちまち覆面男はコンビニ内に閉じ込められる。もちろん俺も外に出られないが、それも少しの我慢だ。

 レジカウンターの床に生えていたレバーを引く。それまでゆっくりと進んでいたコンビニの速度が速まり、外の街路樹が何本も勢いよく流れていく。横からかかるGに覆面男はよろめき、尻餅をついた。


「な、なんだ、どこへ向かってる!?」


「もちろん警察ですよ。一一〇番要らずです」


 合理的でしょう? と言う俺を、男は青ざめた顔で見やる。


「お、俺が悪かった! 頼む、警察だけは勘弁してくれ!」


「いいですよ」


「は?」


 よもや要求があっさりと通るとは思わなかったのか、男は間抜けな声を出した。

 俺は傾いていたレバーを戻す。コンビニの移動スピードが落ち、平常運転になっていく。お客様の入りやすい、分速四十五メートルだ。

 景色の流れる速度がゆるやかになったのを見た強盗は、信じられないような目つきでこっちを見ていた。


「本当に、見逃してくれるのか?」


「ええ、まあ。これから言うことを聞いてくれるのなら」


 俺は裏の休憩室に引っ込み、コンビニの制服を手にレジへと戻る。そして、鉄格子越しに制服を男に渡した。


「着替えてください。ああ、覆面は脱いでくださいね」


「はあ」


 覆面男は意外にも素直に指示に従い、制服に身を包む。無精ひげが生えているのはいただけないが、まあ、おいおい身だしなみは整えてもらおう。

 着替えを見届けた俺は満足げに頷き、レジスターの中のボタンを解除して鉄格子を取り払った。

 折れ曲がったナイフを拾い、燃えないゴミ用のダストボックスに入れる。それから男を手招きすると、おずおずと男はレジカウンターの中に入ってきてくれた。どちらに主導権があるか、もう充分伝わったことだろう。


「警察に通報しない代わりに、条件があります」


「条件?」


「シフト、替わってください」


「おおう?」


 俺はコピー機のもとに向かい、印刷された紙を手に取る。


宮持みやもち慎一しんいちさん、ですね。先ほど、監視カメラの映像から身元を割り出しました。志望動機はお金が欲しいから。充分です。あなたを採用します」


 これは犯人の情報であるとともに、履歴書でもあるのだ。当然拒否権はない。


「警察に突き出されたくなければ、大人しくここで働いてください。マニュアルがあるので仕事は自然と覚えられるでしょう」


「いや、何がなんだか……」


「大丈夫です。すぐに慣れます。あなたならやれますよ」


 なんの根拠もないのに、俺は宮持さんの肩を叩く。宮持さんは俺よりも一回りぐらい年上だった。年上の後輩ができるというのも今どき珍しい話ではない。


「もしさぼったり逃げ出そうとしたりしようとするなら、このコンビニは一直線に警察署まで向かいます。もちろんあなたを乗せたまま、ね」


 呆然と立ち尽くす宮持さんを尻目に俺は休憩室に引っ込み、私服に着替えて店内を物色した。

 缶コーヒー二本をレジに置く。いまや俺が来客で宮持さんが店員。立場が逆転している。


「あ、フランクフルト一本ください」


「えっ」


「ホットスナックを出す場合は手を消毒するのを忘れないようにしてくださいね。それと、ケチャップとマスタードも付けるように」


「えっえっ、はい」


 宮持さんは慣れない手つきでフランクフルトを取り出して商品のバーコードを読み込み、「四百三十円です」と覇気のない声で告げた。混乱しているのが手に取るようにわかる。俺も最初はそうだったのだから。

 五百円玉を出し、お釣りを受け取ってから缶コーヒーを一本、宮持さんに渡す。


「知っての通りコンビニは二十四時間営業。頑張ってくださいね。じゃあ、お疲れ様です」


「いや、あの」


 狼狽する新人をよそに、俺はコンビニの外に出る。久しぶりに浴びた外の風は、まだ冷たかった。

 さあ、もうすぐ昼のラッシュ時だ。慣れていない人にはさぞ大変だろうが、人間、その気になればなんとかできるものだ。

 手に提げたコンビニ袋が歩くたびにがさがさと鳴く。

 俺は晴れやかな気分で店を後にした。

 背後では、コンビニがじりじりと遠ざかっていくのを感じた。

 あのコンビニは生きている。人間の細胞と同じだ。中の店員を定期的に入れ替えることで機能している。

 コンビニ強盗がなくならない限り、あの店はずっと街中を動き回り続けるのだろう。

 俺は久しぶりの自由を噛み締めながら、フランクフルトを取り出す。ケチャップとマスタードが入れ忘れられていたが、あの店に戻ろうとは微塵も思わなかった。

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