第34話 スイに
スイの食事が終わった後、マスターにいくばくかの金銭を支払い、奥に通してもらう。
店の奥は廊下になっていて、四つの扉と上へ登る階段がある。
スイについて行き、一番奥の右手の扉をくぐった。
中は机と椅子だけが置いてあり、店と同じで壁と床は板張りになっていた。
「それで話というのは何だい?」
「ペタンの葉のことについて教えてくれたじゃない。だから、私の方からもあなたにと思って」
「ふうん。ボクから言うのも何だけど、君は人が良すぎる。そんなんだとすぐ騙されてあの世行さ」
「うん。今のでスイが私との秘密を守ってくれるって分かったよ」
「あはは」
スイは猫耳をぴこぴこ動かして、手を叩いて笑う。
彼女は俺に「騙されるよ」とわざわざ言うくらいだから、悪いようにはしないだろうと思う。
でも、秘密を守ってくれなくてもいいとさえ思っている。誰かに伝える必要があった。それがたまたまスイなのだから、秘密が漏れることも想定内だ。
「さっそくだけど、手短に」
「いきなりだね。君は大物なのかただの世間知らずなのか分からなくなるよ」
「村の南口から出て……」
「おっと、待って欲しい。さっきからボクは君に何もかも信頼するなと言った」
「うん。だから、喋ろうと」
「君の理屈は分かった。だけど、ボクもボクなりにちゃんと見せておきたい」
スイが立ち上がり、俺にも立つよう顎と尻尾で示す。
握手でもするのかねなんて思い立ち上がると、急に抱き着かれた。
「抱擁することが約束を守る印なの?」
「いや、失礼するよ」
ふわりと彼女の髪の毛が浮いたかと思うと、俺の頬に彼女の唇が。
ガタリ――。
「な、な……」
音の原因はモニカだった。
席を立とうとしてどこかにぶつけたんだな。
彼女にしては思わぬミスだったのか、珍しく声にならない声をあげていた。
「これが印?」
「そうさ。別に唇でもよかったんだが、さすがのボクもいきなりは……ちょっと」
「スイが秘密を守ろうとしてくれているのが分かったから、行為自体はどんな形でも一緒よ」
「今度はちゃんとするからね」
「次も頬でいいかな……」
たとえ可愛い女の子からとしても、いきなりキスされたら困惑するだろ。
変な壺を売られたり、後から怖いお兄さんが来たりすることを疑ってしまう。
スイの肩に両手を乗せやんわりと彼女を自分の体から引き離す。
「モニカ、どこか打ったの?」
「いえ、だ、大丈夫です」
椅子に座る前にモニカに問いかけたが、彼女は顔を逸らす。
スイがいる手前、彼女らしくない音を立ててしまったことが余程恥ずかしいのだろう。頬を染め、指先を机の上に乗せてせわしなく動かしている。
「本当に大丈夫?」
「はい。問題ありません」
彼女の顔を覗き込んだら、しゃきっといつものモニカに戻っってくれた。
「お待たせ」
「ううん。いいものを見せてもらったから良しさ」
何だか聞いちゃいけない気がしたから、これ以上この件でスイに問いかけるのはやめておこう。
さっきから尻尾がパタパタしているし……。
「それでさっきの続きなんだけど、村の南口を出て東の街道を馬車で一日と少しくらい進んだところに目印を置いておいたの」
「目印?」
「よく見ないと分からなくしているんだけど、普段から野外活動に慣れているスイならたぶんすぐに発見できると思う」
「なるほど。どんな物を目印にしたんだい?」
興味深そうに耳をペタンと頭につけるスイ。
「小さな金属製のコップを置いておいたの。そこから街道を背にして真っ直ぐ先に見える木々と藪の先にペタンの群生地があるの」
「そいつは重要情報だね。どうしてボクにそんなことを?」
「私たちはすぐにこの村を立つ予定なのね。だから、万が一、ペタンの葉が不足した時のことを思って」
「君はとんだお人よしだね。ボクが全部とっちゃったらどうしたんだい?」
「その時はその時。私はあなたを信じる。あの群生地は万が一のためにと思ってくれることを、ね」
「あはは。承ったよ。村の近くの群生地もそのうち再生するし。心の隅に留めておくよ。群生地の確認はするけどね」
「うん。確認しておいてもらえると助かるよ。ありがとう」
モニカに目を向けると、彼女は懐からお金の入った小袋を取り出し机の上に乗せた。
一方でスイは首を横に振り、指先を左右に振る。
「謝礼なんて要らないさ。君は村のことを思ってボクに相談してくれた。だから、それでいい」
「うん」
ガッチリと握手を交わし、スイと笑顔で頷き合う。
◇◇◇
宿に行くと今日も無事ツインルームが取れたので、さっそく部屋の鍵を持って二階にあがる。
昨日とは別の部屋だけど、部屋が空いていてよかったよ。今の今まで部屋の予約のことを忘れていたんだから……。
部屋に入るとさっそくベッドに腰かけ、ニクをバックパックから出してやる。
実は俺の抱えているバックパックはニク以外は何も入っていない。なので、モニカの抱えるバックパックにお金とかの必要物資が入っているとうわけだ。
ニクは結構大きいからな……。
床に寝そべるニクの首元と背中は大きく禿げあがっていて痛々しい。
ペタンの薬草をぬりぬりし、ニクに大麦を与えると鼻をひくひくさせながらいつものようにガツガツ食べ始めた。
幸いにも病を患って以来、ニクの食欲は落ちる様子がない。
食べる元気があるなら、大丈夫だ。このまま元気になってくれよ。
「ニクは果報者ですね。これだけソーニャ様に可愛がっていただいて」
ニクの前でしゃがみ込み、顎下を撫でるモニカ。
撫でられるのが気持ちいいのかニクは目をつぶって、ぐるぐると喉奥を鳴らしている。
「そういえば、モニカ。怪我の様子はどうなの?」
「怪我? 擦りむいてもいませんが……」
「あの時、机に膝か何かをぶつけていなかった?」
「いえ、そのようなことはございません」
「そうなの?」
「はい。そうです」
うつむいて頬を朱がさしているモニカに何が起こったのか聞くのも野暮だと思い、この話はこれで打ち切ることにした。
ところが、寝る前に俺は聞いてしまったのだ。彼女の独り言を。
既に部屋の明かりは消していて、俺がもう寝ているとでも思ったのだろうか?
「聖女様の肌に触れるだけじゃなく……唇を……わたしはもちろん、あれだけ聖女様にベッタリだったフェリシアさえも畏れ多くて何もしていないというのに……」
うわあ。それか、それでお怒りだったのか。
聞きたくない。これ以上聞きたくない。寝よう。とっとと意識を失うのだ。俺。
しかし俺の意思とは裏腹に無情にもモニカの独り言は続く。
「アリシア様もソウシ様もどちらも等しくわたしにとっては今も聖女様です。男の人は苦手なのですが、ソウシ様は別です。あの方といると心が安らぐのですから。おやすみなさいませ。ソウシ様……」
モニカ……。
そんな風に思っていてくれたのか。義務感から俺の世話をしてくれていたんじゃなかったんだな。
俺だからお手伝いに来てくれたとはこれほど嬉しいことはない。
おやすみ。モニカ。
明日からもよろしくな。
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