第10話 風の精霊
「えっと、ヒールは通常、植物に効果を及ぼさないってこと?」
「いえ、アリシア様が見せてくださったのですが、しおれかけた花を元気にすることはできるようです」
在りし日のアリシアを思ってか、モニカがすううっと目を細め胸の前に手を置く。
「一応植物には効果を及ぼすんだな」
「はい。植物も人間と同じ生き物ですから。傷を癒すことだって可能です。ですが……」
「ん?」
可愛らしい眉をしかめて、むうっと唇を尖らせるモニカ。
「人間をはじめとした動物の傷を癒すことに比べて、膨大な魔力を注ぎ込んでも植物には同等の効果を発揮しません」
「つまり、超効率が悪いと」
「有り体に言えば、その通りです」
コクリと頷きを返すモニカへうーむと顎に指先を当て独り言のように呟いた。
「俺は人の傷を殆ど癒せないからなあ。その分植物に効果がってことで」
「かなりもやもやしますが……考えても仕方ありませんし……」
「俺たちは学者じゃないしな。ははは」
「え、ええ……」
二人揃って目が泳ぎ、乾いた笑い声をあげる。
「え、えーとだな。アンズの木と畑にはサツマイモがまだ埋まっている」
「それと小麦でしょうか」
場の空気を誤魔化すように畑を指さすと、モニカも元の表情に戻り乗ってきてくれた。
「そそ。そういうわけで、野菜はその日のうちに収穫できる。ただ」
「何か制限があるのですか。まさか、自らの血肉を使うとか禁忌に触れて……」
「いや、それはない。樹木は一日二本が限界なんだ。あれは一回のヒールじゃあ育ちきらない」
「どれだけ魔力を注ぎ込んでいるのかクラクラしてきました。ソウシ様の魔力量は規格外ですから……それを」
未だペタンと座ったままのモニカは額に手を当てクラリと倒れ込みそうになる。
彼女の背を支え、元の姿勢に戻し柔らかにほほ笑む。
「まあ、食糧に困らないってことさ」
「……で、ですね。芋と小麦を収穫しますか?」
「サツマイモはまだまだ馬車の中にあるから大丈夫。小麦は今すぐ収穫してもなあ……」
「粉ひきまでは持ってきてません。ですが、一つ気になることがございます」
パンパンとスカートをはたきながら立ち上がったモニカが、ピンと指を一本立てた。
「なんだろう?」
「今、『馬車の中』とおっしゃいましたよね」
「うん」
「そこにお屋敷があるのですが、馬車なのですか?」
うん、もっともな質問だ。彼女はまだあの屋敷の外観しか見ていないからな。
中は埃まみれでいろんな物が朽ちかけているんだぜ。
「この村……ええっとランバード村だったかな。50年前に放棄された村なんだよ」
「お聞きしております。石造りのお屋敷ですし、建物くらいは使えるのでは?」
「そのうち利用しようと思っているよ」
「ソウシ様をいつまでも馬車でお休みにならせるわけにはいきません!」
何やら突然スイッチが入ったモニカが、グッと両こぶしを握りしめ、屋敷をきっと見やる。
「お屋敷に行きましょう。ソウシ様!」
珍しくえらい積極的だな……モニカが自分から俺を誘うなんて数えるほどしかなかった。
今にも歩きだしそうな彼女だったが、それでも俺の返事があるまで動かずにその場に留まっている。
「分かった。見に行こうか」
「はい!」
うわあ。
超やる気だなあ。あの埃の大群を見たら彼女もきっと眉をしかめるに違いない。
あいつらは手強い。
そんなわけでやってきました。お屋敷です。
やって来たと言うほど歩いたわけじゃあないけどね。畑の隣に屋敷があるのだから。
「それじゃあ、開けるぞ」
呼びかけに無言で頷きを返すモニカだったが、早く中を改めたいのか指先がプルプルしている。
何だか、待てをされている子犬みたいで可愛い。
元は金色だったドアノブも今ではすっかり塗装が剥げてくすんだ灰色をしていた。
ドアノブを掴み、一息に扉を開ける。錆びついたドアの継ぎ目がぎいいっと悲鳴をあげた。
「あ……」
「お掃除されたのですね」
モニカの微妙な慰めが胸にちくちく痛い……。こういう時は変な気を回さずズバッと言い切ってくれた方がすっきりするんだよな。
そう、中は水浸しだったのだあ。
一日で水が引くわけがなく、まだ一センチ以上の水かさがある。
「入ると濡れるぞ」
構わず中へ入ろうとするモニカへ向け右手をあげた。
すると彼女はニコリと微笑み、俺の手を引く。
「ソウシ様、こちらへ」
中には入らず、入口扉の左に一歩進んだところでモニカが俺の手を離す。
この位置だと屋敷の中を確認することはできない。
俺の手を離したモニカは屋敷の入り口の前に立って、目を閉じた。
「モニカの名においてお願いいたします。風の精霊さん。ウィンドブレイク」
彼女の力ある言葉が終わった瞬間、屋敷の中にゴオオオオと風が切る轟音が響き渡った。
そして――。
ぶわっしゃああああっと屋敷の中から水が噴き出てきた。
なるほど。これがあるから俺を横にどかせたのか。
でも、これじゃあモニカがずぶ濡れに……なっていない。
水は彼女を避けるように後ろに吹き飛んでいった。
「モニカ」
「綺麗になりました」
モニカが人差し指を立て、「濡れてないよ」とでも言わんばかりにその場でクルリと一回転する。
確かに水しぶきは飛んでこない。見た所、サラサラの金糸のような髪の毛一本に至るまで水滴が付着した様子もなかった。
そうだった。彼女は「お掃除が得意」だったんだよ。
この屋敷に初めて入った時も彼女がいればなあと思ったっけ。
「お待たせいたしました。どうぞ中へ」
モニカは両手をお腹の辺りに揃え、澄ました顔で頭を下げた。
完璧なメイドの仕草に頭が下がる。もう、そこまで畏まらなくてもいいのになんて苦笑しつつも屋敷の中を覗き込む。
「お、おお」
「どうでしょうか?」
「すっかり水が無くなっている。それに、あれだけ埃まみれだった部屋が」
「ソウシ様がお水で洗い流してくださったからですよ」
「頑固な汚れは水洗いだったか」
「はい」
ふんわりと口元に微笑みを称え、モニカが再度お辞儀をする。
屋敷の中はすっかり水が引き、僅かに湿り気がある程度だった。
暖炉やキッチンはあれだけの轟音だったけど、元の形を保っている。この辺りの調整はさすがモニカといつもながら感嘆を禁じ得ない。
もし俺が風の精霊魔法を使えたとしても、こうはいかないだろうなあ……。
「どうされましたか? まさかゴーストの類が?」
「いや、ちょっと自分に対して思う事があってな……」
俺がやるとたぶん、家ごと「大☆破☆壊」になるだろうな。水でよかった。
「ソウシ様が憂うことなど何一つございません!」
「そ、そうかな……」
「そうですとも! ソウシ様はお美しく、魔力量も」
「だああ。その辺で」
恥ずかしいことをおくびもなく言うもんじゃないぞ。
確かに自分なりに努力はしてきた。これは事実だ。まあ、少しくらいなら褒めてくれてもいいんだぜ……なんて自分のことを棚に上げて思うこともある。
だけど、ほら。そんな拳を握りしめて力一杯来られると、逆に引くから。
「ですが、ソウシ様。このままですと使用するのは厳しいと言わざるを得ません」
一人悶える俺とは異なり、できるメイドのモニカはちゃんと壁やキッチンをチェックしている。
「やっぱり老朽化が激しいよな」
「補強すれば、住処となると思います。二階はどのようになっているのですか?」
「見に行こうか」
二階に行きたそうにしているモニカの前に立ち、先に階段を登り始めた。
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