第8話 来客
無心でアーモンドの実から種を取り出していた。
お昼までに別の事をやろうと思っていたけど、横からかすめ取られてしまったら無性にアーモンドが食べてくなってさ。
そうなったらもう止めることができなかった。
「ぬううおおお」
鍋にアーモンドの種を放り込む。
よっし、これで満タンだ!
アーモンドを洗浄し、馬車の屋根の上に並べる頃にはお昼を優に過ぎていた。
「ふう。やり切ったぞ。さあて、昼食にするとしよう」
ドカッと竈の前で腰を降ろし、お昼は何にしようかなあと顎に指先を当てる。
「ん?」
遠くから馬車が走る音が聞こえてきた。
こんな寒村にまさか行商人など来ないだろうと訝しみつつも、警戒態勢を取る。
しかし、御者台に座るくすんだ緑色をした鱗を持つリザードマンが目に入ると、一気に脱力してしまう。
「ベルンハルト」
「慌ただしい訪問、誠に申し訳ありません」
御者台からヒラリと飛び降りたベルンハルトは、片膝を付き謝罪の言葉を述べる。
「何か危急の事態があったのか?」
あの平和な王都でクーデーターか何かが起こるとも思えないし……。
俺が替え玉であることが世間に知れてしまって大変なことになっているとか? いや、もうその心配はないはず。
だって、元聖女は「王都に居る」のだから。
俺の心配をよそにベルンハルトは首を横に振り、再度頭を下げた。
「これまで黙っており、申し訳ありませんでした。情にほだされ、正直であろうとしなかった私をお許しください」
なんだなんだ。
ベルンハルトが誠実で、俺のためを思って行動してくれていたことは知っている。
黙っていたのもきっと俺のことを思ってのことだろう。
だから。
「ベルンハルト。謝る必要なんてないさ」
彼の肩に手を当て、立ち上がらせる。
その時、後部の幌が揺れ中から人が姿を現した。
「モ、モニカ?」
「お姉様……」
金糸のようなサラサラした髪を肩口で切り揃えた十七歳の少女。大きな目が少し垂れていて、柔らかさを醸し出している。
白と黒のメイド服を着たこの姿は昔日のままだ。
二度と会う事がないと思っていた少女がここに来たことに驚き、目を見開いてしまう。
モニカがストンと馬車から降りるとふわりとスカートが揺れる。
彼女はそのまま両膝を尽き、体を伏せた。
「お姉様、申し訳ありません!」
「な、何だよ。二人して。一体何があったんだ?」
「ベルンハルトさんにお願いして、わたし……」
海のようなスカイブルーの瞳が潤み始める。
いろいろあったことだけは分かるが、どうも要領を得ない。
「ゆっくりでいい。最初から経緯を話てもらえるか」
その場で膝をつき、モニカの顔を覗き込むようにして優しく微笑む。
「お姉様が王都を立った後、そのままお姉様を追いかけたのです」
「俺がフレージュ村にいた時も村にいたりした?」
モニカはコクリと頷きを返す。
そらそうだよなあ。ベルンハルトと一緒に来たってことは、どこかで彼と合流しなきゃならない。
俺がこの地に住み始めてまだ一週間も経っていないから、彼が往復できる距離なんてたかが知れている。
王都とここを往復するのは不可能だ。となれば、モニカはベルンハルトをここから一番近い村フレージュで滞在していなきゃ間に合わない。
「最初からご一緒したら、必ずお姉様は同行を拒むと思いまして……」
「いや、何か不測の事態が起こっているのなら……いや、まさか……」
よく考えなくても分かった。
そもそも、モニカが後を追うことが危急の事態に対する知らせなら、既にベルンハルトから俺に知らされている。
そうじゃなくて、今ここでモニカが直接俺に会いに来たということは……。
「ここで暮らしたいと思っているのか?」
「はい……ダメですか? お姉様」
「いや、それは……」
今にも泣き出しそうな様子で目に涙をためながら、口元を震わせるモニカ。
俺個人としては、一人で暮らすよりモニカが居てくれた方が心強いし孤独に苛まれることもなくなる。
だけど、彼女は聖女の侍女を務めているんだ。
「フェリシアには新しい侍女が二人つきます。ご存知なかったのですか……?」
「え? そうなの? モニカとフェリシアは仲が良かったし、そのままフェリシアの侍女になると思っていた」
「フェリシアの侍女になれるのなら、わたしも今よりもっと悩んだと思います。ですが、そうであったとしてもここに来ることを選んだと言い切れます」
そんな断言されてもだな。
「ソウシ殿、王都のことはご心配なさらず。黙っており申し訳ありません。手筈は全て滞りなく済んでおります」
たじろく俺へベルンハルトが口を挟む。
「要するにどうなったんだ?」
「モニカはソウシ殿のメイドとして、暮らしていくことが許可されております」
「それって、アリシアはどうなるんだ?」
「その辺りも滞りなく、ご心配なさらずとも」
そっか。
後顧に憂いは無いのね。
いろいろややこしいことになっていそうだけど、敢えて聞かない。
ベルンハルトが「滞りなく」と言うんだ。神官長やフェリシアがうまくやってくれたのだろう。
「モニカ、そこまでしてここに来てくれたのか」
「はい。お姉様とご一緒させて頂きたいのです。わたしをここに置いてくださいませんか?」
うつむいたまま消え入りそうな声でモニカがお願いしてくる。
彼女は余り自己主張するような子じゃあなかった。それが、ハッキリと「一緒にいたい」と言ったんだ。
彼女の中で言葉として発するに相当の覚悟があったことは想像に難くない。
「分かったよ。モニカ」
彼女に手を差し伸べ、肩をポンと叩く。次に彼女の手を握り、引っ張り上げるようにして彼女を立たせた。
「お姉様」
「ただし、一つ条件がある」
「な、何でしょうか……」
モニカは不安気に睫毛を震わせ、手に力が籠る。
「『お姉様』はもう卒業だ。俺は
「は、はい。ソウシ様……でよろしいでしょうか」
「ま、まあ、それで」
お兄様になるよりはマシか。モニカの気質からして「様」付けをやめてもらうのは難しそうだし。
しっかし、鼻を赤くして涙をためているというのにいい笑顔をしている。
そんなに嬉しかったのかな。
ここでの暮らしはお屋敷と違って、サバイバル感溢れるのだが、いや、そんなこと彼女は承知の上でここまでやって来ているのだろう。
「ベルンハルト。一つだけ聞かせてくれ」
「何なりと」
「俺のことを知る人は変わっていないのかな?」
「はい。変わっておりません」
「ごめん、もう一つ。アリシアはやはり、そのままなのかな?」
「はい。その通りです」
「そっか、ありがとう。モニカの護衛もありがとうな」
「いえ」
ベルンハルトは小さく頭を下げ、馬車と馬を繋ぐ器具を取り外し始めた。
「今回も馬車を置いていってくれるのか?」
「はい。ここにはモニカの身の回りのものや、彼女の愛用した品が入っております」
「馬車の手配までしてくれたんだな。助かるよ」
「いえ、問題ありません。馬車は……そうですな。狼の群れに襲われたので乗り捨てた、とでもしましょうか」
「ははは。そいつはいい」
ちょうど器具の取り外しが完了したベルンハルトの背中をポンと叩く。
この後、ベルンハルトの姿が見えなくなるまでモニカと共にずっと彼の後ろ姿を見つめていた。
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