第7話 浸水

 こうなりゃ開き直って、部屋全体を水洗いするつもりでやってやる。


「行くぜ。総士の名において依頼する。水の精霊よ。あの物を清めよ。ウォッシャー」


 精霊魔法「ウォッシャー」でダイニングテーブルと椅子を包み込む。

 

「まだまだあああ。総士の名において依頼する。水の精霊よ。かの地に雨を降らせ給え。スコール」


 どばしゃあああ。

 暖炉もキッチンも水で洗い流してしまえええ。

 物凄い水量になってしまった。くるぶしの上まで水が溜まっている。

 

 入口の扉を全開にしているから、水はどんどん外に流れて行く。

 しかし、入り口の扉は扉枠の分だけ高くなっているわけで……結果、二センチほどの水かさが残る。

 

「水をかき出すにもモップなんて便利なものはない。バケツですくうには水深が浅すぎる……」


 だ、だああああ。

 つい調子に乗ってやり過ぎてしまった。こいつは乾くまでしばらく一階部分を使うことができないな。

 だけど、乾いたら埃も粗方除去できているはずだ。

 乾燥の精霊魔法が使えたらいいんだけど、残念ながら火の精霊魔法は使うことができない。

 フェリシアがいりゃあすぐに乾かしてくれるんだけど……。

 

 ぶんぶんと首を振り、自分の邪な考えを封じ込める。

 大丈夫。乾けば使えるようになる。三日後くらいにまたここに来よう。

 

 屋敷を出たはいいが、朝から森に潜って、屋敷でも精霊魔法を乱射したこともあり激しく魔力を消費した。

 この世界にはスタータス表示なんて便利なものはない。魔力量=MPに近いが、数字で表示されることもないし、数値化することだってできないのだ。

 でも感覚でどれくらい魔力を消費したのかは分かるし、どれくらい魔法に魔力を込めたのかも把握できる。

 何ていえばいいのか、物を掴むときに力を入れるだろ? 魔力の込め具合はそんな感じだ。

 魔力量はランニングをすると疲れてくる。自分の体力が後どれくらいかなあって走っていれば分かることに似ている。

 

 体力と魔力はちょっと違うんだが、疲労感が物凄い。

 でも体は動く。慣れるまではこの感覚に吐き気を催したものだけど、三年間の苦労の末、克服できた。

 

 そんなわけで、畑仕事はできない。

 家探しは埃まみれ確定だから、さっきの悪夢が蘇る……今日のところは勘弁してくれ。

 

 ◇◇◇

 

 こういう時は単純作業に限る。

 日が暮れるまでまだ時間があるから、アーモンドの下準備でもやっておこうと思ってね。

 アーモンドの実を適当に収穫し、果物ナイフを使って種を取り出し鍋に突っ込んで行く。

 余った果実は燃やすか土に埋めるかしよう。

 

 種を井戸の水で洗い流して綺麗にした後、馬車の屋根に登ってアーモンドを並べて行く。

 天日干しすることで、乾燥させ食べることができるようになる。

 明日、雨が降らないことを祈ろう……。

 

「さてと、ご飯にするとしますか」


 昼に肉をたらふく食べたせいか、あっさりとしたものが食べたくなった。

 アンズでもむしゃむしゃするだけにしておくかあ。瑞々しい野菜なんてあれば、そいつをかじるんだけど。

 キュウリとかトマトとかさ。

 

 お湯を沸かし、アンズをもしゃもしゃしつつぼーっとしていたら、風によって自分の髪の毛がふわりと浮き上がった。

 そういや、長い髪のままだったなあ。

 アンズの果汁で少し汚れてしまったし、もう聖女をやることはないだろうから切ってしまおうか。


「髪を切ると、フェリシアとモニカがお怒りになるかもしれない……まあ、もう会うこともないだろうし……いいか」


 馬車の中からハサミを取り出し、自分の長い髪の毛を掴んでハサミを当てる。

 切るならベルンハルトと別れる時に切っておけばよかった。あの二人は俺の髪の毛を褒めてくれたんだ。

 彼女らが知らぬまま、バッサリ行くのもどうも座りが悪い。

 

「みんな元気にやっているのかなあ」


 ハサミを地面に放り出し、足を投げ出して両手を地面につく。


『お姉様。髪の毛を整えさせていただきます』


 モニカの澄ました顔が頭に浮かび、思わずクスリとしてしまう。

 彼女は俺が聖女と呼ばれるのを嫌がったら、お姉様と呼ぶようになったんだよな。もちろん、公の場では聖女様って呼んでいたけど。

 誰か一人だけでも、聖女って俺のことを呼ばない人がいるだけでどれだけ俺の気持ちが和らいだことか。

 お姉様じゃないんだけど……まあそこは仕方ない。万が一にでも秘密を知らない人に聞かれてしまう危険性を考えてのことだから。

 彼女は俺の世話役として、本当によく働いてくれた。着替えのお手伝い以外は大満足している。

 着替えくらい一人でできるし、服を脱がされるのも気恥ずかしい。

 もう一人の侍女であったフェリシアは、光属性の才能があり俺の跡を継いで聖女となった。

 俺の事を知る人が聖女になってくれたから、とても助かっている。

 

 何だか昔を思い出し、少しだけしんみりしてしまった。

 思い出って美化されるというけど、いいところだけが思い出されるものだな。この三年間、修行が本当に辛かった。

 聖女として振舞うための聖魔法と所作だけならまだマシだったろうけど、一人で生きて行くためにいろんなことを詰め込んだからもうやばいったらなんの。

 でも、それらは確かに今の俺の糧となっていて、ここで生きて行く力になってくれている。

 だから、俺がここでしっかり生きて行くことが彼らの想いに応えることじゃないかって勝手に思うことにしているんだ。

 

「うお、お湯が!」


 ぼーっと過去を思い出していたら、思いっきり沸騰しているじゃないか。

 慌てて鍋を竈から離し、紅茶の茶葉を入れた茶こしへ注ぐ。

 茶こしを通じてコップに琥珀色の液体が注がれていく。

 コーヒーの方が好みなんだけど、ちょっとお値段が張るので種だけしか持ってこれていない。

 そのうちコーヒーの木を育ててみようと思う。焙煎をするのが困難を極めそうだけど……。

 失敗もそれはそれで、生活のエッセンスの一つになるし、うまく行かなくても別に構わないさ。

 いや、本音を言うとコーヒーは飲みたいんだけどね。

 

 少ししんみりとだけど着実に生活基盤を整えながら、この日も馬車で就寝する。

 

 ガサゴソ――。

 夜明け前ごろだろうか、まだ朝日は昇っていない。

 何やら天井から僅かな音がするんだよな。確認しに行こうと思ったが、眠気が勝り……すやーっと。

 

 待て。そのまますやーっとしたら危険だろ。

 こういう時は、こうだ。

 

「総士の名において祈る。我に結界を」

 

 小さな水晶を握りしめ、再び寝る俺であった。

 物音からして小動物だろうし、万が一があっても結界が俺を護ってくれる。

 

 ◇◇◇

 

 しかし、あの時起きていればよかったと翌朝後悔することになってしまった。


「ひ、酷い。俺のアーモンドが……」


 鼻歌交じりに屋根に天日干ししたアーモンドを確認しようとしたら、俺のアーモンドが一つたりとも残っていなかった!

 あのガサゴソとした音は、アーモンドを食い散らかした何者かが通った音だったのか。

 

 ガクリと項垂れていても始まらない。

 絶対に捉えてやる。今に見てろよ。

 

「ククク……」


 昏い目で虚空を見つめながら、低い声で笑う。

 どんな生物か知らんが、俺のアーモンドの恨みを晴らしてやるからな。

 

「まあ、それはともかくとして、朝食にしよう」


 すぐに気持ちを切り替え、朝食の準備に取り掛かる。

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