第2話 チャイナ服と風紀委員
……黒い瞳が睨みつける。
敵意を剥き出しにした剣呑な視線。
長い艶やかな黒髪は腰のあたりまで伸ばされ、少女を形容する大きな要素といっていい。可愛らしい輪郭とすっきりとした目鼻立ちの中で、その小さい頂を形成する鼻はツンッと上を向いて今では想像すらできないであろう薄紅色の唇は一文字に結び、一点を睨みつけていた。
「もぉ、何で忙しいときにかぎって向かい風なのよぉ!」
日本人の魅力、可憐さを匂わせる凜とした少女である。身につける制服もまた、緑のスカートに深緑のブレザー。私立の女子といった風貌ながら立ち漕ぎに自転車のペダルを踏みしめて動輪を動かそうと躍起になっている。チェーンがペダルに噛む音が軋むがそれ以上に身体に当たる風が行く手を壁の様に塞ぐ事に悪態をついている。母親の言う通りその風で長い黒髪は乾ききろうとしていた。
……年頃の娘ならば身だしなみにも気を遣うべきなのだろうが愛にとってそんなことは頭の片隅にすらない。若さ。ごまかしが一切効かない肌は健康的に、そして凶悪に通学で鍛え上げられた少女らしい幼さ。一切の無駄のないしなやかな、それで研ぎ澄まされた日本刀の如き清廉さを併せ持つ。その肢体にあって不釣合いな大きな胸を弾ませながら元気いっぱいに。
「おはようございまーす!」
身体が風の勢いになれたのであろう鎖骨から胸元に一線を画する躍動は肺活量になって肺に空気を送り込む。それは心臓に火花を散らすエネルギーの励起だ。踏み込む脚の一漕ぎで一気に距離を稼いだ愛は吐き出す息とともに挨拶の言葉が素直に言葉に出る。物怖じなんて言葉は彼女にはない。
「おはよう。今日も元気だね」
「ええっ、こんないい天気ですもの。元気になっちゃう」
商店街の人もまばらな通りを器用に通り抜けて店先で掃除をする人や馴染みの人に挨拶しながらロータリーを抜けて一気に上り坂になる学校前の最後の難所を一気に駆け抜けていく。
「……相変わらず、元気な女の子だね」
そう、苦笑するのもいつもの風景。
駐輪所に自転車を停車させてダイアルロック式のカギを車輪に回して施錠すると一息つきた。白いため息は深呼吸もかねて。そこで身だしなみを目視で確認。
「んっ、遅刻厳禁だものね♪」
少女にとっての美徳であり自分では長所だと思っている結果オーライ。
悪く言えば大雑把ともいえるその性格はフットワークの軽さもあって健康的であるが御淑やかさには程遠い。黙っていれば凛としているのだが話せば襤褸がでてしまうという。
年端もいかぬような幼さが色濃く残る体躯ながら流れる様な曲線を描く胴のくびれ、上に引き絞られた弓の如く半球を描く臀部すべてが子女の制服に覆われた。どこにでもいる普通の女の子。
「……また、遅刻ギリギリ。とんだ優等生だこと」
声に振り替えると側面に髪飾りを飾った一見、中華風の女子生徒が声をかけてきた。詰問するかのようなとげとげしい口調だが、それは私に敵意があってといった事ではないことを私は知っている。
「んーっ、優等生じゃないけど、でもまだ、予鈴は鳴ってないしセーフじゃない?風紀委員さん」
時計を見るような仕草をしてから彼女に微笑んで
(……あんなことをしたのに風紀委員なんてっ)
「法には触れてはいないし、マナが見せびらかすから悪い」
こちらが思っていることを見透かした様に告げたのに絶句していると相手が意地悪く微笑む。意趣返しもあっちの方が得意で……
「日本人の悪い癖ね。すぐに人の優位に立とうとする。それにマナは心が読みやすい」
(……どーせ、単純な馬鹿ですよーだ)
「あなたが表裏のない好人物の証拠ね。それに私にとっては大事なひと」
意表をついた発言に顔を赤らめてしまう私。
……確かに紆余曲折あったけど私たちは友達になった。出会いは最悪だったけど。それを埋めるほどの友情を確かに得たし、この憎まれ口だって相手の心を知った後ではちがってみえると私は知っている。
「もぅ、性急なのは時として重大事故を招くね」
……あ、そだね。確かにスピードを出しての自転車の運転は褒められたものじゃない。
「うん。ごめんね。
厳しい口調が私を案じていると知ったから素直に謝る。それに麗白華は満足げに微笑んだ。
「直ぐに自分の非を認め謝罪するのはあなたの美徳ね。次からは私が起こしにいくよ」
その提案に私は深々と頭を下げた。
白華には悪いけど、そうしてもらった方がいいかもしれない
「……それがあの夜に交わした約束だものね」
私の首筋に袈裟斬りに打ちのめした蹴りが突き刺さる。その痛みに身を強張らせつつ相手が体勢を立て直す前に右横凪に相手の脇腹に振り上げた回し蹴り。
「あがっ かはっ……っ」
憎々しげに私を睨みつけ罵声をあびせかける相手にキッと黒い瞳に凶暴な狂気が宿る。その瞳に私も気圧されないように真っ直ぐに見つめ返し五指を広げて相手に牽制するように突き出し腰だめに身構えた。相手がチャイナ服に隠したチケットを奪い返さなければ…
何気なしに立ち寄った縁日の露店。引いたのはアイドルのライブチケット。
まったく興味はないけど、行ってみようかと思った矢先、無慈悲な一撃が少女の手より紙切れを奪い取っていた。そこに生意気そうに不敵に嘲笑わらう中国人女性。
「大事でもないなら、私に譲ることね」
その物言いもそうだけど、他人のものを勝手に盗んでおいてその横柄な態度にカチンッと頭に来た。
「……返してください!」
私は雑踏の中、私が当てたチケットを挑発でもするようにヒラヒラと振っている手を掴もうとするがその手が払いのけられ返す手が裏拳となって私の鼻腔を強く打ち鼻腔から赤い花が散った。
「返してほしかった力ずくで……って」
赤い血を拭きながらもその手を掴んで腕に自分の腕を回し身体を捻って相手を叩きつける。アームホィップという投げ技を仕掛けて相手に意趣返し。相手は低く地面に叩きつけられて唸った
「……くふっ、うううっ…あなた、有段者みたいね」
地面に叩きつけた際に出血したのだろう額に血がにじんでいる。鼻血を拭きつつも倒れている相手を見下ろして私は相手に告げた。
「……あなたこそ、痛い目をみる前に盗んだものを返してください」
見上げる瞳が強い光彩に代わっていく。周囲はいきなりはじまった少女同士の乱闘に周囲を取り囲みはじめていた。それにため息をついてこの喧騒の渦中の人物になった不運を呪いつつ、火中の栗を拾う覚悟で相手に向き直る。
それは少女が憧れていたものとは大きくかけ離れていた。
(もぉ、私は喧嘩がしたいのではなく、プロレスがしたいのに……)
桜庭愛の名を知らしめたのは彼女にとっては不本意極まりない悪名。この騒ぎがきっかけだった。人ごみをかき分けてチャイナ服の犯人を追う。
縁日の雑踏から一歩離れた神社の境内に追い詰めた愛だったが本殿の石畳の上で不敵に笑う相手に警戒して一歩も前に歩むことができなくなっていた。相手は五段の高低差。上をとった相手の一歩に愛の一歩は劣る。戦略的に不利な状況。
……転機が訪れたのは、どこかで大きな花火があがった轟音。。
栗色のセミロングが風に靡く。チャイナ服の少女が髪飾りをとった姿を見惚れてしまった。
周囲に轟く音にビクッと身震いした女の子に間髪入れず距離を詰める。
相手が躍りかかってきたその動きにカウンターを合わせる様に私の脚は石畳の階段から躍動した。
(……何っ 笑ってるの?)
私の苦笑した笑顔が自分を見下しているようで少女はさらに瞳を細めていく。
相手に向ける憎悪の炎は自分すら焼き焦がす怨嗟。
「……そのチケットあげるよ」
……その言葉がフッとすべての憎しみを忘れさせた。
拳が目標を見失って瞳は涙でぼやけてしまった。
(自分は馬鹿だっ)
私は自分の愚かさが恨めしい。
飛びかかってきた相手が花火の音に身体を強張らせた一瞬の隙。相手の下腹部に膝蹴りを突き上げてジャンピングニーパッドでそのまま相手を押し倒すように馬乗りになる。
「……そんなに欲しいならあげるよ。だから、欲しいって言って」
奪われるのは嫌だ。そんな理不尽は認められない。……だけど、欲しいのなら譲るよ。
……相手がきょとんと私を見ていた。
……見ず知らずの人間に与えるほど慈善家じゃない。だけど、名前を知って友人になら、
「……教えて、あなたの名前を」
遠雷の鳴り響く様に花火の音が遠くで聞こえていた。見上げる眩しい光彩。
相手は自分の名を告げて手を差し出した。
その手に握りしめたチケットを受け取り、そのチケットを彼女の名を呼びつつその手に置いた。
(私は、私の試合を見る人に 私の生き様を見せたい。
暴力に屈しない 私が目指すものはそういうプロレスッ!)
この出会いが私を変えた。ひとりの理解者を得てその華は咲きほころうとして。
「……部の申請は出したの?」
白華が意味ありげに告げる言葉にコクンッと頷くと、
「まぁ、昨日のうちにね。部室の方は前の先輩たちが使っていた部室があるって」
そこで、……煌々とマットを照らす光彩に会場に響き渡る女子プロレスの熱を帯びた技の応酬。その中にあって、花道を入場曲に胸躍らせる様な試合を喧伝したい。心に灯った熱い何か、この感情を今日も試合を見にきてくれたお客さんに表現したい。
「今日も応援ありがとーっ♪ いっぱい頑張るから、応援してねー」
観客席に愛嬌を振りまき、試合前のファンサービスを大事にしていつも元気な自分を表現していく。それが、私の姿になった……その夢を実現させるべく最初の一歩といったところ。
……ただ、私は自分の理想を、信念を私の世界観をカタチにしていくだけだ。
「……全然、部員が足りていませんね。却下です」
申請を出した生徒会議室でその書類に目を通した書記は開口一番に全否定した。
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