5 スパルタ親父の差し入れ

 獄中に再び静寂の時間が戻ってくる。

 外部からの刺激がなくなると否応なしに思考の渦に飲み込まれる。


 久しぶりに人と対話をしたせいだろうか?

 アオイに従うふりをしつつ、出し抜く方法を探した方が良かったのでは……

 そんなことも考えてしまう。


 いや、そんなことをしても意味はない。

 どうせもう守りたい者も、親しい友人もいないんだ。


 否。

 最初からそんな者はいなかった。

 表面上は友好的に振る舞っていても簡単に人は離れる。

 ましてや自分のような疫病神を本気で思ってくれる人なんているわけがない。


 暴人窟のやつらは最初から利害だけの関係だった。

 アミティエの仲間だって友人というほど親しいわけじゃなかった。


 たった一人の肉親だった母も、すでに――


 ふと気づくと、また鉄格子の前に誰かが立っていた。

 アオイが戻ってきたのかと思ったが足音はなかったはずだ。


 どうでもいいか……と思うシンクの感情の揺らめきは、顔を上げた瞬間に燃え上がるような憎悪に変わった。


「お前……!」


 今、彼がもっとも憎んでいる相手が誰かと問われたらアオイかルシフェルだろう。

 マナのことは恨んでも恨み足りないが、死んでしまった今となってはどうでもいい。


 だから順位をつけるとしたら三番目。

 屈強な体躯と鋭い眼光。

 シンクの人生を根本からおかしくさせた男。

 数年ぶりに会ったそいつは、迷彩柄の戦闘服を着て目の前に立っていた。


「ずいぶん良い格好じゃねえか、新九郎」

「気安く名前を呼ぶんじゃねえよクソ親父……!」


 男の名は大道盛定。

 名字はそのままシンクの旧姓でもある。


 まだ幼かったシンクに軍隊式格闘術を叩き込んだ者。

 母の一時的な再婚相手であった義理の父だ。


「久しぶりに名前を聞いた息子がテロリストとして秘密の地下牢に繋がれてるとはな。対能力者連隊AJRじゃなく対テロ部隊CTFに志願しておけば良かったぜ」

「こんな所に俺を繋いだままにしてるのはテメエの差し金か」

「期待したんなら悪いが俺にそんな権限はねえ。お前がここに押し込まれたのも偶々なら、俺が近くに寄ったのも偶然だ」

「で、せっかくだから義理の息子の惨めな姿をわざわざ見に来たってわけかよ」


 さっきまで人生を諦めたように空虚だったが、嘘のように怒りと屈辱感がわき上がってくる。

 この男にこんな姿を見られるのはとにかく我慢がならなかった。


「ああ、せっかくだから今生の別れをと思ってな」

「悪趣味極まりねえな。お袋にフラれて仕事に逃げた男が、とうとう人の情まで無くしたか」


 こいつが自分を大切に思っているなんて微塵も思ってはいない。

 それでも処刑される直前に平気な顔で会いに来る神経には吐き気がする。


「勘違いすんな。お前は死なせねえ」


 大道はシンクの足下に何かを放り投げた。


「ジョイストーン?」


 シンクの≪七色の皇帝セブンエンペラー≫ではない。

 真っ白く濁った宝石は、薄闇の中でわずかな輝きを放っている。


「現在、陸軍は謎の襲撃者との戦闘中で、指揮系統が大きく混乱してる。ここから逃げるだけならそいつを使えば十分可能だろう」

「なんだと?」


 軍が混乱しているという話も気になったが、襲撃者という単語がシンクの耳に染みこんだ。


「青い髪のガキだってよ。どうやらお前を探してるらしいぜ」

「レンか……!」


 あいつが来ているのか。

 最後に会ったのはマナに裏切られる直前だったか。


 レンの足跡だけはハルミの情報網を持ってしても全く行方がわからなかったらしい。

 もしかしたら陸軍のスパイだったハルミが隠していただけかもしれないが。

 とにかく、懐かしい名前を聞いてシンクの心は再び揺り動かされる。


「一人で軍隊に挑むガキとか少年漫画かよって思ったぜ。随分と愛されてんだなあ、お前」


 違う、だってあいつは自分と同じだ。

 シンクがマナに対して抱いていた感情と一緒。

 洗脳によって俺のことを好きだと思わされているだけ。


 最初の事件の後にあいつが受けた処置のことはアオイから聞いた。

 施設に送られて思想矯正された結果、シンクに異常な愛情を持つようになったのだと。


 ただの洗脳だ。

 俺に愛される価値なんかない。

 あいつが命を賭けるような理由も何もない。


 だが、なんだ?

 この胸の奥からわき上がる期待感は……


「ま、少し犯罪気味な感もしないではないが、応えてやるのもいいんじゃねえか? それともロリコン呼ばわりされるのは嫌か?」

「テメエはラバース側の人間だろうが。テロリストと謎の襲撃者を引き合わせるような事をして良いのかよ」


 頬が熱を帯びている。

 赤くなった顔を見られたくなくて視線を逸らす。


「いいんだよ。どうせ今日限りラバースとは金輪際縁切りだ」

「なんだと?」


 顔を上げたシンクの視線の先では迷彩柄戦闘服の厳ついオヤジがニヤリと笑っていた。


「今日が何日か知ってるか?」

「知らねえよ。時間の感覚なんて暴人窟に放り込まれたときから無え」

「なら教えてやる、二月二十六日だ」


 それでわかっただろう、と言いたげにアゴをしゃくる大道。

 しかしシンクには彼の言っている意味がよくわからない。


「……で?」

「おいおい、察しの悪いガキだな。勉強不足か?」


 大道は肩をすくめ、出来の悪い生徒を諭すような口調でとんでもないことを言った。


「クーデターの日だ。これから俺は部隊を率いて首都圏を占拠する」

「は?」

「うんざりなんだよ。俺はこの国を守るために軍に入ったんだ。ラバースコンツェルンだかなんだか知らねえが、一企業の言いなりの私兵なんかになったつもりはねえ」

「いやいやいや、あり得ねえだろこの時代にクーデターとか」

「テロリストのお前が言うな。なあに、別にこの国を根本から変えようとか、政治屋どもを皆殺しにしようってわけじゃねえ。狙うのはラバース総帥新生浩満の首だ」


 彼の父親が作り上げたラバース社を世界最大の企業連合体とせしめた一代の傑物。

 これだけ膨れ上がった企業連合がトップ一人を失った程度で崩壊するとも思わないが……


「それともう一人、俺よりラバースの暗部に近いお前なら知ってんだろ。なんだかこの世界をおかしくしてやがる元凶ってやつを」

「……特異点の男か」

「そう、人の心を操る化け物だ」


 曰く、最初のSHIP能力者。

 曰く、千人の女性に子を産ませた畜生。

 新生浩満と手を組んでラバースを支えてきた人物。

 今のラバースの躍進は間違いなくその男の協力があってこそだ。


「この二人はJOYや金の力を使ってこの世界を異常な形にねじ曲げてる。そいつらさえいなくなりゃあ、時間はかかっても自然と世の中は正しい形に戻っていくってことだ」

「……誇大妄想にしか聞こえねえな。一番悪い奴を倒して平和が戻って万歳、とはならねえだろ」

「ま、自分でもわかってるさ。それに特異点の男には個人的な恨みもある」


 大道は歯を食いしばって好戦的な笑みを浮かべる。

 その表情を見たシンクはゾッとした。


 彼は任務に忠実な軍人でも、革命に酔う闘士でもない。

 純粋に内へ秘めた怒りに胸を焦がす復讐者であった。


「クーデターに賛同してるのは対能力者連隊AJRを中心としたごく少数の部隊だ。標的を討ったあとの展望なんて考えてやいねえし、おめおめ生き永らえるつもりもねえ。諸悪の根源を取り除いた後は、今度こそこの国の人々が今度こそ正しい選択をしてくれることを願うだけだ。どっちにせよお前とこうして会話を交わすのはこれが最後になるだろう」

「死ぬつもりか」


 シンクは大道の目を見据えて問いかける。


「なんだって顔も知らないような奴だとか、国とかいうよくわかんないモノのために命を張れるんだよ? 使命感か。それとも軍人のプライドってやつか」

「そいつが『正義』ってやつだろうが」

「古くせえんだよ考え方がよ。残される息子の立場にもなってみろってんだ」


 しかし、言葉とは裏腹に大道の心情はなんとなく理解できる気がした。

 つまりはこいつは『自分がそうしたいからそうする』ってことだ。


「俺のことを父親って認めてくれんのかよ?」

「ほざいてろ」


 二人の間に小さな笑い声が漏れる。


「んじゃな。今さら言えた義理じゃねえが、強く生きろよ」

「言われるまでもねえ。こちとら十一までテメエのスパルタ教育を受けて育ったんだからな」


 強そうなやつを見つけたら片っ端からケンカを仕掛けてこいなんて教える父親。

 それが異常だって気づいたのは真夏がシンクを抱えて家を出て行った後のことだった。


「ありゃ俺の判断ミスだ。もっと良く真夏と話し合うべきだったって今でも後悔してるぜ」


 あるいは大道が決起を思い立ったのは自分と同じ理由なのかも知れない。

 ラバースコンツェルンと特異点の男に人生を翻弄された、一人の女性のために。


 シンクにとって母。

 大道にとっては妻。


 荏原真夏の仇討ちがしたかった。


「じゃあな。元気でやれよ」

「ああ。精々あの世で母さんに謝るんだな」


 おそらくは最後になるであろう親子の会話はそれで終わり。

 人気の無くなった廊下をしばし眺め、シンクは足の指で白濁色のジョイストーンをつまみ上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る