4 獄中のシンク
ラバース横浜ビルの地下階。
そこには厳重に管理された秘密の牢獄がある。
いくつもの格子を超えた先の独房には最悪のテロリストの首謀者が繋がれていた。
その名は荏原新九郎。
元アミティエ第四班班長シンクである。
シンクは両腕を鎖に繋がれている。
その場からは一歩たりとも動くことが出来ない。
廊下から差し込むわずかな明かり意外はなにもない部屋だ。
ここに閉じ込められてどれくらいになるか。
時間の感覚は消失して久しい。
腕に刺さった注射器から伸びる管は鉄格子の向こうに置かれた点滴に繋がっている。
ギリギリの栄養を与えられることでなんとか生きながらえている状態だった。
彼が起こした事件の重大さを思えば極刑になってもおかしくない。
いや、遠くない未来には現実にそうなるだろう。
別にそれでもいいと思う。
シンクの瞳にはもう希望の光は残っていない。
度重なる裏切りに合い続け、気の合う仲間を何人も失った。
これ以上は生きていたいとも思わない程に彼は憔悴しきっていた。
あるいは、このまま何十年も無為に時を過ごすことが与えられた罰なのだろうか。
それは少し嫌だなと思い、まだそんな贅沢を望んでいる自分に気づき苦笑する
遠くで扉の開く音が聞こえた。
廊下を誰かが歩いてくる。
点滴を変えるために来た人間だろうか。
一日のうちシンクが他人の姿を見る唯一の機会である。
やってくる人間は毎回変わる。
ほとんどは無言で淡々と作業を熟して去って行くが、一度だけお喋りな奴が来たことがあった。
彼は友人をシンクたちが起こしたテロで失ったらしく、シンクの知り合いたちがどうなったのかを嬉々として語って聞かせてきた。
自分以外の暴人窟の仲間たちはすべて射殺されたらしい。
さらに、旧アミティエの人間は本社の能力者によって皆殺しになったという。
そんな話を聞かされてもシンクが黙って俯って黙っていると、男は唾を吐き捨てて帰って行った。
以降、その男は二度と点滴交換にやって来ることはなかった。
仲間を失ったことに何も感じなかったわけではない。
むしろ胸が張り裂けそうなほど苦しかった。
自分の甘さが多くの協力者を殺した。
だからと言って暴れた所で何も変わらない。
それが理解できる程度には、すでにいろんなことを諦めていた。
鉄格子の前に誰かが立った。
シンクは俯いたまま顔を上げない。
点滴の交換作業をしている様子はない。
しばらくすると、聞き覚えのある声が耳に届いた。
「久しぶりね、新九郎」
わずかに感情がささくれ立つのを自覚する。
シンクはゆっくり顔を上げた。
格子の向こうには真っ黒なシルク帽をかぶった切れ長の瞳の女が立っていた。
元アミティエ第三班班長、アオイである。
何の用だとも、よくも今さら顔を出せたなともシンクは言わない。
代わりに黙ってまた視線を足下に向けた。
「声も出せないほど衰弱しているのね、可哀想に。こんな狭くて暗い所に閉じ込められてさぞ辛かったでしょう」
疲れて喋れないわけじゃない。
お前なんかと話す気はないだけだ。
そんなことを説明するのも面倒くさい。
「……ねえ、新九郎」
再び訪れた静寂を破ってアオイは喋る。
「あなた、ここから出たくはない?」
「死ね」
つい反射的に言葉が出た。
久しぶりに喉を震わせたとは思えないほど、はっきりとその音は独房内に響いた。
アオイが苦笑する。
「やっと喋ってくれたと思ったら、あんまりな言葉ね。嘘や冗談に聞こえたのかしら? これでも私は本社のエージェントだから、あなたに自由を与えるくらいの権限は持っているの」
「今さら何しに来やがった。また俺を騙して利用するつもりか」
一度口を開いてしまったせいだろうか、沸き立つような感情が次から次へと溢れてくる。
「暴人窟のやつらも、アテナさんたちアミティエの人間も殺されたんだってな。よくわかったぜ、俺たちは最初からずっと掌の上で遊ばれてたんだろ。テメエみたいに最初からラバースに取り入ってやがった人間以外はな!」
「あの子たちには運がなかったのよ」
思わず拳に力が入る。
鎖に繋がれた腕がきしみを挙げる。
心のどこかであの男の嘘だという可能性も考えていた。
でも、仲間たちが死んだことは事実だと肯定されてしまった。
アオイは冷たい声でハッキリと告げる。
「ツヨシも、アテナも、マナも、みんな運がなかっただけなの。この世界に足を踏み入れた時からいつだって命を落とす危険はあったはずよ」
「……そうか。アイツも死んでたのか」
自分をこの世界に引っ張り込んだ張本人。
偽りだったとはいえ、かつては恋をしていた相手。
裏切りによって一気に絶望に突き落としてくれたあの女。
そんなマナの死を知っても驚くほどシンクは何も感じなかった。
「でもね新九郎、あなたは違うの。私に服従さえ誓ってくれれば自由と安泰が手に入る。望むなら相応の地位も与えてあげるわ。さあ私と一緒に来ると言いなさい」
「本気で死ねよクソ女。持ち上げて絶望させたいならもっと頭を使え。何の力もない俺のどこに利用価値があるってんだ」
レストランのトイレで小石川香織から譲られたジョイストーンは連行される前に没収されている。
今はどこにあるのかわからないが、少なくとも二度と自分の元には戻ることはないだろう。
なんの力も無い。
ただの囚われた犯罪者に過ぎない。
こんな自分をアオイが本気で必要とするわけがない。
「……あなたの命運は私の手の中だってわかっているのかしら? お願いだから私の機嫌を損ねるようなことを言わないで。この場であなたを処刑する権限も持たされているのよ」
「好きにしろよ。繋がれたまま放置されるよりマシだ」
自分の人生を終わらせる相手がこの女だというのは不快である。
でも、それが一番手っ取り早いかもしれない。
どうせ未来なんてないのだ。
「うう、ああ……もう、そうじゃなくて!」
なんだようるせえな。
やるならさっさとやれ。
目の前のヒステリー女が煩わしい。
視線を地面に落とすと、視界の端を何かが泳いでいた。
小さな粘土の塊のような物体が虫のように浮遊しながらシンクの足元に落ちるする。
「とにかく、今の状態が嫌になったらいつでも言いなさい! あなたが私を呼べばすぐに駆けつけられるよう盗聴器を残しておくから!」
「なんだと?」
「足下。呟くだけで声も届くから」
この粘土みたいな物体の中に盗聴器が入っているのか。
間には鉄格子があるのにどうやって置いた?
テレキネシス……いや、≪
「マナ先輩の能力を奪ったのか」
「殺したのは陸軍の特殊部隊よ。言っておくけどね、あの娘は死んで当然の異常者なの。同情しても仕方ないし、それはずっと騙されたいたあなたもわかっていると思うけど……」
「マナ先輩が異常者ならテメエは最悪のペテン師だ」
苛烈な言葉にアオイはついに黙り込む。
シンクは彼女を強く睨みつけたが、すぐに視線を背けた。
いったい何が目的かは知らないがこれ以上は何も話すことはない。
「……い、今は落ち着いて話せる状況じゃない、みたいね。き、気が変わったら、いつでも、言いなさい。私はちゃんと聞いてるから……お願いね」
絞り出すような声を最後に足音が遠ざかっていく。
戻ってこないことを確認すると、シンクは足下の粘土の塊を踏みつけた。
堅い物が割れるような感触。
思惑を一つ挫いてやったことに軽い満足感を覚える。
それもつかの間のことで、すぐにすべてがどうでも良くなって目を閉じた。
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