6 反ラバース組織モスクワアジト

「これは……いえ、しかし、一般的にはこんな認識なのでしょうか?」

「真実だって言い張る奴もいるけど、たぶんほとんどはおもしろ半分に言ってるだけだ。モンスターを現場で見た連中ですら精巧なヤラセだったと思い始めている。交通麻痺でワリ食った人間も多いみたいで、テレビ局にデモを起こすって息巻いてる集団も発生してて笑えるぜ」


 超能力なんて存在するわけがない。


 実際にそれを使用している和代たちと違い、世間の常識という壁は思った以上に厚いらしい。

 御曹司は世間に能力という概念を知らしめようとしたが、あれだけやっても効果はほとんどなかった……ということだろうか?


 いや、この不自然な火消しには裏がある。

 能力者の存在が世間に認知されると困るのは誰か。

 それを考えれば自ずと世論を操っている者たちの正体は知れる。


「本社のしわざですかね」

「あり得ると思う。やっぱり今回の件は御曹司の独断なんだろう。あいつが次のアクションを起こすかどうかはわからないけど、ラバースの内部抗争だってんならこの機をうまく利用して……」


 電話機の横に置いてあった人形が床に落ちた。

 二人の視線がそちらに向き、マコトは言葉を途切れさせる。


「ちょっと待ってくださいな」


 和代は立ち上がって人形を元の位置に戻すと、頭を指先で三、三、四のリズムで叩いた。

 すると人形がひとりでに動き出し、側にあったペンを腕で抱えて持ち上げた。

 そのペンを使って電話脇のメモ帳にスラスラと文字を書き始める。


『そちらの様子はどう? 香織』


 和代は文章を確認すると、人形の手と一緒にペンを握り、余白部分に次のことを書いた。


『美紗子さんの妹さんを保護しましたわ。本当に彼女にそっくりですわよ。和代』


 メモ用紙を破いてしばらく待つ。

 次の紙に今度は人形が文字を書く。


『そうなんだあ。会ってみたいなあ』

『もう少ししたらそちらに連れて行きますわ。で、今日の用件は?』


 和代が次の返事を書いていると、マコトが興味深げにこちらを見ながら尋ねてきた。


「それって、千絵さんの能力?」

「ええ」


 この人形は反ラバース組織の仲間がJOYで遠隔操作しているものだ。

 電話やネットを介さない確実かつ安全な連絡手段である。


 和代は現在、この能力を介して遠く離れた場所にいる小石川香織と連絡を取り合っているのだ。


『それから例の御曹司のことなんだけど』


 返事が来た。

 タイムリーな話題である。


『居場所がわかりましたの?』

『全然。それどころかアミティエの幹部連中もそろって姿が見えないんだ。そう遠くにはいないと思うんだけどなあ』

『ということは、あの男の情報も無しですか』

『全くなし。本当に御曹司と繋がってるのかもまだわかんない』

『探索系の能力者をすべてこちらに呼び寄せたのは失敗でしたわね。マコトだけでもそちらに送りましょうか?』

『ううん、そっちも大変だろうし別にいいよ。そっちは寒いと思うけどがんばってね』

『あなたこそ無理や無茶はせず、体に気を付けてくださいませ』


 その後、いくつかの世間話をして間接的な筆談による会話は終了した。


「香織さん?」

「ええ」


 席に戻ると紅茶はすっかり冷めていた。

 カップを指先で遠ざけてマコトに目配せする。

 彼は黙って立ち上がると新しい紅茶を用意してくれた。


「夜中にガボガボ飲まない方が良いんじゃないの? 副リーダーがお漏らしとか沽券に関わるぜ」

「未成年の分際で飲酒してる人に言われたくありませんわ」


 良いように扱ってることへのせめてもの抵抗なのか、マコトはたまに皮肉を言ってくる。

 和代は軽くあしらって紅茶に口をつけた。


「しっかし、気づけばずいぶん遠くまで来たもんだよなぁ」


 マコトは空になった缶をテーブルに置いた。

 背中を反らして天井を見上げ、頭の後ろで腕を組む。


「あら。ひょっとして後悔してるんですの?」


 和代たちについてこなければ彼は今も多摩地方の能力者組織のリーダーを続けていたはずだ。

 真実を知ることもなかったが、少なくとも世界的大企業連合体に追われる立場にはなっていなかっただろう。


 だが彼が言いたいのはそういうことではないらしい。


「ってか、純粋に物理的な距離のこと。まさか外国にまでやってくるなんて思いもしなかった」

「この時代に距離で物事を考えるなんてナンセンスですわ。飛行機でたった半日の距離ですわよ」

「つってもモスクワってさ。実は初めての海外なんだけど、いきなりロシアとかハードル高いだろ」


 反ラバース組織の活動拠点はなにも日本国内だけではない。

 むしろラバースコンツェルンの影響力が少ない国の方が安全なのだ。


 彼女たちが救ったSHIP能力者たちも主に東欧の片田舎で匿っている。

 実は和代たちが日本で本格的な活動を始めたのはここ一年前後のことなのだ。

 それまでは様々な国を飛び回って、資金集めや人脈構築に腐心する毎日であった。


「ここだって住めばそれなりに良いところですわよ。身を潜めるには最適な場所ですわ」

「ロシア語がわかんないんだけど」

「勉強なさい」


 一言で切り捨てると、マコトはがくりと項垂れた。

 とはいえ身を隠すためだけに遠く離れた地に来たわけではない。

 和代は冷蔵庫から二本目の缶ビールを持ってきたマコトを軽くたしなめる。


「それくらいにしておきなさいな。明日からこちらでの仕事を手伝ってもらうんですから、飲み過ぎて二日酔いとか許しませんわよ」

「なんだよ。ロシアに来たのには理由があったのか?」


 面倒くさそうな口ぶりだが、表情は笑顔になっている。

 内心では役に立てて嬉しいと思っている可愛いやつだ。


「貴方にやってもらうのは人の捜索ですわ」

「捜索? 誰を?」


 和代は答える前に一呼吸おいた。

 頭に浮かんだ顔、それもまた懐かしい人物ではある。

 しかし決して良い感情ではなく、むしろ底冷えする悪寒すら伴った記憶が蘇る。


 結局、和代は彼女をかつて皆が呼んでいた名ではなく、現在の通称で呼ぶことにした。


「『博士』と呼ばれている人物ですわ」

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