4 記憶の中のお姉ちゃん

 目が覚めると、紗雪は空を飛んでいた。


「ひっ……」


 冷たい風を受け、まどろむ余裕もなく即座に意識が覚醒する。

 悲鳴を上げたため、紗雪が目を覚ましたのはすぐに気づかれたようだ。


「うお、もう気づいたのかよ」


 紗雪を抱えているのはショウである。

 彼の背中から生えた透明な翼は鳥のように羽ばたかない。

 飛行機の両翼のように左右に垂直に伸びながら大空を飛んでいた。


「あ、あんた、これ、どうなって!」

「頼むから暴れんなよ。落っこちたら無事じゃ済まないからな」


 言われるまでもない。

 ここはラバース横浜ビルの展望室より遙かに高い位置である。

 そんなとんでもない超高度なのに、紗雪の体を支えているのはショウの二本の腕だけ。


 紗雪はいわゆるお姫様だっこで運ばれていた。

 殴られたことに対してとか文句は山ほどあるが、とりあえずは黙ってしがみつくしかない。


「ほら、もう着くぞ」


 それから十秒ほどしてショウはゆっくりと下降を始めた。

 見る間に高度が下がり、やがてとあるビルの屋上に着地する。


「立てるか?」

「ん……」


 丁寧に地面に降ろされる。

 やや足元がふらついた。


 地面の感触を確かめ、安心した途端に怒りが湧いてきた。


「私を誘拐してどうするつもり!?」

「誘拐じゃ……まあ、言ってみりゃその通りか」


 悪びれもなく言うショウに紗雪は強い不快感を覚えた。

 腕を組んで偉そうにふんぞり返りながら睨みつけてやる。


「おあいにく様だけど、あんたたちが欲しがってる私の能力ならもうないわよ!」

「知ってる」


 ショウは気にした風もない。


「ついてこいよ。お前に会いたがってる人がいるんだ」




   ※


 エレベーターで一つ下の階に降りる。

 ショウは階段から三つ目の部屋のチャイムを鳴らした。

 すぐにドアが開いて、中から大学生くらいの青年が姿を現す。


「よっ、帰ったぞ」

「なんだショウか。そっちの子は?」

「和代さんが会いたがってた女。悪いけど後は任せた、俺は疲れたから寝る」


 青年はずかずかと歩いて奥に向かうショウの背中を呆れたように眺めた。

 奥からはなにやら騒がしい音と複数の男女の声が聞こえてくる。


「あ、とりあえず中へどうぞ」

「なんなの、ここ……?」


 そう言われても素直に入るのは躊躇われる。

 何か変なことをされるのではないかと勘ぐってしまう。

 訝しんだままドアの傍で突っ立っていると、青年は紗雪の質問に答えた。


「反ラバース組織のアジトだよ」

「え……」

「正確にはそのうちの一つだけどね。心配しないでもいい……ってのは無理だと思うけど、俺たちは君に危害を加えるつもりはないよ。むしろ君の友人を助けるのに協力したいと思ってる」

「友人……?」

「荏原新九郎って奴」

「あいつを知っているの?」

「軽く話した程度だけどね。さ、どうぞ中へ」


 迷ったが、シンクの名前を出されて少しだけ安心した紗雪は、靴を脱いで中に入った。


 こうなったら覚悟を決めよう。

 空から見た感じでは全く知らない土地のようだ。

 どうせ逃げたってあの男にはすぐに追いつかれるに決まってる。


 もし変なことをされそうになったら、せめて一人だけでも地獄に道連れにしてやろう。




   ※


 ……などと悲壮な決意をしてみたものの、奥の部屋に入った瞬間、その気持ちはかき消えた。


「っしゃ、六連勝!」

「またかよふざけんなよお前ぜってーズルしてんだろ」

「はいはい、負けた言い訳してないでさっさと次に代わりなさいよ」


 五人の男女がテレビの前に集まっている。

 彼らはコントローラー片手にテレビゲームに興じていた。


「なにやってんの、この人たち?」

「『ポセラグ』だけど?」


 少年は不思議そうに答える。

 紗雪は詳しくないが、有名な対戦ゲームの名前だ。


 ラバースコンツェルンに反抗を企てるテロ組織?

 そのアジトがこんな何の変哲もないマンションの一室に?


 それにも驚いたが、集まっているのがこんな若者ばっかりで、しかも楽しそうにゲームに興じている姿は紗雪の目にはとても奇妙に映った。


「じゃなくて、あんたたちテロ組織なんでしょ? なんでのんきにゲームなんてやってんのよ」

「世間じゃそう言われてるのは知ってるけど自覚はないね」

「それって『自分たちは正義を貫いてるだけだ!』とかそういうの?」

「それも違う。ってか俺は少し前までラバース側の人間だったし」

「は?」

「あ、自己紹介が遅れたね。俺はマコト、元々は多摩地方の能力者組織でリーダーやってた」

「いや、別にあんたの名前とか経歴なんてどうでもいいんだけど……」

「おい! お前らもいつまでもゲームやってないでちゃんと挨拶しろ!」


 マコトと名乗った男は手を叩いて仲間たちの注目を集める。


「あぁ、なんだよマコト。今いいとこ……ろ……」


 ゲームに興じていた五人の視線が紗雪に集まる。

 一斉に凝視されて居心地の悪い気分である。


 何か言うべきか迷っていると、


「か、会長さん!?」

「へっ?」

「うっわ、なんで? なんでいるの?」

「っていうか生きてたんですか!? マジで!?」

「うわー! 本物の美紗子さんだーっ!」

「ちょ、ちょっと! なんなの!?」


 一人が叫んだのを皮切りに、全員からもみくちゃにされた。

 しかも女の子が飛びついてきた上に腕にすがって泣きじゃくり始める。

 紗雪はまったく状況が理解できず、無理やり剥がすのもためらいマコトに視線を向ける。


「なんなのこれ……?」

「え、なに、どうしたのお前ら」


 どうやら彼も状況がよくわかっていないようだ。


「と、とにかく落ち着いて、落ち着いてください!」


 とりあえずしがみつく女の子を押しのける。

 五人は意外にも大人しく言うことを聞いてくれた。

 なぜか正座をしてキラキラした目でこちらを見上げている。


「えっと、誰と勘違いしてるのか知りませんけど、私の名前は青山紗雪です。会長なんて役職についたことはありませんし、たぶん他人のそら似だと思います」

「え? 水学の麻布美紗子生徒会長じゃないんですか?」

「……違います」


 残念そうな顔で見上げられると少しの罪悪感を覚えるが、違うんだから仕方ない。


「ですが、全くの他人というわけでもないですわ」

「あ、和代さん」


 隣の部屋から一人の女性が入ってくる。

 長い金髪を左右で結んだいわゆるツインテールヘア。

 やや目つきがキツめな印象があるが、かなりの美人だった。


「初めまして青山紗雪さん。反ラバース組織の副リーダー、神田和代ですわ」

「え」


 握手を求めて差し出された手に紗雪は戸惑った。

 こんな若い女性が反ラバース組織の幹部?


 いや、その前にさらってきた相手に握手を求めるっていうのはどうなんだろう。

 だけどマコトって人はこの人たちをテロじゃないって言ってたし……

 もしかして反ラバース組織って若い人たちばっかりなの?


「えっと……」


 和代という女性は手を出した格好で待っている。

 無視するのも申し訳ない気がしたので遠慮がちに握手をした。

 特になにかをされるわけでもなく、繋いだ手に少しの力が込められる。


「……本当にそっくりですのね」

「え?」

「あなたのお姉さんとは古い知り合いですの。この子たちもみんなね」

「お姉さんって……え?」


 自分には姉なんかいない。

 そう言いかけて、心の奥がちくりとした。


 違う。

 お姉ちゃんはいた。

 物心ついたときには別の場所で暮らしていて、小さいころに一回会ったきりだけど。


 遠い親戚のお姉さんだと思っていた。

 思い出すのは長い黒髪と、優しそうな笑顔。

 世界の人のすべてを包み込むような暖かさを持った人。


「みさこお姉ちゃん……?」


 記憶を頼りにその名を口に出してみると、和代さんはニコリと優しく微笑んだ。


「急に色々と言っても混乱させるだけでしょうし、難しい話は後にしましょう。ほら、みなさん! いつまでもゲームをやってないで、彼女のためにお茶とお菓子を用意してあげてくださいな!」

「はーい」


 手を叩いて指示を出す彼女に従い、マコトを含めた六人はてきぱきと行動を開始した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る