第六話 オールドフレンド

1 とあるSHIP能力者の末路

 暗闇の中を男が走っていた。

 草木をかき分け、時折背後を振り返る。

 追手が迫ってくる気配を確かめつつ前へと進む。


 やがて視界が開けた。

 眼前には砂浜と真っ暗な夜の海が広がっている。


 ここは久良岐くらき市の南東部の海の公園。

 対岸の島には県内有数の遊園地のシンボルであるピラミッド型の建物が光を放つ。


 周囲の空気は明らかに異様だった。

 まだ夜も浅いというのに人の気配は全くない。

 あまつさえ公園内の外灯がひとつも点いていないのだ。


 男が逃げ込んだこの場所は、奇妙な力によって外界から隔絶されていた。


「もう逃げるな」


 背後から声が聞こえた。

 若い男の声である。


 振り返ると闇の中に人影が浮かんだ。

 男は背筋がゾッとするような感覚を覚えた。

 追っ手には細心の注意を払って撒いたはずなのに。


 間違いなく数秒前までは何の気配もなかった。

 防風林の中で置き去りにしたはず。

 なのに、どうして。


「う、うわあっ!」


 男は再度逃亡を試みた。

 力強く足を前に出すと足元の砂が舞い上がる。

 一瞬で最高速に達し、常人ではありえない速度で走りはじめる。


 しかし。


「逃げるなって言ってんだろ」

「ぶっ!」


 顔面を掌で叩かれた。

 追手が二人いたわけではない。

 正面から聞こえた声は追って来た男のものであった。


「ば、バカな、俺より速く動ける奴なんて……」


 先回りして進路を塞がれた。

 こんなことはありえない。


 男の強化された脚力はたとえ世界レベルの短距離走選手でも敵わないはずだ。

 狭い場所なら自動車にさえ追いつかれることはない。

 この力を手に入れた時、彼は超人になった。


 最速ということは、誰も彼を捕まえることができないということだ。

 こいつのような能力者を捕まえるための組織とやらだって簡単に撒いてやれるはずだった。

 現に一度は完全に行方をくらませることに成功したし、集団でこの海の公園に追い込まれた時も、視界の悪さを逆手にとってまんまと逃げ伸びられるはずだった。


「力が惜しいなら俺たちの指示に従え。正しい使い方をしろ。それが嫌なら大人しく封印されろ」

「ふざけんな……!」


 男は歯ぎしりをする。


 冗談じゃない。

 天から与えられたこの力を失うなんてまっぴらごめんだ。

 かといって組織とやらの言いなりになって、いい様に働かされるのも気に入らない。


 この脚力は自分のためだけに使う。

 超人になった今、くだらない生活ともおさらばだ。


 小言しか言わない親も。

 自分をバカにしていたクラスメイトたちも。

 一世一代の告白を「なんか無理」の一言で断りやがったあの女も。

 みんなみんな見返してやることができる。


 目の前のこいつも気に入らない。

 人の事情も知らないで勝手なことばかり言いやがって。


 ぶっ飛ばしてやる。

 そうだ、お前が悪いんだぞ。

 この力をただ足が速くなるだけと思ったら大間違いだ。


「うおおおっ!」


 遠心力を乗せた回し蹴りをお見舞いする。

 軸足となった左足の下の地面がドリルで抉ったように削れた。

 世界一の脚力があれば、格闘家も真っ青の威力の蹴撃を放つこともできるんだ。


 全力で放ったキックは大木ですら薙ぎ倒す。

 普通の人間が直撃を受ければ一撃であの世行きだ。


 が。


「んなっ!?」


 蹴りはむなしく宙を薙ぎ、勢いあまって倒れそうになる。

 

「今のはやる気になった合図と見なすけど構わないよな」


 またしても冷たく凍りつくような声が耳に届く。

 バカな、完全に不意を突いたはずだ。

 避けることなんて不可能だ。


 なにより、気づかないうちに一瞬で背後に回るなんて。

 自分以上の速さを持っていなければ絶対に……


「ぐごっ!」


 混乱する思考を遮るように脇腹に強烈な痛みが走った。

 殴られたとわからなかったのは、今まで感じたこともない衝撃だったからだ。

 彼をいじめていたクラスメイトからだって、こんなに強烈なパンチを受けたことはない。


 痛い。

 苦しい。


「げほっ、ごほっ……ちくしょう!」


 だが負けない。


 普段なら泣いて謝っていたかもしれない。

 今だけはこの痛みを怒りに変えることができる。


 それも全てはこの力を失いたくない一心で。


「この野郎っ!」


 顔を起こして前蹴りを放つ。

 威力は必殺の回し蹴りに劣るが、今度こそ避けられるタイミングではない。


 はたして、今度の蹴りは敵に届いた。


 その瞬間、彼の自信は完全に打ち砕かれた。

 敵は男の蹴りを片手で容易く受け止めていた。


「大人しくしてろって……」


 体が動かない。

 足を引くことさえできない。

 体中を駆け巡った悪寒は恐怖のためだけではなかった。


「あ、足が……!」

「言ってんだろ!」


 敵に捕まれたつま先から股間近くまでが凍っている。

 動きを封じられた足に容赦のない肘打ちが落される。


「ぎゃあっ!」


 氷ごと骨を砕かれる。

 あり得ない角度に足が曲がる。

 絶叫を上げながらたたらを踏むと、今度は腹に杭を撃たれたような痛みが走った。


「ぎゃっ! ぐげっ……」


 間髪いれずに喉元を掴まれた。

 そのまま地面に引きずり倒される。

 後頭部を強くアスファルトに打ち付けた。


 気を失う直前、彼は目の前に迫った敵の無表情な顔を見ながら思った。

 こんな事になるんなら、最初からこんな力を与えられなければよかったのに。

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