9 七色の皇帝

 雲ひとつない空がどこまでも広がっている。

 給水タンクの上のハトが飛立つ。

 三本旗が力なく揺れた。


 学校の屋上から見える景色は今日もなにも変わらない。

 すっかり春になった午後の陽気が眠りを誘う。

 柔らかい風が頬を撫でてゆく。 


 シンクはいつものように屋上で授業をサボっていた。


 レンとの戦いが終わってから十日が経つ。

 久良岐市内にマンションを借り、再び学校に通えるようになったのが六日前。

 初日こそ真面目に授業を受けようと意気込んで登校したのが、あまりの退屈さに午後には飽きた。


 今日も一日ゆっくり昼寝して過ごそう思って目を閉じる。

 通学距離が遠くなったので、家を出る時間が早くなったのもやる気を奪われる原因の一つだ。


 しばらくそのまま横になる。

 と、まぶたの向こうが急に暗くなった。

 雲でも出てきたのかと薄目を開けると、自分を見下ろすように立っている人物がいた。


「めずらしいですね。何の用ですか?」

「一応、生徒会長ですからね。サボっている生徒を注意してもおかしくないと思うのだけど」


 安らぎの時間を邪魔するのはたいてい幼馴染の青山紗雪である。

 しかしあいつの場合は黙って傍に佇んだりしない。


 最近だとマナという可能性もあったが、ひまわり先輩がここにやってくるのは初めてだった。


「そういうひま……竜崎先輩こそ、今は授業中じゃな痛ってえ!」


 地面に挟まれる形でアイスクリームパンチを顔面に打ち込まれた。

 シンクは鼻を押さえて床を転げ回る。


「いちいち攻撃すんな! ちゃんと言い直しただろが!」

「私はいいのよ。退院直後ですからね」

「話を聞けよ!」


 レンにやられて入院していたひまわり先輩は、三日前に傷を完治させて退院した。

 短期間で治るような怪我ではなかったはずだが、はたして誰かの能力かラバースの超医学か。


 聞いた話では、一度は壊滅した第二班の面々もひとりの脱落者も出すことなく復帰したらしい。

 死ななければ何でも治ると言ったひまわり先輩の言葉は果たして冗談なのか真実なのか。


「で、何の用ですか」


 まだ痛む鼻をさすりながら尋ねる。

 まさかこんな冗談を言いに来たわけではあるまい。


 ……いや、最近のひまわり先輩ならあり得るかもしれない。

 不本意だが最近はオモチャにされている節もある。


陸夏蓮ルゥ=シアリィェンのその後について報告しておこうと思ってね」


 シンクは跳ね起きた。

 真剣な表情でひまわり先輩の目を見る。

 それはシンクが最も気になっていたことであった。


「レンはどうなったんですか」


 こちらが聞く姿勢になったとわかると、先輩は壁下の出っ張り部分に腰掛けて話し始めた。


「彼は現在、北海道の更生施設にいるわ」

「更生施設? 刑務所みたいなところですか?」

「そう考えてもらって構わない。主に思想矯正を施されるところだけどね」


 結果はどうあれ、レンは勝手な欲望で街を混乱に陥れようとした。

 隔離されるのは仕方ないと思うが、気になるのは何が彼をそこまで駆り立てたのかだ。


「あいつはどうしてあんなにも強くなることに固執したんだ?」


 誰よりも強くなりたいという話は聞いた。

 だが、その一心だけで上海の能力者組織を滅ぼすだろうか?

 その上わざわざ強者を求めて日本までやってきた執念はあきらかに異常である。


「あの子ね、小さい時から誰よりも強くなるよう教え込まれていたみたいよ。極端に言ってしまえばそれだけが人生の目的になるくらいにね」

「刷り込み……みたいなもんか。誰がそんなことを?」

「陸夏蓮はもともと上海支社が調整していた新世代JOY計画の実験体なの」

「なんだって?」


 意外な情報にシンクは眉をしかめた。


「確かな話よ。ショウが上海で関係者を捕えて全部吐かせたわ」

「潰されたラバース上海支社の生き残りか」

「戦後に治安が崩壊した地獄のような街で上海支社は本当に好き勝手にやってたみたい。そんな中、ある老婆が陸夏蓮を誘拐して自分の都合の良いように教育、洗脳したの。彼女にしてみたら敵の秘密兵器を奪って利用してやったくらいの感覚だったのかもね」

「胸糞悪い話だな」


 街を実験場にした上海支社も大概だが、幼い少年を利用する奴も気に入らない。


「それで上海支社を壊滅させたのだからたいしたものだけど、恨みの矛先をこっちにまで向けるのはお門違いよね。老婆はラバース本社も潰すべく陸夏蓮を騙して日本に送り込んだらしいけど、結果はこの通り。まあ、上海支社の暴走を許したこちらにも責任はあるし、いい様に利用された子どもを罪に問うつもりもない。陸夏蓮は人格矯正を条件に本社で手厚く保護することになったわ」

「そのレンを誘拐して洗脳した婆さんはどうなった?」

「行方不明みたい。今も上海に潜んでいると思うけど、陸夏蓮がいなきゃ何もできやしないわ」

「そうか」


 あの夜はマナを殴られた恨みでシンクも頭に血が上ってしまっていた。

 だが、やはりあんな少年が大人の都合の犠牲になるべきではない。

 無事に保護されたと知ってシンクはほっと胸をなでおろした。


 そんなシンクをひまわり先輩はなぜかニヤニヤしながら見てる。


「……なんですか、その顔は」

「マナから聞いたわよ。告白したんですって?」

「ぶっ!」


 シンクは地面に突っ伏した。


「な、ななな、何を言ってるんですか」

「照れなくてもいいのよ。戦いの最中のとっても激しい告白だったらしいわね」

「っていうか、マナ先輩から聞いたって!?」


 面と向かって告白したわけではない。

 だが、勢いに任せて叫んでしまったのは事実。

 よく考えたら本人にも聞こえていた可能勢は十分にある。


 なんで今まで気づかなかったんだろう。

 恥ずかしくて今すぐそこの柵を越えて大空にダイブしたい気分だ。


「いいのよ。マナもまだ迷ってるようだけど、受け入れようと努力しているみたいだし」

「え、え……?」


 それはどういう意味だ?

 聞こうとするシンクを無視して、ひまわり先輩は言葉を続ける。


「私も嬉しいわよ。あなたのことは正直に言って好きじゃなかったけれど、同じ趣向の仲間だと知って不覚にも喜んだわ。無事に矯正施設から出所した暁にはあなたは彼と幸せになればいい。紗雪のことは安心して任せて頂戴ね」

「……おい、何を言っている」


 どうにも雲行きが怪しくなってきた。


「何って、あなたが陸夏蓮に告白したって話じゃない」

「はあ!? なんでそうなるんだよ!」


 シンクが好きと言ったのはマナのことだ。

 少女みたいな容姿とはいえ、間違ってもレンのことではない。

 あの時にマナに聞かれていたのは不覚だが、なぜそんな勘違いをしたのかは謎である。


「照れないでいいって言ってるでしょう。マナのことなら心配しなくて大丈夫よ。私が貸したBL本で免疫をつけてあげてるから。次に会っても軽蔑されるようなことはないわ」

「あんたそっちもいけるのかよ! じゃなくて、マナ先輩になんてもの見せてんだ! ああもう、どうりで最近マナ先輩が俺を見る目が妙に生暖かかったわけだ!」

「騒がしい子ね……ちょっと待ちなさい、どこに行くの」

「マナ先輩の誤解を解いてくる。俺は断じてホモでもショタでもないってことを……」


 シンクは屋上のドアに手をかけた。

 そんな彼にひまわり先輩は黙って何かを放って寄こした。

 虹色に輝く小さな宝石、この色合いは間違いなくシンクのジョイストーンだ。


「持っていていいって」

「いいのかよ?」


 このジョイストーン、新参者が持つには危険すぎると言われて一度は没収された能力である。

 しかもこれは保管庫を襲撃して盗み出したものだ。

 まさかあっさりと返してもらえるとは思っていなかった。


「ええ。解析の結果、それほど危険なものじゃないことが判明したからね……あなたもすでにわかっているでしょう? その≪七色の皇帝セブンエンペラー≫には限界があるってこと」

「ああ」


 他人の力をコピーできる能力。

 しかし、無限に模倣できるわけではない。


 制限は七つまで。

 一度登録した能力は消せず上書きすることもできない。

 しかも極端に使用難度が高い能力になると、中途半端にしかコピーできないのだ。


「最高クラスのレア能力なのは認めるわ。けど、率直に言って班長クラスには到底及ばない。組み合わせ次第では無限の可能性もあったかもしれないけれど、すでにコピーしているうち四つまでがろくに使い物にならないんじゃね」


 現状、シンクがコピーした能力は六つ。


 ひまわり先輩の氷雪。

 テンマの大地を操る力。

 本社で会った巨漢の爆炎。

 レンの身体強化とエネルギー。

 マナが使っていた瞬間移動能力。

 そして……感情の『色』を見る力だ。


 つまり、あと一つコピーすれば完全に能力が固定されてしまうのである。


「それでも新人に持たせられるような能力ではないのだけどね。感情の色とエネルギーの波長の関係性を見出した功績を称えての特別措置らしいわ」

「ああ、そういえばルシフェルからそんなこと言われたな」


 レンの最後の攻撃に波長を合わせて利用したこと。

 とっさの思いつきだったが、見事に反撃することに成功した。

 半ば無意識にやったことだし特に興味もないので、適当に流しておいたが。


「ただし、それを受け取ったら今後もアミティエのために働いてもらうわよ」

「言われなくても」


 最初からそのつもりである。

 もはやシンクに迷いはなかった。


 理由はよこしまだけど、それでいいと思っている。

 どんな奇麗事を並べたところでこの気持ちに嘘はつけない。


「まあ、精々がんばりなさいな。マナはあなたが思っているよりもずっと手ごわいわよ」


 シンクの横をすり抜けてひまわり先輩は挨拶もせずに階段を降りていく。

 そんな彼女と入れ替わるように激しい足音を立てて近づいてくる小さな影があった。


「あっ、シンクくーん! 今週のアミティエの活動予定表を持ってきたから、一緒にみよう!」


 無邪気に微笑むマナを見て思う。

 この笑顔の隣にいられるなら、ちょっとくらいの苦労はなんでもない。


 シンクはもうちょっとだけ、このおかしな世界に首を突っ込んでいようと思った。

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