9 シンクの逆襲

「おいおい止めとけよ。そんなモンを持ったくらいじゃ逆立ちしたって俺には勝てねえよ」

「わあああああ!」


 少女は忠告を聞かずに畑を突っ切って一直線に走ってくる。

 真面目に相手をしてやるのも馬鹿らしい。

 泥状にした土の中に埋めてやろう。


 そう考えた直後。


「えいやっ!」

「なにっ!」


 殴りかかってくると思っていたら、鉄パイプは少女の手を離れて飛んできた。

 別のことに能力を使おうとしていたために反応が遅れてしまう。


「うごあっ!?」


 体を逸らして投擲を躱す。

 鉄パイプは背後の強面の幹部の顔面に直撃した。

 後ろの被害を確認する暇もなく、少女が飛びかかってきた。


「せいっ!」


 軽やかな身のこなしで宙を跳んで回し蹴りを放つ。


「舐めんな、ガキ……っ!?」


 テンマがそれを受け止めると、触れた部分を軸にしてさらに体を密着させてきた。

 少女の目は射抜くような鋭い眼光を放ち、目が合った瞬間ゾクリとしたものが背中に走る。


「やっ!」


 少女は頭を斜め下にした不安定な姿勢からテンマの腹めがけて突きを放った。

 可愛らしい外見に似合わない見事な一撃だったが、残念ながら軽い。

 体に纏った土を硬度強化させるだけで十分に防げる威力だ。


「つっ……」


 少女の顔が歪む。

 拳には血が滲んでいた。

 アスファルトの強度を持つ流動性の土の鎧を殴ったのだから当然だ。


「面白ぇぞテメエ。覚悟は出来てんだろうな!」


 テンマは手心を加えない。

 逃げようとした少女の腕を掴んで引き寄せる。


 反対の拳には土のメリケンサックがはめられていた。

 外部は鋼鉄の強度があり、内側は軟化させた土で拳で痛めるのを防いである。


「うらあっ!」


 テンマは少女の腹部に容赦のない一撃をお見舞いした。


「がはっ!」


 少女が吹き飛んだ。

 畑の中を二度、三度と跳ねる。

 十メートルほど離れた場所まで転がり、やがて動かなくなった。


「うぉ……さすが総長、ガキにも容赦ねえ」

「いくら何でもやり過ぎじゃ……」


 仲間たちからも非難の声が上がる。

 言われるまでもなくテンマ自身もものすごく気分が悪かった。

 いくら邪魔されたとはいえ、若い少女を全力で殴って喜ぶような腐った性根は持っていない。


 だが、あの時に感じた悪寒はなんだ? 

 あの目を見た瞬間、やらなければこちらがやられる気がした。


「……ちっ、帰るぞ!」


 楽しい気分は吹き飛んでしまった。

 もう今日はこのまま帰って寝よう。


 そう言えば春先なのにヤケに冷える。

 最後にテンマはちらりと倒れた少女を見た。


 向こうを向いて倒れているため表情は見えない。

 小学生程度の背丈に冗談の様な水色の髪。


 正面からでは気づかなかったが、少女の髪は長かった。

 鞭のように編み込まれたヘアスタイルは漫画の中のステレオタイプの清国人のような髪型だ。


 清国人……?


 テンマの頭の中にいくつかの断片的な情報が浮かんでくる。


 上海の能力者組織を滅ぼした少年。

 複数のジョイストーンの反応。

 あの時見せた一瞬の気迫。

 曲芸のような攻撃。


 なぜかJOYを使っていた龍童……と思われる男。

 そいつと一緒にいた不自然な水色をした清国人のような髪型の少女。


 そもそもルシフェルが伝えた情報は不確かだった。


「まさか……」


 自分は思い違いをしていたのか?

 あの水色の髪の少女……に見えるガキが龍童なのでは?


 だとしたら、あの少年は誰だ。

 自分と同じ土属性のJOYを使う謎の少年は。


 あんな人間は間違いなくテンマのグループにはいない。

 そもそもJOY使いが龍童と一緒にいたということは――


「そ、総長。何か変じゃありませんか?」

「今度はなんだ!」


 思考を邪魔されたテンマは思わず怒鳴り返した。

 鉄パイプの直撃を受けた男を介抱していた別の幹部が怯えた顔で言う。

 その姿がなぜか薄く白んで見えた。


「な、なんていうか、寒すぎません?」


 言われて初めて異常に気づく。


 彼らは昔の暴走族のように特攻服を着る趣味はない。

 夜間に単車を乗り回す時は分厚いジャケットを着こんでいる。

 春先のこの季節、十分な暖をとれる程度の格好はしてきたつもりだ。


 なのに、なんだこの寒さは。

 いや、寒いなんてものじゃない。

 良く見れば小さな粉雪が舞っている。


 真冬のような冷たい風。

 それは次第に強く渦を巻き始める。

 これと似たような現象をテンマは知っていた。


「アオイか!? 悪趣味なマネはやめろ!」


 季節に関係なく凍りつくような冷気を発する≪氷雪の女神ヘルズシヴァー

 テンマとは別の市を担当するアミティエ第三班の班長アオイの能力である。


 呼びかけてみるが返事はない。

 周囲を見回してもアオイらしき人影はどこにもなかった。

 このような大規模な範囲攻撃はあまり離れた距離からでは使用できないはずである。


 普通に考えればアオイであるはずがない。

 ここは第二班の担当区域である南橘樹市なのである。


 会議での言い合いとは訳が違う。

 今は組織としての活動中なのだ。

 これがアオイの仕業なら確実にグループ内の不和に繋がる。

 いけ好かない女だが、互いにとって何の利益にもならないことはしない奴だ。


 それに、よく考えれば吹雪の威力も弱い。

 アオイが本気を出せば寒い程度じゃ済まないだろう。

 自分はともかく他の幹部たちはあっという間に氷漬けのはずだ。


 ならば、一体誰がこんなマネをしている? 

 顔を上げたテンマは気づいた。


 畑の中、吹雪の向こうに誰かが立っている。


 続けて視線を土のドームへ向ける。

 掘り起こされた様子はなく、奴が中から出てきた様子はない。


 ならば何故、あの男はそこに立っている?

 恐らくは本物の龍童と思われる水色の髪の少女を抱きかかえて……


 吹雪が強さを増す。

 目に雪の粒が入った。

 それを払い落した一瞬のこと。

 あの男の姿が幻のようにかき消えた。


 テンマは混乱した。

 今のは夢か?

 目の錯覚か?


 いや違う。

 テンマはこのような現象を引き起こす能力を知っている。

 直後、彼の右頬に鈍い痛みが走った。


「ぐっ!?」


 まったく予想もしていなかった方向からの攻撃。

 能力を使って防御をする暇もなかった。


 土の上を不様に転がる。

 痛む頬を抑えて顔を見上げる。


 目の前にはやはりあの男が立っていた。


「……なあおい、ずいぶん好き勝手やってくれたな」


 男の声が聞こえる。

 吹雪がぴたりと止んだ。

 一か所に集まった粉雪が巨大な雪塊となる。


 テンマの頭上で。


「ちっ!」


 重力に引かれるまま落下してくる雪塊。

 周囲の土を盛り上げて巨大な笠を作って防御する。

 しかし、その一角が自分の意思に反して突然崩れ出した。


「な……」


 弱った部分に雪塊が激突。

 衝撃を吸収しきれなかった土の残骸が降り注ぐ。


 ただちに土を操って生き埋めになるのを回避する。

 代わりに完全に視界が奪われることになった。

 その隙に男はテンマの背後に回っていた。


 彼我の距離は視界が奪われる前の時点でおよそ十メートル。

 とてもではないが足が速いというだけでは説明ができない。


 間違いない、これは――


「≪空間跳躍ザ・ワープ≫か!」


 脇腹に男の拳が叩き込まれた。

 しかもテンマの土のメリケンサックと同様、拳全体を無数のトゲがついた氷のグローブで覆っている。


「がはっ……!」


 今度は防御が間にあった。

 だが土のガードの上からでもかなりの衝撃を受けた。

 インパクトの瞬間、鋼鉄の強度をもつはずの土の壁が軟化する感触があった。


 おそらくテンマの能力に干渉したのだろう。

 こいつは一体、いくつの能力を同時に使っているんだ……!?


 テンマは眼前に土壁を作った。

 足元の土を滑らせて素早く男との距離をとる。


 逃げるのが精いっぱいで反撃には移れない。

 続けざまに攻撃を食らったせいで足にガタがきている。


「なんだ……なんだ、このザマは!」


 俺は南橘樹市の能力者を統べる第二班の班長だぞ。

 ブラックペガサスの総長だぞ!


 テンマは顔を上げ、敵を憤怒の表情で睨みつける。

 そこにはもう狩られるのを待つだけの獲物はいなかった。


 全力をあげて雌雄を決するべき強敵が、怒りを湛えた目でテンマを睨み返している。


「先に仕掛けたのはそっちだからな。死んでも文句言うんじゃねーぞ」

「……上等だ。この俺を誰だと思ってやがる」


 月光の下、二人の能力者が睨み合う。


「知ったことか」


 数々の死線を潜り抜け、千人の不良の頂点に立つ男、テンマ。

 その全力の殺気に男は一歩も引かない。

 奴は叫ぶ。


「総長だか班長か知らねえが、レンの受けた痛みは万倍にして返してやるからよ!」

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