4 FP横浜特別区

 シンクたちの通う岡野高校はターミナル駅からほど近い住宅街の中にある。

 そこから十分程度歩けば県内でも第二位を誇る規模の繁華街があった。


「昨日はごめんねー、いきなりでびっくりしたでしょ」


 スクランブル交差点で信号待ちをしている間にマナが話しかけてくる。


「ええ。とっても驚きました」

「……なんだかあまり驚いていないように見えるけど」

「そんなことないですよ。いきなり人が画面の中から現れて驚かないわけありません」


 ただ、それを感情として表に出すかどうかは別の話だ。

 予想外の出来事が起こったからってキャーキャー騒いでも仕方ないだろ?


「うーん、正確には画面の中から出てきたわけじゃないんだけど……まあ、その辺は後で説明するよ」


 信号が青になった。

 人の流れに乗って通りを渡る。

 この道路を越えればもう繁華街である。


 背の高いビルの間を斜めに横切る通りに入っていく。

 大型量販店や雑居ビルが並ぶ歩行者天国を駅方面に向かって歩く。


「今日はちゃんとついて来てくれてよかったよ。普通はその場で勧誘成功しないと怪しがられちゃって、次はすごく避けられちゃうんだよね」


 勧誘と来ましたか。

 マナはこういう役割をするのは初めてだと言っていた。

 あっさりと疑いを向けられそうな発言をしてしまう辺り、致命的に向いていないのではないだろうか。


 まあ、本当に怪しい悪徳商法や宗教の勧誘なら全力で逃げ出すだけだ。

 いくら先輩に頼まれたところで、謎の団体に寄付するほど生活費に余裕があるわけではない。


「で、どこに向かってるんですか?」

「とりあえず駅まで……あ、電車代は持ってる?」

「神中線なら定期がありますけど」

「残念。LR線なんだ」


 人ゴミを抜けて橋を渡り、駅ビルの中を横切ってロータリーから平沼駅の改札へ。

 普段シンクが通学に利用している神中鉄道ではなくLR線ラバースレール側の改札だ。


「これ使って。私は先に行ってるから」


 マナはLR線の定期を持っているらしい。

 シンクに小銭を渡すとさっさと改札を潜ってしまった。

 ICカードを持っているとは言えず、仕方なく切符を買うため売り場に並ぶ。



   ※


 3・4番のホームへ上がった。

 帰宅ラッシュにはまだ少し早い時間なのでそれほど込んでいない。

 やってきた下りの電車はほぼ満員だったが、ほとんどがこの駅で降りるようだった。


 電車内に入るなり座席の端に二人分の空いているスペース見つけたマナがダッシュで滑り込む。

 そのあまりに子供っぽい行動にシンクは心の中で苦笑する。

 もちろん表情には出さず隣に座った。


「どこまで行くんですか?」

「すぐ隣。あ、お釣りは返してね」


 それならそうと早く言って欲しかった。

 五〇〇円玉を渡されたから、四五〇円の切符を買ってしまった。

 仕方ないので自腹で差額の三二〇円を支払うことにする。


「ひと駅……ってことは、俺たちが向かってるのはあそこですか」


 平沼駅を出るとすぐに見えてくる巨大ビル群。

 シンクは窓の外の景色を眺めながらマナに尋ねた。

 マナはなぜか口の端を吊り上げ、にやりと笑って答える。


「うん。FP横浜特別区だよ」




   ※


 FP横浜特別区は平沼駅から電車でひと駅。

 平沼繁華街の東部地区と隣接する形になっている海上都市である。

 その名称は地区の通称とかつて県内東部にあった古い地名を合わせたものだ。


 その中でひときわ目立つのがラバースビルである。

 ラバースコンツェルンは総合電機メーカーのラバース社を中核とした大企業連合だ。


 元より名の知らぬ者は無い大企業だったが『エレクトリックエネルギーブーストコア』と呼ばれる新技術、通称EEBCの発明によって、今や押しも押されぬ世界一の企業連合体になった。


 さらにその次はまったく新しい次世代エネルギーの開発を掲げ、「諸外国に頼らない日本を目指す」をスローガンとした、この国を代表する大企業である。


 駅前から続く動く歩道に乗ってシンクたちは特別区の中を移動する。


「特区なんて入るの小学校の社会科見学以来ですよ」


 基本的に特区の大部分は社有地である。

 建物のほとんどがラバースの子会社である諸企業のビルで占められていた。

 ただし、その未来都市然としたロケーションの中にはショッピングモールや公園、小規模な遊園地などの娯楽施設も点在している。


 ビジネススーツのサラリーマンに混じって家族づれや若い恋人たちの姿もちらほら見かけられる。

 特にSHINE光源に淡く照らされた夜景は日本で五指に入るほど美しい。

 夜になると若者の比率は今より増えるだろう。


 と言っても、シンクにとってはわざわざ足を運ぶような場所ではない。

 買い物ならば平沼駅周辺で事足りるし、友人と出かけるにしても専ら湘南や東京方面である。

 男同士で夜景を見に来る趣味はない。


 いつか可愛い恋人ができたら二人っきりで……

 などと考えたことがないでもないが、今のところその予定はなかった。

 だが、何の因果かこうして予期せず気になる女の子と二人で足を踏み入れてしまうとは。


 右隣を歩くマナの横顔をちらりと見る。

 可愛い……とは思う。


 美人系か可愛い系かと問われれば、満場一致で全員可愛い系だと言うだろう。

 絶世の美少女というわけではないが、最近はやりの人数ばかりが多いアイドルグループに混じったとしても違和感はない程度にはかわいい。


 だが幼い。

 はっきり言って子供っぽい。

 先輩だと知っていなければ女子中学生どころか小学生がセーラー服を着ているようにしか見えない。


 さらには言動や仕草も子供っぽいので、クラスの男子生徒の間で行われる「学校で一番奇麗な女子生徒は誰か」という話で名前が挙がったことはない。

 彼女の名前を出すのは一種のタブーと言う空気すらある。


 それでも何故かシンクは今年度の生徒会挨拶で姿を見かけた時からマナのことが気になっていた。

 いや、だからといって恋人になりたいとか思っているわけじゃないが。

 なにせこの容姿だし、好きとかそんなんじゃない。

 俺はロリコンじゃないし。


 シンクが心の中で自分に言い訳をしていると、マナが振り向いて小首をかしげた。


「ん? どうしたの? 私の顔に何かついてる?」

「いや、ほっぺたにご飯粒がついてるなーと思って」


 マナは慌てて自分の頬に手を当てた。

 真っ赤になってありもしないご飯粒を探している。

 素直と言うか、馬鹿正直というか、小動物みたいで愛らしいというか。

 子どもをからかっているような気分でいたたまれなくなってきたので正直に言った。


「ごめんなさい嘘です」

「騙された! なぜそんな嘘ついた!」

「本当はマナ先輩が可愛いから見とれてました」

「えっ、えっ……?」

「ごめんなさい嘘です」

「それも嘘なの!?」


 マナは頬を膨らませて怒りを表現する。

 これは演技じゃなく素でやっているのだろうか?

 シンクは表面上クールに振舞い続けていたが、なんだか楽しくなってきた。


 女の子とのデートってこういうモノなんだろうか。

 別に付き合ってるわけでも好きってわけでもないけれど。


 やがて動く歩道が終点に辿り着く。

 目の前にはラバース横浜ビルがその威容を誇っていた。


 さすがは日本で第二位を誇る高さの超高層タワービルディングだ。

 市内のどこからでも見えるのに、足もとから見上げるとひたすら圧倒される。


 東京本社ビルや、山梨県に建設中のプロジェクトタワーと並び、ラバースコンツェルンの所有する建物ではトップクラスに高いビルである。


 五階まではショッピングプラザ。

 それより上は傘下企業が入るオフィスだ。

 中でも七十階より上は『フレンズ社』の本社である。


 フレンズ社はラバース傘下企業の一つ。

 エンターテインメント事業を担っている会社である。

 特にゲーム業界で圧倒的なシェアを誇っており、単体で見ても世界に通じる大企業だと言えた。

 当然、勤めるのは超一流のサラリーマンばかり。


 女もののブランドショップや高級菓子店のテナントが並ぶ中をまっすぐに突っ切る。

 エレベーターに乗り、他の客が低階層のボタンを押す中、マナは迷わず七十階のボタンを押した。


 動き始めたエレベーターは上昇していることすら体感できないくらいに静かだった。

 五階でシンクたち以外の客を吐き出しきった後は、階数表示がみるみるうちに上がっていく。

 二十秒と待たずに七十階に到着した。


 エレベーターを降りると殺風景な廊下が広がっていた。

 真っ白な壁に左右を挟まれた中、赤色で『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた立て札が置いてある。

 なんというか、精神的な圧迫感を受ける風景だ。


 マナは立て札を無視してずんずんと奥へ進んでいく。

 つまりは関係者だということだろうか。

 フレンズ社の?


「うおっ!」


 シンクは思わず声を出してしまった。

 通路右側の、壁と同化していたドアが急に開いたからだ。

 中から出てきた二人のサングラス黒服姿の男がシンクたちの前に立ち塞がる。


「失礼ですが、身分証を」

「はいっ」


 強面男たちの登場に内心ビビっていたシンクと裏腹に、マナは恐れるそぶりも見せずにポケットから何かのカードを取り出した。


「失礼しました。どうぞお通り下さい」


 黒服が左右に開いて道をあけ、揃って敬礼する。

 セーラー服を着た見た目小学生の単なる女子高生相手に、だ。


 マナは当然のように先へ進んでいく。

 その背中をシンクは一瞬前とは違った感情をもって眺めた。

 まさかこのセンパイ、大企業の重役の一人娘とかそういう人なんだろうか?


 廊下の突き当りには別のエレベーターがあった。

 上階行きのボタンしかついてないところを見ると社員専用なんだろう。


「フレンズ社に知り合いでもいるんですか?」

「うん、いるよー。このビルの一番上に。これだけ高いと上るだけで疲れちゃうよね」


 一番上ってまさか……と問いかける前に、マナは本当に最上階のボタンを押してしまった。

 Rと書かれたボタンのすぐ下、一三〇階という数字のボタンがオレンジ色に点灯する。


 こちらは下のエレベーターよりもさらに静かで速かった。

 扉が閉じたと思ったら会話をする間もなく目的の階に到着した。

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