2 口うるさい幼馴染
雲ひとつない空だった。
校章と市のマークと国旗が力なく揺れている。
給水タンクの上で羽を休めていたハトが飛び立った。
柔らかい風がさらりと頬を撫でる。
屋上から見える景色は今日も昨日と変わらない。
ここ数日、ようやく暖かくなってきた気温が心地よい眠気を誘う。
なにしろ昨日はさっぱり眠れなかったのだ。
こうして午後の授業をサボるくらいは大目に見て欲しい……
と、シンクは誰に言うでもなく心の中で呟いていた。
昨日のアレは夢だったのでは?
今になって改めてそう思う。
パソコンの画面から女の子が出てきた。
それも架空の美少女なんかではない。
それはそれで普通じゃないが、この科学万能の世界ならそれくらいの不思議はまだ納得できる。
現れたのが実際に存在する人物……
いまもこの岡高のどこかにいる女生徒だったという現実。
どんなにシンクが冷静でクールな人間だろうと、混乱せずにはいられなかった。
おかげであの後、明け方近くまで眠ることができなかったのだ。
それでもとっさに選んだあの時の自分の行動に対しては褒められるべきだと思う。
なにやら怪しげな説明を始めようとする中座
「もう夜も遅いし、とりあえず話は明日にでも聞きますから」
と言って強引に帰ってもらった。
いろいろ話したかったのか、マナはとても残念そうな顔をしていた。
だが、やはり生徒会役員を務めるだけあって彼女にも常識はあるらしい。
現れた時のように不思議な光に包まれて消えるわけでもなく、普通に最寄り駅までの道のりを聞いて、玄関から歩いて出て行った。
別に彼女が何かしらの極秘機関の使者でも構わない。
不思議な力を与えるから都市の闇に蠢く魔物と戦えと言われても良い。
地球を侵略しようとする宇宙人の野望を阻止せよとか上から目線で命じられても驚かない。
普通じゃないが、世の中そういうこともあるだろう。
だが、現実問題として夜中の自室に女の子と二人きりはヤバい。
いくら『クールに生きる』が信条のシンクと言えども多感な男子高校生である。
未知との遭遇よりも、好みのタイプの女性と二人きりの空間の方がずっと大きな問題である。
我ながらよく冷静に追い返すことに成功したと思う。
いや、別に彼女を好きなわけではないのだけれど。
去り際に「また明日」と言っていたから何らかの接触はあるのだろう。
しかし、わざわざこちらから会いに行く気にはなれなかった。
なにせまだあれが夢じゃなかったと完全に言い張れるだけの自身がない。
と言うわけで誰にも邪魔されず睡眠時間を取り戻そうとしていたシンクだったが、
「新九郎ーっ! いるんでしょ、出て来なさーい!」
階段へと続く扉が勢いよく開く。
聞き慣れたやかましい声が屋上に響いた。
安らぎの時間を邪魔されたシンクは、不機嫌な様子を隠そうともせずにそちらに目を向けた
「……うるさいな青山。そんなに騒がないでも聞こえてるよ。みんなの迷惑だろ」
「迷惑って、あんた以外に誰もいないじゃない。授業をサボった人間が偉そうにしないでよ」
岡高のレトロチックなセーラー服を纏った長い黒髪の少女がつかつかとこちらに歩み寄ってくる。
わざと足音を大きく立てるのは怒りを表現しているのだろうが、あまり上品とは言えない。
黙っていれば美人と言えなくもないのに。
「さ、いつまでも寝てないで行くわよ」
「もう少し寝かせてくれ。もう授業終わってるんだろ」
「あんたを職員室まで連れてくるように先生から頼まれたのよ。放送聞こえなかったの?」
「ああ、火事だから避難しろとか言ってたな。関係なさそうだから無視した」
「避難勧告を無視するんじゃないわよ! って、違う! 火事なんてない! 職員室に来るようにって呼び出しがあったでしょ!」
そう言えばさっき自分の名前が誰かに呼ばれたのをまどろみの中で聞いた気がした。
なおさら面倒くさい。
どうせ担任教師のお説教に決まっているのだ。
当然無視したいところだが、どういうわけかこの腐れ縁の幼馴染である
ムカつくことにこいつを使うのが最も効果があると、あの小癪な担任教師は覚えてしまったようだ。
青山は自分が正しいと信じれば力づくでも目的を達成しようとする奴だ。
このまま逃げかえっても家まで追ってくるに違いない。
なので、ここは素直に従うフリをする。
「なあ、それよりも相談したいことがあるんだけど」
「相談? 何よ」
「目の前の女がウザいんで排除してゆっくり寝たいんだけどどうすればいい?」
前蹴りが飛んできた。
とっさにガードするが右腕にしびれが残る。
「クラス委員が暴力に訴えるとか最低だと思うんだ」
「うっさい! いいから来るの! あんたを連れてこないと私が怒られるんだからね!」
強引に腕を引いて立たされグイっと引っ張られる。
いつも思うのだが、この細腕のどこにこんな腕力があるのだろう。
屋上から強引に連れ出されたシンクは、青山に手を引かれるまま階段を下っていった。
「待てって、引っ張るなよ。転げ落ちたらどうすんだ。一人で歩けるから手を離せって」
「放したらまた逃げるでしょ。まったく、新九郎は私がいないとなんにも出来ないんだから……」
お前は世話焼き女房か。
ぶっちゃけうっとおしいことこの上ない。
これで青山はかなり男子からの人気があるらしいから不思議だ。
よく「美人の幼馴染がいて羨ましいな」とクラスメイトなどから言われることがある。
だが、シンクに言わせればちょっとくらい顔が良くったって、過度に干渉してくる女なんて厄介なだけで願い下げだ。
そもそも彼女とは小学生の頃からの腐れ縁である。
美人だとか、今さらそういった目で見ること自体が不可能なのだ。
成長するに従って恋愛感情が芽生えるなんて青春漫画のような展開にはならなかった。
いや、顔がいいのは認めよう。
客観的に見ればモテる要素があるのは理解できる。
暴力的な行為もシンク以外の相手にはまずやらないことも知っている。
だが残念なことに、青山には決定的に足りない部分がある。
せっかく近隣でも評価の高い岡高の制服だというのに、その良さをまったく引き出せていない。
そう、胸元の凹凸のさびしさが決定的に女としての魅力を損ね――
「うごっ!」
左手を掴まれたまま強烈なボディーブローが鳩尾に叩き込まれた。
防御も不可能な体勢だったので、衝撃はもろに体内に蓄積される。
「な、なぜ殴った……?」
「何か失礼なことを考えているような気がしたから」
「憶測で人を殴るな!」
しかし事実なのでそれ以上の反論はできなかった。
長く一緒にいると考えていることがわかるようになると言うが、こいつはエスパーか。
「ほら、自分の足で立って! きびきび歩く!」
腹をおさえて蹲るシンク。
その腕を強引に引っ張るという鬼畜ぶりを見せつける美少女幼馴染。
せめてもの嫌がらせに動けないフリで留まろうとするが、抵抗するよりも先に青山の手が離れた。
「きゃっ」
後ろ向きに歩き出そうとしたため、テラスにいた人とぶつかったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。