第34話 それは霧雨の中から

「雨、やまないわねぇ」


 サァサァと窓の外を細い雨粒が流れていきます。今日は蒸し暑いので本当は窓を開けたいのですが、風が無いので余計に蒸しそうなのでやめておきました。


 霧雨というのに相応しく、遠く門の先は白くもやが掛かってよく見えません。


 雨季は過ぎましたし、今日はただの雨なのですが、風が無いせいか朝からずっと降り続けています。


 そんな日はリビングでちょっとしたお薬の調合やお茶をするのが日課でしたが、薬草のストックも無くなりましたし、本を読む気分でもありません。


 何もやる気が出ない日ってありませんか? あれです。ゴロゴロするのもなんだか怠惰すぎる気がして、三杯目のお茶を手ずから茶碗に注ぎました。


 足下には少しペッタリとした毛並みのアオイさんが伏せています。アオイさんもやる気が無いのでしょうか。御茶菓子に用意してもらった焼き菓子を小さくちぎって口元に持っていくと、匂いを嗅いでから口の中に入れています。


 フェンリルにも玉ねぎやチョコは毒なんでしょうか? 今度食べられるかどうか聞いてみましょう。人語を解するというのは良いことですね。


 そんな時でした。控えめに家のドアをノックする音が聞こえたのは。


「どなたでしょうね? 私が出ます」


 一通りの家事を終えて後ろに控えていたブルーが申し出たのでお願いしました。


 何やら出入り口でやりとりする声が聞こえます。バシャバシャと庭を走っていく音も。ブルーが戻ってきました。


「マリー様。流れの商人が雨宿りさせて欲しいそうです。馬車が有るそうなので荷台は家畜小屋に、馬の二頭は厩にとご案内しましたがよろしいですか?」


 商人さん! これはチャンスなのでは?


 馬車で移動するという事は手形を持って諸国漫遊している可能性も高いです。とすれば、医学書をお願いすれば持ってきてくださる可能性もあります。


 私は喜んで「もちろんです」と応えました。シェルさんには今日は家の中で人型で休んでいただきましょう。羽は伸ばせないでしょうが(物理的に)人に混ざって生活をする習性があるのなら問題ないはずです。


 ブルーにシェルさんへの言伝を頼むと、再度ノックされたドアを今度は私が開けました。


「アンタが魔女のマリーさんかい? 俺は商人のポール。すまないが霧で道が見えなくてね、暫く雨宿りさせて欲しい」


「いらっしゃいませ、ポールさん。どうぞ中に入ってください。雨で冷えましたでしょう? すぐにお茶を煎れますね」


 ポールさんは私より少しだけ背が高く、飄々とした雰囲気の、無精髭がまばらに生えたお兄さんでした。


 帽子を目深に被っていて、その帽子も上着を着た肩も濡れています。ダイニングから椅子を一脚持ってくると、暖炉に火を入れました。


 寒いわけではありませんが、濡れた衣服を乾かすためです。じゃないと生乾きの匂いがしますからね。雑菌の増殖はよくありません、風邪の元です。


 リビングで帽子と上着を脱いだポールさんは、ソファに腰を落ち着けてブルーに煎れ直してもらったお茶で人心地つくと、長い息を吐きました。


 シェルさんは今頃馬の世話をしている事でしょう。綺麗に使うんですよ、なんて言いながら体を拭いてあげている頃でしょうか。


「いや、本当に助かった。久しぶりにこの国まで足を伸ばしたのは良かったんだが、こんな何も無いところで霧が漂ってきちまって。マリーさんの家が無かったら雨の中野宿になる所だったよ。商品も無事だし、本当にありがとう」


「いえいえ。私も雨で退屈してましたし、商人さんが来るのも初めてなので嬉しいです。良ければここを通る時には私の家にも寄って行ってくださいな」


「お得意様が増えるのはありがたい事だ。暫くこの辺をぐるぐる回る事になるだろうから、何度か顔を出させてもらうよ」


 ポールさんは大変話しやすい方で、何でかしら、と思ったのですが、失礼なので言いませんが眩しくないからだと気付きました。


 イケメンアニマルとイケメン使用人に囲まれていたせいで忘れがちですが、彼らの顔って基本的に目に眩しいんですよね。その上私に仕える、という形を取っているので(イグニスさんは例外として)やはりやり難い部分もありまして。


 中身はアラサー喪女な私としては、こうして砕けた感じで話しかけてくださる男性は貴重です。少し垂れ気味の目元も楽しそうに話す口元も、崩れているわけでは無いのですが、イケメン、というわけでも無くて助かります。


 暫くお喋りに興じてましたが、日がそろそろ暮れる時間です。


 ブルーにクズハさんが使っていた客間の用意をお願いして、私とポールさんだけになったのを見計らって、私はそっと声を落としました。アオイさんは基本的に私のやる事には不干渉で他人に対しては無口なのでノーカンです。


「あの、お願いがあるんですけど……」


「へいへい、何でしょう? 買ってこれる範囲の物ならお持ちしますよ」


「医学書の類が欲しいんです。お金はあるんですが、私はこの国を離れられないので、できれば大国の分厚いものが」


 私がこの国を離れられないというのをどう受け取ったのかは分かりませんが、ポールさんは少し考えてから、いいですよ、と仰ってくださいました。


「よかった! お金は前払い致します。……あ、引き取って頂きたいものもあるんですけど」


「腐るような物じゃなきゃ何でも扱いますよ。持ってきてもらったら、此方で適正な値段で買い取らせてもらいます」


「よかった! ちょっとお待ちくださいね」


 そうして私はクローゼットにしまっておいたドラゴンの財宝を持ってリビングに降りました。


 リビングのテーブルの上にどさりと置かれた財宝の山を見て、ポールさんは流石に驚いていました。


「ん〜……これはまた。アッシの手持ちじゃ全部は引き取れねぇんで、ちょっと【鑑定】させてもらいまさ」


 なんと。この方元は貴族のようです。私が驚いていると、ポールさんは照れ臭そうに笑いました。


「生まれは平民なんですがね、唯一【鑑定】魔法だけが使えるんで養子にもらわれまして。貴族の社会には馴染めなかったし、これしか出来ないもんですから、跡取りに困っているわけでもなし、家を出て気ままにやっとります」


「まぁ、それは……夢があっていいですね」


 心からそう思います。私には……ちょっともう、できない事ですので。


 言外の私の気持ちを察したのか、ポールさんは笑って言います。


「マリーさんとこに来る時には、いつも土産話をもってくる事にしましょう。回れる場所が増えるのはアッシにも悪い話じゃないんでね」


 そう屈託なく笑ってくださいました。

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