第25話 監視報告・2

 私はしがない諜報部員、故あって今は家名なきマルグリートの監視をしている。


 前回、マルグリートの様子を探るため、家に住み着いている変態執事と親交のあるドラゴンと会話をして以来、遠眼鏡で確認できる距離まで離れて監視を続けている。


 マルグリートはいつの間に手を広げたのか、この国の貴族階級の女性とも親交を深めていた。その上犬まで飼い始めている。どうやら、女性は犬の前の飼い主らしい。


 彼女が帰ってからも、犬はマルグリートの家に住んでいた。時々逞しい男が薪を割ったり畑仕事をしている様子も見て取れる。


 どんな人身掌握術を使ったのかは知らないが、彼女の周りには男が集まってくるようだ。それも、只者では無い者ばかり。


 逞しい男が顔を上げて……こちらを見た?! 気のせいだと思いたい、しかし、目が合っている。馬鹿な、十二分に距離を取り迷彩服まで着ているというのにどうやってこの場所を突き止めたのか。


「がっ?!」


 突如、背中に衝撃が走った。半分身を起こしていた体が完全に地面に這う形になる。


 背中に感じるのは靴の感触だが、まるで『馬にでも乗られている』かのように重い。しっかりと踏みつけられて微動だにできない。姿だけでも確認しようと頬を地面に擦り付けて顔を上げたら、そこにレッドドラゴンの巨大な顔があった。


 喰われる。


 本能的な恐怖が体を支配した。


 動けない、逃げられない、なのに目の前には脅威がいる。


 レッドドラゴンは牙の間から炎をちらつかせながら、人語を操った。


「おぬし、バレてないとでも思ったのか? 臭い匂いがぷんぷん漂ってくるわ、邪魔くさい」


 ドラゴンの巨大な爪は地面に食い込んでいる。という事は、背中に乗っているのはまた別の『脅威』だ。


「帰って馬鹿皇太子に伝えろ。謝罪に来い、と。でなければ、我が直々にそちらへ迎えに行くが」


 皇太子がドラゴンに拐われるとなっては一大事だ。これは要求ではない、脅迫である。


「馬。背骨は折るなよ。大事な伝令だ」


「分かっています。覗き魔など邪魔くさい、次に私たちに見付かれば生きて帰れないという事もお忘れなく」


 背中から聞こえた声は、以前の変態のものだ。馬と呼ばれるほど家の中では四つん這いになってマルグリートを乗せて歩いているのだろうか。


 いや、今はそんな事を考えている場合ではない。


「皇太子殿下が、謝罪に来れば手出しはしないのだな……?!」


「そう言っている。あまり非道な事をすれば、マリーが悲しむ。本来ならば夜中にでも城に向かって建造物ごと焼き尽くしてやりたいところだが……」


「それで風評被害を被るのはマリー様ですからね。素直に謝りにくればよし、来なければ皇太子を拐う。理解出来ましたか?」


 ドラゴンの、変態の言葉を前に、私はイエス以外の何を言えただろうか。


 ドラゴンは災害だ。街に現れればただではすまない。それに背後の変態はどうだ。踏みつけられるまで諜報部員の私が一切気配を悟れなかった。


 敵わない。何としても……土下座をして額を床に擦り付けてでも……皇太子殿下にはここに出向いてもらわねばならない。


 でなければ、私が今命を握られているのと同様、命を握られることになる。


「わかった……! かならず、かならず皇太子を謝罪に寄越す……!」


「監視の撤廃もですよ? わかっていますか」


 ぐ、と背中の足に力が篭る。骨がみし、と嫌な音を立て始めた。


「……善処する! かならず、陛下には伝える!」


 すると、ドラゴンは首を持ち上げ、背中からは重さが消えた。振り向いた時にはもう誰もいない、そして前を向いたらドラゴンもいなくなっていた。


 私は交代を待たずして即座に王宮に向かった。繋いでいた馬を全速力で走らせ、途中馬を替えながら、一昼夜で王宮まで走った。


「ふむぅ……、マルグリートの暮らしぶりを聞くに、危険とは思わぬが……」


「はい、あの毒薬を調合した気配もありません。皇太子殿下がご自身で赴かれるのが一番安全かと……」


 陛下へ報告すると、暫く考え込むようにし、陛下は殿下を呼ばれた。


 陛下の口から、私が報告したことが詳らかに殿下の耳に入る。自分の命が、ドラゴンに狙われている。そう知った時の殿下はさすがに青ざめていらした。


「しかし……、私に毒を盛ろうとした女ですよ。本当に行って無事に帰ってこれるのか……」


「行かなければドラゴンを差し向けられる。ならば自ら赴きなさい」


「……分かりました。私に非はありませんが……謝罪が必要だと言うのならば」


 今、殿下は何と言った? 私に非がない、と?


 まさか聞き返すわけにもいかず、私は顔を上げずに黙っていた。しかし、それを許さない人物がこの場にはいた。


 誰でもない、陛下その方である。


「非が無い……? 幼少のみぎりより婚約していたマルグリートを裏切り、エレーヌ・シャーヴィル伯爵令嬢にうつつを抜かしていたのは、もう知っておるぞ。お主は人との約束を裏切った。毒を盛られてもなんらおかしくは無い、恥ずべき行いだった事を省みぬか!」


 陛下の一喝に、殿下は顔を赤くして視線を逸らした。今はその、エレーヌ嬢との婚約話を進めている最中だ。


 妃教育を受けたのちに、正式な婚約となるだろう事は間違い無いが、そもそもは殿下の浮気が元である事は明白。


 一部の貴族を除いて、大多数はマルグリートへの所業に同情的である。無理もない事だ。


 学園とは、後の王になる皇太子と、その王に仕える貴族となる子息令嬢が集うところ。そんな所で堂々と心変わりをすれば、……噂が広まるのは想像に難くない。


「分かりました、謝罪に参ります……」


「追放した手前、国からの謝罪とはいかぬ。いかぬが、お前は心から謝るべきだ」


「……心得ております」


 こうして、殿下は翌日出立された。


 しかし私はあまりの事に言葉を失ってしまった。なんと、その謝罪にエレーヌ嬢を連れて行ったという!


(……マルグリート嬢、貴女は正しかった。一国民である私は、……少なくともそう思う)


 追放されて気が触れて変態を飼っていたとしても、マルグリート嬢は実際は『何もしていない』のだ。


 そして、監視を止めるようにという忠告について王に進言したところ、ならば許可を得て監視の目をつける、という折衷案に落ち着いた。


 城でも選りすぐりの使用人を選び出し、マルグリートの為に働かせる。何かあれば報告する。……それも、マルグリートが許可すればの話ではあるが。


 マルグリートはその許可を出した。あの馬鹿皇太子と馬鹿婚約者が青ざめて帰ってきた時には無理かと思ったが、マルグリートなりにも自責の念はあるのだろう。


 私は、いや、諜報部はもうこれ以上関わる事は無いだろう。


 だから、この一言は、王家を裏切る事ではなく純粋な気持ちとして……。


「マルグリート嬢に、幸あれ」


 そっと空を見上げながら呟いた。

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