4-10
「サワーウィン砦だと?」
もたらされた報告に、ユースゴは眉を顰めた。
「はい、女たちの姿はすでになく、人がいた形跡は特にないと。恐らく、彼らの目を欺くために用意されたものだと思われる、と。サグラフィー隊長も、まさか本当にサワーウィン砦が裏切っているとは考えにくいと仰っておられましたが、ナジキグの者たちがサワーウィン砦へ向かった以上放っておくこともできず、帯同いたしております」
「奴らサワーウィン砦と戦うつもりか?」
「いえ、ですが――」
「王女がいない以上止まることはできないということか」
ユースゴは顎に手を当てた。確かに突如として国境にいたマルドミ軍がすべていなくなるなど考えにくい。ヘンダーレ領内で見たという報告もない。兵を隠すのにサワーウィン砦ほどふさわしい場所もない。国境の警備兵に襲われたというブロード・タヒュウズ。マルドミ軍を見たと報告にきたピート。ナジキグを攻め落としたマルドミ軍。王族の掃討のための兵ならいいが、一気にギミナジウスまで攻め込むつもりだったとしたら。
ユースゴの頭の中をいくつもの可能性が駆け巡る。
このままにはできない。
「私も行こう」
「ですがサワーウィン砦が裏切ったのなら、危険です」
「だからだ。このままでは済まされない。兵を招集しておけ」
※
ギミナジウスとナジキグ地域の国境に流れるバラヒュージ川は、ギミナジウスの食糧庫であるヘンダーレ領の要の一つであり、バラヒュージ川が二股に分かれる場所に位置するサワーウィン砦は要衝の地だ。建国の頃から国境を守ってきた石造りの建物は、この辺りには珍しい四階建だ。そんな砦の横に立つ塔の最上階、かつては領土を侵した敵兵を収容していたという一室、ナジキグ第一王女イリシャは窓の外の光景からふいと視線を外し、振り返った。
「まさかこのような場所に連れてこられるとはな。いつからサワーウィン砦はマルドミのものになったのだ?」
「ご足労いただき申し訳ございません」
マルドミの軍服を着た男は慇懃に頭を下げた。特に階級を示す徽章もなければ、特別な装備もない。保護した王族に臨時でつけられた小者。それ以上でもそれ以下でもない。それでも、王女の詰問めいた口調に怯えることもない。
イリシャ王女は鼻白んだ。部屋の中にある味気ないベッドには糊のきいた敷布が敷かれ、傍らの机にはご丁寧にも装飾品と女物の衣服が置かれている。
「用意のいいことだ」
「直に、大隊長とこの砦の騎士団長が参ります」
皮肉気に呟いたイリシャ王女に、男は頭を下げた。
「どこまでも――」
手際のよいことだ、イリシャ王女は言葉を飲み込み、窓の外、先ほどまで自分がいた天幕に目をやった。
※
「まさかこんなところでイリシャ王女様にお会いすることができるとは、僥倖です」
肩にマルドミ皇太子・ダジュリオの家中であることを示す三頭鷲の徽章をつけたカバレフ大隊長は、イリシャ王女が本物であると認めると大きく手を広げ、歓迎の意を示した。ここでナジキグの第一王女を捕えれば大手柄だ。そう考えているのが丸わかりの表情だった。
かたやこの砦を預かるサワーウィン砦騎士団団長アイリオ・ヴォニウスはイリシャ王女が名乗ると、さっと顔色を変えた。
「カバレフ殿、ラブレヒト将軍が戻って来るまであなた方がここに滞在することは認めましたが、ナジキグの王女は認めておりません」
特徴的な鷲鼻に皺が寄り、眦をつりあげたが、ラブレヒト将軍から後詰めを任されているカバレフ大隊長はとるに足らぬと肩をすくめた。
「何を申されますヴォニウス騎士団長。イリシャ王女だけ外に出せと?そのようなことできるとお思いですか。なに、ラブレヒト将軍が戻られるまで一日もかかりません、心配は無用のこと。大体、王も領主も都ではありませんか」
ヴォニウス騎士団長はイリシャ王女を見ると、視線を彷徨わせた。
「……そういう問題ではありません。……。」
(どんな弱みを握られたのだか)
イリシャ王女は実直そのものといった風の男にちらと目を向けた。だがすぐさま沸き上がった感情に蓋をする。自分の領分ではない。苦いものを飲み込み、目下の交渉相手であるカバレフ大隊長に向き合った。
「女たちは無事なのだろうな」
「もちろん、御身を本国に送り出した暁には解放いたします」
カバレフ大隊長は上機嫌に頷いた。
イリシャ王女は露骨に眉を顰めた。
「私が言っている意味が分からないか?女たちは無事なのだろうな。私は『私が従えば生き残ったナジキグの人間に手を出さぬ』という約束が守られることを前提にここにいるのだが」
どんな蹂躙も許すつもりはない。捕虜になってなお強い意志を含んだ眼光に、カバレフ大隊長は一瞬息を呑み、気を取り直すように咳払いをした。
「何を仰いますやら――」
続く言葉を遮るように扉を叩く音がした。
「失礼します。ユースゴ・ラオスク様が領主代理としておみえです」
「なんだと?」
室内の空気がぴんと張り詰めた。誰もがすぐに窓の外に目をやった。門の前にいるのは十数騎、武装はない。皆それぞれに息をついた。
「すぐに行く」
ヴォニウス騎士団長は室内の人間を順に見て、立ち上がった。扉に手をかけたところで思い出したように振り返った。
「カバレフ殿、兵を外に出していただきたい」
「なんですと?」
「ユースゴ・ラオスクは領主の弟です。こんな時間にここに来たということは何某かの疑いがあってのことでしょう。見慣れぬ兵が大勢いては疑われます。ここはヘンダーレ領サワーウィン砦です。くれぐれもそれをお忘れなきよう」
ヴォニウス騎士団長は一息に言い切ると、カバレフ大隊長が怒りで顔を赤らめ立ち上がる前に、小者とカバレフ大隊長を見比べ、イリシャ王女に会釈をし、部屋を出た。
「あやつ、下手に出ておればいい気になりおって。いずれ属国となるくせに」
「カバレフ様、いつでも軍を動かせるようになさいませ」
「お前まで逃げろというか。仮にばれていようと、我が軍が負けることはない」
「確かにカバレフ様が負けることはないでしょうが、ラブレヒト将軍にはなんと報告いたしましょうか」
「うっ」
カバレフ大隊長は小さく唸り、苛立たし気に首を振った。小隊長だったカバレフが大隊長として兵を率いる際の条件はこの得体のしれない男を側に置くことだった。武勲を立てたとはいえ、一足飛びに出世するものには例外なくつけられる存在だと言われればカバレフが拒否することはできなかった。実際、この男は小者のふりをして軍にあり、一気に出世したカバレフを不満に思うものたちをうまく御していた。それでもカバレフの勘がこの男の何かが気に障るのだ。
「分かっている。お前は王女を逃がすなよ」
「かしこまりました」
カバレフ大隊長は頭を下げた小者を睨みつけ部屋を出て行った。
大隊長と騎士団長の去った部屋、足音が聞こえなくなると、小者はイリシャ王女を振り返った。
「さて、打ち合わせをいたしましょう」
と或る王の物語 雪野千夏 @hirakazu
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