4-3 二度目の謁見 対価と覚悟
「次は、セドの謁見にございます。よろしいでしょうか」
「構わぬ」
王は鷹揚に頷いた。それでは、と進行を務める文官が謁見の間の入り口に控える文官に頷いたときだった。
「王、お待ちください」
ヴァレリアン総史庁長官が玉座の前に飛び出した。
渋面の宰相がヴァレリアン総史庁長官に目配せをしたが、ヴァレリアン総史庁長官は宰相を見ることなく膝をついた。
「ヴァレリアン殿。王はお忙しい。あなたもご存じのように、これからセドの謁見があるのだ」
意を含んだ宰相の言葉に、ヴァレリアン総史庁長官は一度だけ宰相を強い目で見ると、王へと向き直った。
「王。どうか自分の国をセドにかけるなど馬鹿げたことはおやめください。犯人を捜し出すのでしたら、我ら総史庁が致します。わざわざ相手の思惑に乗ることはありません」
王はヴァレリアン総史庁長官を見下ろした。
「さすがは総史庁長官」
「道理の通らないことをよしとしない方だというのは本当のようだね」
騒ぎを聞きつけいきなり走り出したハルを追う形で謁見の間の入り口に到着したラオスキー侯爵が呟けば、タラシネ皇子も感心したように頷いた。
「宰相が剣を向けられた一件を知らぬわけではあるまいに。さて、どうなることやら」
ニリュシードは苛立たし気な宰相の姿に、灰色の目を細めた。
「どうして」
ユビナウスは焦れたような視線を王の前に膝をつくヴァレリアン総史庁長官に送った。
玉座の上、王はゆっくりと背もたれから体を起こした。ヴァレリアン総史庁長官を睥睨し、二度、手を振った。
「我が王だ」
下がれ。
「だから何だと言うのですか。民があってこその王だと先王も申していたではありませんか。……それをあなたは無視なさると仰るか」
示された王の意思に、ヴァレリアン総史庁長官は唇を噛む。それでも膝の上に置いた手を握りしめ、王をねめつけた。
「病に倒れ、あげく後継も指名せず、王位争いを巻き起こした無能の言葉など、知らんな」
王はゆっくり首をめぐらした。誰かを見たのか。見なかったのか。
王は玉座を立った。二段、階を下りる。
剣を抜いた。
すらり、剣は優雅な曲線を描いた。
ヴァレリアン総史庁長官は王を見つめたまま、首筋に当たる冷たい剣の感触に、礼服の小さな刺繍を握りしめた。
「このようなやり方で誰もが黙るとお考えですか」
逸らされることのない視線。王は微笑んだ。
「そうだ、な」
王は剣舞のように腕をしならせた。長い袖がふわり、空を揺らめく。剣の重さなど全くないかのように、剣は滑らかに宙を舞い、王の絹の袖が重力に従いゆっくりと床につくより早く、正確に目的の場所に到達した。
重い音と、空気が抜けるような音。タラシネ皇子にとっては知ったにおい。空気だ。それでもタラシネ皇子は目の前の光景に目を見張った。口を覆った。
ヴァレリアン総史庁長官の首を貫いた剣の切っ先から、赤い血が滴り落ちる。
血だまりが広がる。
「静かになったな」
王は静かな目でヴァレリアン総史庁長官を見下ろした。
どれだけ鍛えた剣士であろうとも、敵を屠る一瞬に見出す達成感や高揚が見えるものだ。そんなものは微塵もなかった。どんな感情も起伏も王からは見いだせなかった。
ラオスキー侯爵の背中を冷たい汗が伝った。
「ああ、そうか」
王が呟いた。剣を引き抜く。
ヴァレリアン総史庁長官が倒れた。動かない。
「使えないな」
王の平たんな声はやけに人の心に入り込んだ。侍従がはじかれたように顔を上げ、足を縺れさせながらも、王の前に膝をつき、恭しく、懐紙を差し出した。必死に震えを止めようとしていたが意識すればするほど恐怖が体を伝い、懐紙を持った手が小刻みに震えていた。
王は震える懐紙を無造作に手に取った。人の脂に濡れた刃を拭う。血だまりに沈む総史庁長官を見下ろし、剣を放った。血だまりの中を剣が転がる。拭った刃が血に濡れ、絹糸で作られた白い装飾紐が血色に染まった。
王は音を立て踵を返し、玉座に座ると言った。
「来い」
その場にいる誰も動かなかった。動けなかった。
謁見の間に重い沈黙が満ちる。
こつり、動いたのはミヨナだった。ミヨナは血だまりの中から王の剣を拾い、躊躇うことなく自らの服で血を拭うと、剣を抱き、玉座の王に駆け寄った。
「王、忘れものですわ」
ミヨナは小首を傾げた。
「つけろ」
ミヨナはふふ、と笑うと、王の剣帯に手を伸ばした。剣を王の腰に戻したミヨナが王の腕に触れると、王はミヨナを膝の上に乗せた。国の重鎮、五人の中の一人を殺した王は、ミヨナを膝に乗せ、その腰に手を添えた。そこがあるべき場所だとでもいうように、ミヨナは王にしなだれかかり、首元に唇をよせた。
王は唇を緩ませた。
誰もが気づかれないようにそっと息を吐いた。普段、ミヨナを愛妾と陰で蔑む人間ですら、王の狂気を宥めることのできる存在に感謝したときだった。
「さて、待たせたな。参れ」
緩みかけた空気が一気に張り詰めた。
侍従も兵士も文官も心臓を縮こまらせた。待たせたなが、次はお前だ、に聞こえたのだ。王の視線が自分たちに向けられているのではないと知ると、彼らは王の視線を追った。
謁見の間の入口。次の謁見の許可が出るまで誰もいるはずのないその場所に、セドの参加者たちが横一列に並んでいた。
許可を得ずして謁見の間に足を踏み入れた彼らは咎めるべきだ。だが、目の前で起こった現役の総史庁長官を王が手にかけるという衝撃に、それを指摘する者はいなかった。
「さて、待たせたな。参れ」
王はもう一度言った。全く同じ声色だ。
気だるげとも、怠惰とも、暴君ともみえる。王はまっすぐにセドの参加者となるべき者たちを見ていた。
ラオスキー侯爵は無意識に腰の剣を探して手を彷徨わせ、息をついた。ニリュシードは唾を飲み込み、タラシネ皇子は口を一文字に引き結び王を見つめた。
横一列に並んだセド参加者がまっすぐに王を見る中、ハルとユビナウスだけが、動かなくなった総史庁長官から目をそらせずにいた。
参れと言われても、王への道のりは血濡れの道だった。勇気ある男だったものが横たわり、よく磨かれた床に血だまりが広がっていく。王への謁見ということで、ハル以外の人間の服は床に引きずるほど長い。まっすぐに進めば汚れる。血の不浄を王がよしとするのか。誰もがためらう中、足を踏み出したのはニリュシードだった。器用に血だまりを迂回し、王の前で頭を垂れた。
「苛烈だと聞き及んでおりましたが、なかなか豪胆にございますな」
人が一人殺されたというのに、笑い飛ばしでもしそうな雰囲気だった。血だまりは広がる。ニリュシードはそんなものには目もくれなかった。ただひたすら、王だけを見た。
「世辞はよい。二度目はその口きけなくなると思え」
王はほんのわずか目を細めた。
「は」
ニリュシードはそれにすらも笑って頭を下げた。
「どうした、早く来い」
三度目の王の言葉にタラシネ皇子とラオスキー侯爵が足を進めた。タラシネ皇子は器用に血だまりに沈む総史庁長官を飛び越え、ニリュシードの横に立った。
ラオスキー侯爵は遺体をまたいだタラシネ皇子に眉を顰めると、王への最短距離、血だまりの中を進んだ。靴が、服の裾が血に染まった。血だまりを抜けたラオスキー侯爵は立ち止まり、足元に視線を落とすと、おもむろに踵を返した。大股でヴァレリアン総史庁長官の元に近寄り、膝をついた。白い服の膝が血に染まった。ラオスキー侯爵は開いたままのヴァレリアン総史庁長官の目を見つめ、自身の上着に手をかける。背中に突き刺さる王の視線に躊躇うことなく上着を脱ぐと、ラオスキー侯爵はヴァレリアン総史庁長官の体に自身の上着を被せた。薄い黄色が一気にどす黒く染まり、光沢が消えた。
ハルは、ラオスキー侯爵の痛まし気な表情をじっと見ていた。視線をあげたラオスキー侯爵と目が合い、ハルは目をそらした。ラオスキー侯爵は小さく微笑み、ヴァレリアン総史庁長官にかけた上着の端を視線だけで指し示した。
「そこを歩きなさい」
ラオスキー侯爵は王には聞こえないくらい小さな声で言い、ハルに向かって手を伸ばした。将軍職を拝命したこともある年嵩の男の手はかたい皺が刻まれている。ハルは掌を不思議そうに眺めたあと、ラオスキー侯爵の手を支えに、血だまりの上におかれた上着を道にして、血だまりを渡った。
「ありがとござ!」
ハルはラオスキー侯爵に頭を下げた。
「お待たせいたしました」
ラオスキー侯爵はハルには答えず、王に向かって頭を下げた。
王は答えなかった。自分が殺した男をいたわるラオスキー侯爵を、責めるでも、咎めるでも、激高するのでもなく眺めていた。
タラシネ皇子とニリュシードは背後を振り返ることもできず、ただ王の表情だけを見ていた。ユビナウスは黙ってヴァレリアン総史庁長官をまたいだ。
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