4-4 二度目の謁見 対価と覚悟2
「それで、対価は」
王は横一列に並んだセドの参加者を見下ろした。
ニリュシードが一礼し、目録を差し出す。従者から侍従へ、侍従から王へと目録が差し出されたが、王は目録を受け取ろうとしなかった。代わりに王の膝の上にいたミヨナが手を伸ばした。侍従は困惑し王の顔色をうかがうも、結局ミヨナに目録を渡した。
「読め」
「金、千ユラグ。銀、二千ユラグ」
普段流通するガリナよりも桁が一つ違う。国家予算にも匹敵する金額に、人々は驚愕の眼差しをニリュシードに向けた。
「この国に住む人間の労働力と、資源、価値。そしてこれからの王の暮らしを保障するだけの金額であると考えています。無論、これだけで王のこれまでの功績に報いるものではありませんが――。王と、そのご家族が一生遊んで暮らせるだけのものを用意させていただきました。今ご用意させてある分以外は分割でのお渡しになりますが、ご不便をおかけすることはございません」
「家族、だと?」
王の眉がひくりと動いた。
「ミヨナ様にございます」
ニリュシードは恭しく頭を下げた。
どれだけ王の寵姫とされようと、愛妾であるミヨナに公的な身分はないに等しい。
「で、あるか」
王は顎に手を当て、おもむろにラオスキー侯爵を見た。
ラオスキー侯爵は分厚い冊子を取り出した。侍従が冊子を受け取ろうとしたが、ラオスキー侯爵は侍従をひと睨みで下がらせ、玉座の前に膝をついた。
「私はこの国を統治するにあたっての計画をもって参りました」
ラオスキー侯爵は冊子を王へと差し出した。今度はミヨナが冊子へと手を伸ばした。ラオスキー侯爵は冊子を離さなかった。
「王が、どのような理由から国を売ろうと思われたのかは存じません。ですが、金よりなにより、今後の展望。次を託されるものとしてそれを示すことこそ、今日までこの国を率いていらっしゃった方への礼儀であると考えております」
ラオスキー侯爵は分厚い冊子を握りしめたまま王を見つめた。絶対に直接渡すのだという強い意志を宿した目だった。
王は鼻で笑った。やんわりとミヨナの腕に触れ、その手を下げさせた。
「王」
ミヨナが不満気な声を上げたが、王はそれをミヨナの腕をさすることで黙らせた。
「来い」
王は言った。
ざわりと、空気が動いた。どれだけ身分が高かろうと本来、王に直接手渡すことはできない。異例のことだった。
ラオスキー侯爵は驚いた顔をしたものの、すぐに立ち上がった。緊張した顔で王へと歩みより、玉座の前で改めて膝をついた。
「ご覧ください」
王は無造作に冊子を受け取った。ぱらぱらと頁をめくり、目を眇めた。
一朝一夕で作ったとは思えぬ内容だった。
「これで、得をするのは我ではないな」
手を伸ばせば、剣で一突きにされる距離。ラオスキー侯爵の喉が動いた。
「いくらこの国と人を買おうともそれを治めていかねば、王への支払いもできぬ理屈。必要とあれば、税収の一部をお渡しします」
それでもラオスキー侯爵の言葉は滑らかで、その目は澄んでいた。
「なるほど」
王はうっすらと笑った。背表紙を逆さに持ち、冊子を振った。
「王!何をなさいます」
ラオスキー侯爵が抗議の声を上げたが、王は答えなかった。首をめぐらし、ハルを見た。
「わ、私は友達が好きです」
ばちり。王と目が合ったハルは、皆の耳をつんざくほど大きな声をあげた。場違いなほど大きな声に周りが面食らっている中、ハルは慌てて背中の籠を下ろすと、籠から紙の束を取り出した。
「友達、売るはだめです。これは皆の気持ちです。そうめんういろう」
「そうめんういろう?」
はじめて聞く名前に誰もが怪訝そうな顔をした。だが籠から取り出されたのが、ただ紙束を十字に組紐で縛ってあるだけのものだとみると、幾人かはあからさまに侮った顔をした。ハルは一人、大真面目に紙束を王に差し出す。侍従が恐る恐る王に『そうめんういろう』を渡した。
王は一読し、ハルを見た。
「面白い、血判状が対価とはな。命がいらぬとみえる」
ラオスキー侯爵が、ニリュシードが、宰相が、その場にいた誰もが一斉にハルを見た。過去幾人もの人間が王権を打倒しようとしたとき用いられ、例外なくその者たちを処刑台へと送ってきた代物、それが血判状だ。国をセドに出す王も狂っているが、その答えに血判状を持ってくる方も相当にいかれている。この場で殺されても文句の言えない所業だった。
ハルはそんなことは知らぬ風に、不満そうに首を振った。
「違います、命は大事。一緒に生きましょうのそうめんういろうです」
「あくまで違うと言い張るか」
王はくつりと笑った。喉の奥に不穏な色が滲む。
「言葉も満足に話せぬ娘が国の面倒をみる、だと?」
「王になるというのか?」
ニリュシードとラオスキー侯爵が驚愕の表情でハルを見た。
「買ったら、最後まであります。その、せ、せきにん? 私大人です。お世話します。みんな……」
ハルは、まごつきながらもジャルジュとワリュランスから教え込まれたセリフを答えた。だが肝心のところで口ごもった。四方から視線が突き刺さる。ハルは精一杯、必死に言葉をひねり出す。
結果、本来つけるべきあれやこれやを全部すっ飛ばした強烈な単語が飛び出すことになった。
「私、オーさん、嫌いです」
一気に場が凍りついた。
王は黙ってミヨナを膝から下ろした。
ニリュシードもラオスキー侯爵もタラシネ皇子もすっとハルから離れた。
ハルだけが空気が変わったことに気づかない。元気よく宣言した。
「友達は好きです。友達は守るのです!のそうめんういろうです」
王は玉座から立ち上がった。ハルは突然、目の前に立った王をただ見上げた。それから、はたと頷き、いつもセドの売り主にするように、ぺこりと頭を下げた。セドの売主と買主としてならいたって正常な対応だが、相手は王。それも暴君と名高い王だ。
王は無言でハルの顎を掴み、首を絞めんばかりに掴んだ顎を上向けた。
「いたい、です」
ハルの抗議に、さらにハルの頬に王の指が深く沈む。もがけばもがくほど指が食い込む。逃げられないと悟ったのか、ハルは力を抜き、王を見た。王もまた、ハルを見た。
「私、オーさん、違う、ます」
ハルの言葉に王の眉がぴくりと動いた。
「あ……」
王はタラシネ皇子を一瞥した。タラシネ皇子は言葉と舌打ちを飲み込んだ。ここにはワリュランスもブロードもいない。タラシネ皇子が助け舟を出そうにも表向きはセドの競争相手。ハルの言葉は文字通り挑発として人々に認識されている。下手なことは言えなかった。
王は無言で剣を抜いた。その勢いに、剣帯から鞘が落ちた。鞘は床を転がり、タラシネ皇子の足元で止まった。タラシネ皇子は鞘に視線を落とし、静かにしゃがんだ。
王が剣を振り上げた。ハルめがけて振り下ろす。
「お止めください!」
ラオスキー侯爵が、ニリュシードが、宰相が、目の前の光景に目を瞠った。
タラシネ皇子は鞘に伸ばしかけた手を止めた。
王とハルの間には、先ほどまで参加者たちの脇に控えていたユビナウスが半身滑り込ませ、王の左腕を掴んでいた。
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