3-11 牢での出会い ピート・ホッジス
「ピート・ホッジスだ」
ブロードをまじまじと見た後、男は名乗った。
「ホッジス?」
「ナジキグじゃそう珍しい名前でもない。今じゃ難民だがな」
ピートは諦めたように肩をすくめた。
必死に手を伸ばしていたのと同一人物とは思えぬ気さくさだった。
「それが、どうしてこんなところに?コソ泥でもしたのか?」
ブロードは内心驚きながら、調子を合わせた。
「誰がそんなこと! 俺は警告に来たんだ。難民になってからこっち、ラオスキー様には食料やら何かと融通してもらっているからな。それなのに領兵の奴ら、ろくに俺の話もきかずにこんなところに放り込みやがって」
ピートは早口でまくし立てた。自己紹介ではそうでもなかったが、早口になるとナジキグ特有の訛りがあった。
「さっきも言っていたな。何があったんだ?」
「お前に行ったってどうしようもねえ」
ピートは冷たい煉瓦に背を預け、膝に顔をうずめた。それきり口を開く様子はない。ブロードはピートと反対側の壁に背を預け、軽く目を閉じた。湿った黴の臭いに混じって、遠くで見張りの話す声がした。
「国境でマルドミ軍を見たんだよ」
ぽつり、とピートが言った。
「マルドミ軍だと?」
顔を上げたブロードに、ピートは頷いた。
「ああ、間違いない。俺たちはナジキグよりに天幕を張っている。近くの村に荷物があるやつらもいるからな。そんな奴らは時々、村へ戻る。それで数日前だったか、例によって様子を見に行こうとしたら、その途中にマルドミの奴らがいて、今晩ヘンダーレを攻めるって話をしていた。だから、俺が代表してサワーウィン砦に報せに行ったのさ。俺らはナジキグの民だが、今はここで世話になっているからな。そうしたら、どうなったと思う」
「どうなったんだ」
「お偉いさんと会った。それで話をした。褒美をもらって砦を出た。別に褒美が欲しかったわけじゃないぞ」
ピートは慌てて付け足した。
ブロードは気にしない、と手を振った。
「結構じゃないか」
「ああ、帰りに兵士に襲われなければ、な。奴ら砦を出たとこから尾行していたんだ。人気のない街道で、いきなりだ。なんとか振り切ってラオスキー様に報告に上がれば、今度はこの有様さ。『国境の警備兵がそんなことをするはずがない、だとよ』せっかくの褒美も取られちまったし、この国も大概だな」
ピートは忌々しそうに鼻を鳴らし、薄汚れた服をめくった。その腕には農具や日常でつくのとは別の真新しい切り傷があった。手当をされていない傷は赤く腫れ膿みかけている。
「敵の来襲を教えに行って襲われるなど、聞いたことないぞ。報奨を渡し、その情報の貢献度によっては召し抱えられたとしてもおかしくはないはずだ」
「士官するつもりだったのか?」
「悪いかよ」
「いや、ところで兵士というのは国境の警備兵か?」
「なんだ、疑うのか? 」
「いやその逆だ。俺も警備兵に襲われた。どんなやつだったか分かるか?」
「どんなやつって、普通にギミナジウスの人間ぽいやつさ。顔なんてろくに見ちゃいねえよ。逃げるのに必死だったからな。なあ、もしかしてさ」
ピートはブロードの横に移動した。ブロードの肩を抱いて声を落とす。
「この辺の連中とマルドミの連中はぐるだったりするのか」
「は?」
「大きな声を出すな、見張りが来るだろ」
「すまん。どうしてそう思った?」
「どうしても何も――、一応これでもナジキグでは仕官していた口でね。マルドミのやり口は知っている。裏切るはずのない人間と通じて、ある日突然襲ってくる……俺は守れなかった」
そう言うとピートはブロードの肩から手を離し、暗い目で、薄暗い牢の天井を仰いだ。
「ラオスキー侯爵が通じていると言いたいのか?」
「さてね。お前も見たとこそれなりの奴だろう?ま、俺には関係のないことだ。まさかせっかく拾った命、こんなところでなくす羽目になるとは思わなかったが……。それももうどうでもいいことだ。外の連中もマルドミの連中が来るのは知っているし、逃げるだろ」
ピートは投げやりに体を壁に預けた。
「お前が言っているのは、国境付近にいるナジキグの難民のことか。だったらまだ呑気に飯を食っていたぞ」
ブロードは荷馬車の中から見た光景を告げた。
「なんだと。足の速いのが行ったはずだ。すぐに戦場になる可能性があるから移動しろと――」
ピートは顔色を変え、ブロードの胸倉をつかんだ。
「もしもあんたの言う通り、砦の奴らがマルドミと通じているのなら、報せを止めることくらいはするだろ」
ピートははっとした顔をして、両手で頭を掻きむしった。壁に頭を打ち付ける。
「ああ、くそ。そうだ。なんで忘れていた。俺はどうして、また守れないのか」
ピートは視線を彷徨わせ、牢の中をぐるぐると歩き回った。
ブロードは改めてピート・ホッジスという男を眺めた。年のころは四十ほど、いやもう少し若い。服は汚れているし、ところどころ擦り切れているが、確かにその身のこなしは武芸を嗜む人間のものだ。仕官していたという話も嘘ではないだろう。ならばすべきことは一つだった。
「なあ、お互い無実の者同士。協力しないか?」
「なんだと?」
「俺もこんなところに放り込まれているわけには行かない身の上なんでね」
「何を言っているんだ。ここは牢だぞ」
ピートはうさん臭そうに眉を顰めた。
「だからなんだ? 牢っていうのは出るためにあるんだぜ」
ブロードはにやりと笑い、靴の底から小さな金具を取り出した。
※
ブロードとピートが牢から出ると、日は沈み、あたりは真っ暗だ。詰所から屋敷への道筋に等間隔にカンテラが吊るされている。
「おい、一応聞いておきたいんだがな」
一日ぶりに外に出たピートはブロードに声をかける。
「なんだ?」
「お前、泥棒の経験は?」
「俺はいたってまっとうな男だぞ」
心外だと肩をすくめたブロードの足元には入口を守っていた牢番が転がっている。
「まっとうな男は牢の鍵あけなんてできないものだ……武器の心配はしなくてよさそうだな」
ピートは呆れたような目をブロードに向けた。
「そっちこそ、まっとうな男は詰所を見て武器を奪うことなど考えないぞ」
ブロードもまたピートを胡乱気に見やった。
「確かに、そうだ。つい癖でな」
ピートはすまないと肩をすくめた。
詰所周囲の塀は高く人力で越えるのは難しい。二人はカンテラの明かりを頼りに門へ向かった。時折感じる兵士の気配に二人はどちらともなく陰に隠れる。そんなことを繰り返し、二人は進んだ。
ブロードが片手をあげ、兵士たちを顎でさした。
「どうする?」
詰所と屋敷の中間地点、小さな広場のように開けた場所は、鍛錬の場でもあるようだった。外へと続く門には見張りの兵士が五人。屋敷へとつながる門にも二人、見張りが立っている。厩舎の向こうに兵士たちの宿舎らしき建物が並んでいる。外へ行くにはどうあっても、兵士の見張りをくぐり抜けなければならなかった。ただ、広場は煌々と照らされ、どの角度からも死角がないように兵が配置されていた。
「殺すわけにもいかないな」
ピートは悔し気に牢番から奪った剣を握る。
ブロードはそんなピートと、屋敷へと続く門を見比べた。
「なあ、ピート一個頼みがある」
「なんだ。約束は守るぞ」
「それなら――」ブロードは一案を告げた。
「おい、本気なのか?」ピートは目を剥いた。
「俺はいつでも死ぬ気で本気だ。約束したよな、牢から出られるなら協力するって」
「それはそうだが……」
ピートは躊躇いがちに頷き、ブロードはにっかと笑った。
夜空が一斉に赤くなった。
ギャーと見張りの兵士が叫び、倒れた。
「火矢だ!」
今まさに広場に飛び出そうとしていたブロードとピートは降って来る火矢を薙ぎ払うと、物陰に隠れた。宿舎から兵士が飛び出してきた。水桶を持って走り回る。再び空が赤く染まる。
「火矢だ! 消せ!」
「よせ、消火は屋敷の者に任せろ!」
火矢を打ち払う兵士たちに、隊長らしき男が一喝した。
「すぐに馬を出せ。第一隊はすぐに出る!第二隊は配置につけ」
矢継ぎ早の指示に兵士たちが一斉に走り出す。
「じゃ、頼んだぞ」
「本当に大丈夫なんだろうな」
ピートは屋敷の奥へと走り出そうとしたブロードの手を掴んだ。
「知るか。大丈夫にするんだよ。守れよ、約束。じゃあな死ぬなよ」
ブロードは絶句するピートの手を振り払い、手薄になった屋敷の奥へと走った。
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