と或る王の物語

3-10

「まったく無駄な仕事増やしやがって」

　縄抜けを披露したブロードに、兵士はぶつくさ言いながら、今度は手首だけでなく二の腕も縛りあげた。

「歩け」

「おい、取り調べは詰所じゃないのか？」

　どの領でも、捕縛された人間が最初に連れていかれるのは兵士たちの詰所と決まっている。さらに奥となるとなかなかにきな臭い。

「黙って歩け」

　兵士は立ち止まったブロードの肩を押した。ブロードは如才なく周囲に目を配ると、黙って従った。

　詰所を抜け、右へ左へ、入り組んだ通路が続く。奥に進むにつれ、見張りの兵士も明らかに玄人な気配の漂う男たちが多くなった。均した地面が粘土質にかわり、しばらくすると玉砂利になった。

「おいおい」

　明らかに重罪犯への対応にブロードは誰にも聞こえないくらいの声でこぼし、がっちりと縛られた腕を動かしたが、縄はびくともしなかった。

（余計なことしたな）

　ブロードはさっきの縄抜けを後悔したが、後の祭りだった。

「開けてくれ」

　兵士の言葉に、レンガ造りの建物の前、門番なのか見張りなのか、陰湿な目つきの男はブロードと兵士を一瞥し、古びた鍵を黒い鍵穴に差し込んだ。大の男が通るには小さすぎる扉の先、地下へと続く階段。ブロードは嗅ぎなれた臭いに足を止めた。そっと振り返った。蹴破れそうだと感じた扉の裏側はブロードの拳ほどの厚みのある鉄扉になっていた。

（まじかよ、あの皇子さんめ）

　毒づいてみたところで現状が変わるわけではない。ブロードは兵士に押されるまま階段を下った。

　人一人通るのがやっとの階段を下りれば、鉄格子の連なる部屋が広がっていた。そこかしこから怨嗟の声が響く。

「おいおい、牢に入れる前に取り調べじゃないのか」

　両側を挟む兵士が棍棒を振り上げた。

「分かったさ」

　ブロードは後ろ手に縛られたまま器用に肩をすくめた。指示された牢の前に立つ。牢の奥には男が一人足を抱えて座っていた。兵士が牢の鍵を開けると、牢の奥で壁を背に項垂れていた男がはっと顔を上げ、駆け寄ってきた。

「おい、俺はやってないって言っているだろ。出してくれ、家族を助けにいかなきゃならないのだ」

　男は鉄格子ごしに兵士の袖を掴み揺さぶった。

「離せ！」

　兵士は男の手を振り払った。男はさらに手を伸ばした。指先が兵士の腕に触れる。もう一人の兵士が男の手をこん棒でたたきつけた。男は痛みに手を離した。その間にもう一人の兵士がブロードを牢に押し込んだ。

「俺はやっていない、出せ」

　冷たい牢に怨嗟の声に交じり、男の声が響く。

「まったくやってられんぜ。昨日も今日もなんだよ俺の当番の日ばかりに、変なのばっかきやがって」

「まあそう言うなや。手当もつくだろ、上で一杯やろうぜ」

　兵士の足音が遠くなる。

「待て、待て、行くな！戻ってこい、戻ってきてくれ！」

　男は叫ぶ。兵士の声はどんどん遠くなる。建物自体を施錠する音が牢全体に重く響く。男は項垂れ、鉄格子の向こうに伸ばしていた手を引っ込めた。赤く腫れた手を冷ますように振った。

「なんだ！見世物じゃねえぞ！」

　ブロードと目が合った男は威嚇するように怒鳴りつけた。

「いや、あんたも無実の口かと思ってな」

「あんたも？」

　男はまじまじとブロードを見た。ブロードは片眉を上げることで返事にかえた。

　※

　ヘンダーレ領主の執務室、留守を預かるユースゴは伝票を受け取った。

　ヘンダーレ領はギミナジウスの穀倉地帯だ。広大な小麦畑を有し、麦のほかにも肥沃な土地を生かし様々な作物が作られている。育ちの早い牧草を生かし、放牧を営む者も多い。街道沿いには隊商たちへの補給路とでもいうべき露店が並び、採った野菜や水と交換で隊商たちは香辛料や異国の物資を渡す。ギミナジウスの最後の補給地でもあるヘンダーレでは馴染みの光景だ。だが最近は露店にはみすぼらしい格好の民が並ぶ。ナジキグ地方の難民だ。国境沿いに小さな集落を築きつつあるナジキグの難民は、現在ヘンダーレ領にとって大雨での収穫減とともに頭の痛い問題だった。本来なら国境をまたぐことを許されない民だが、ラオスキー侯爵は国を追われた人々に対し食料の確保を阻むことはしないようにと通達した。無論対価は必要であるが、ナジキグの難民たちにも食料を買う金はある。まだヘンダーレ領にも備蓄はあり、難民たちにも金がある。だがそのどちらかが尽きたとき、今の対応は立ち行かなくなる。

　ユースゴは臨時の出費をはじき出し、署名する。まさか自領から出荷した麦を買い戻す日が来るなどとは思わなかったが、背に腹はかえられなかった。ユースゴにはラオスキー侯爵の名代として内向きのことはもちろん、領地と領民に対する責任もあった。

「それで、ジエ殿が単独でお越しとは何かございましたか」

　ユースゴは緊急の面談を求めてきたニリュシード・ラオロンの懐刀である男に目をやった。

「こちらの領地でわが商会の隊商が行方不明になっております。少しばかりお騒がせすることになるかもしれませんのでそのご挨拶をと」

　ジエ・マックイーンは布袋を差し出した。迷惑料としてはずいぶん破格な大きさだった。

「なるほど、それはご心配なことですね。ただそのような案件の報告は参っておりませんが」

　ユースゴは中身を確認することなく、ずっしりと重い布袋を机の上に置いた。ジエの目尻がくいっとあがった。

「それはご協力をいただけないということでしょうか」

「なにぶん、難民との諸々で色々と手が足りないのです。ご協力は……」

　ただでさえ、難民たちの扱いに頭を悩ませているときに、こんな手土産つきの案件がろくなものであろうはずもない。ユースゴは首を振った。

　遠慮がちに扉が叩かれ、兵士が入ってきた。

「なんだ、来客中だぞ」

「申し訳ありません、ですが森で隊商たちが殺されているのを見つけまして、その場にいた者を捕らえましたので、ご報告をと……」

「どうやら、お手数をおかけするまでもなかったようですね。犯人はこちらに引き渡していただけますか」

「ジエ殿。ご存じかと思いますが私刑は禁止されております」

　ニリュシードの懐刀と名高いジエは鷹使いとしても有名だ。トルレタリアン商会に仇なすものには容赦なく、鳥の餌にしたなどという噂がまことしやかに囁かれている。このヘンダーレ領でそのような暴虐を許すわけにはいかない。

　ユースゴは慌てて口にした。

　ジエは目を丸くし、首を振った。

「そのようなことはいたしません。残った隊商と積荷の無事が確認できれば、私どもはそれで十分ですから」

「それが――」

　伝令の兵士が足もとに視線を落とした。

「どうしたのだ」

「隊商は全滅でして」

「全滅だと？　女もか？」

「はい」

　ユースゴは耳を疑った。隊商が襲われることは時々あるが、それでも皆殺しにするような賊はこの辺りにはいない。はぐれ者が時折いるがそんな人間はすぐに領兵が捕縛していた。

「難民の仕業ですか？」

　ジエが兵に訊ねた。

「はい、たぶん」

「犯人は捕らえているのでしょう？」

　煮え切らない返事にジエは兵士を見据えた。

「それが――」

「どうした、はっきり言え」

「その捕らえはしたのですが、その者が申しますには『自分ではない。国境の警備兵に襲われた』と」

「は？」

「それは、その者が賊だということではないのですか？」

　ジエもユースゴも眉根を寄せた。

　国境を守るサワーウィン砦の警備兵はヘンダーレ領主であるラオスキー侯爵の旗下ではない。国王直属の国軍である。俄かには信じられなかった。報告の兵士も首を傾げた。

「いえ、ですが、その者、ブラッデンサ商会のブロード・タヒュウズと名乗っておりまして」

「ブロード・タヒュウズだと？」

　その名は国売りのセドの相手としてユースゴの元にも届いていた。本物なのか、と問いかけユースゴは首を振った。そんなことは目の前の兵士が知る由もないことだ。

「どういうことですかな」

　事情を知っているだろうジエを見た。

「確かめればわかることです。ご案内いただいても」

　ユースゴに否やはなかった。情報を主に届ける、それもまた彼の重要な仕事だった。