3-9
「捕らえろ!」
「だから俺じゃないと言っているだろう。俺はブラッデンサ商会会頭ブロード・タヒュウズだ。ヘンダーレ領から荷が届かないという報せを受けて、調査のためにここまできた」
ブロードは剣を持ったまま両手を上げ、顎で懐の身分証を指し示した。
「ブロード・タヒュウズだと?」
「どうしますか?」
「どうするも何もない。身分証など偽造できる。捕まえろ」
なんとも乱暴な言い分だった。
「おいおいおい、本気かよ」
ブロードは両手を上げたままゆっくりと後じさった。剣を持った手をブラッデンサ商会の荷馬車にぶつけた。ブロードは剣を落とした。それっとばかりに年若の領兵が地面に落ちたブロードの剣を奪い取った。ブロードは目を丸くし、降参と両手を上げた。
「なんだ、これだけの人数を殺しておいて抵抗しないのか」
年かさの領兵があきれたように言った。
「する理由がないからな。それに何度も言うが、俺はやっていない」
「ふん、どうだかな。連れていけ」
「彼らをこのままにはしておけない。うちの荷馬車に積ませてくれ」
ブロードは死んだ隊商たちに目をやった。
「華の月だぞ、正気か?大体、森で死んだ者は森に返すのが習わしだ」
領兵は手荒くブロードを縛り上げ、ブラッデンサ商会の荷馬車に放り込んだ。
※
荷馬車が森の獣道から街道に戻った気配に、ブロードは荷馬車の中、身を起こした。幌の隙間から外をのぞく。穀倉地帯であるヘンダーレ領の小麦畑が続く街道の向こうに、ラオスキー侯爵の屋敷に併設された詰所が見えた。ブロードは背中で縛られた手を数度回した。ふっと口の端に笑みを浮かべると、ブロードの手を縛っていた縄がはらりと落ちた。ブロードは赤い跡が滲む手首をさすった。音を立てないように馬車の中を移動する。
通常、他国との交易では各商会が自前の荷馬車を用意する。それを隊商に委託し、荷を仕入れてきてもらう。賊に襲われることもあるため、荷を運ぶ荷馬車には外見からは分からぬように〈離れ〉と呼ばれる隠し収納が作られている。床や天井が二重になっていたり、座席の下にあったりと各商会の知恵と金が詰まったものだ。ブラッデンサ商会の〈離れ〉は御者の座席下の二つの空間だ。手前の空間はあえて、簡単に壊せるように作られ、その奥が本当の隠し場所だった。
ブロードは御者台と荷台の境目の床板に手を当てた。
外では領兵たちが、ブロードが本物かどうかを噂している。
ブロードは小さく息をついた。〈離れ〉と床板の継ぎ目に当てた手に力を込めた。がたり、小さくはない音がして〈離れ〉と床板を隠す板が外れた。
「どういうことだ?」
〈離れ〉から取り出した木箱にブロードは眉を顰めた。木箱にはトルレタリアン商会の紋が刻印されていた。
ブラッデンサ商会の荷馬車の〈離れ〉にブラッデンサ商会依頼の荷を隠すなら分かるが、トルレタリアン商会の荷物を入れるのはありえないことだった。いくら同じ隊商が荷を運ぶからといって、別の商会の荷と混ぜて運ぶことはない。誰かが意図的に置いた。それしかありえなかった。ブロードは木箱の刻印を撫でた。刻印は深く沈んでおり、昨日今日、木箱を作ったようには思えなかった。何よりトルレタリアン商会の紋はどの商会や貴族の紋より精緻で職人泣かせと言われている。偽造したようには見えなかった。
ブロードは〈離れ〉に括りつけられた非常時用の短剣を手に取った。別の商会の荷を確認するのはご法度だ。これが正規の荷なら大変なことになるが、ブロードは躊躇わなかった。短剣で器用にトルレタリアン商会の箱釘を引き抜くと、荷馬車の振動に合わせ、上板を二枚外した。
「塩?」
出てきたのは岩塩だった。その下には岩塩が崩れないように藁が敷き詰められている。
岩塩は貴重だが、〈離れ〉に隠すほどのものでもない。ブロードは岩塩の端に剣を当て削った。口に含む。
「あるわけないか」
紛うことなき塩の味に、ブロードは岩塩を箱に戻し、ふと、手を止めた。箱の深さに対し、藁の量と岩塩の高さが足りない気がしたのだ。
まるで、〈離れ〉でもあるかのようだった。
「まさか」
ブロードは幾つかの岩塩を取り出し、緩衝材用の藁をめくった。なんの変哲もない底板だ。ブロードは底板をすっと撫でた。短剣を底板の隅に押し当て、ぐいっと動かす。底板が浮いた。ブロードは底板に見せかけた中板を慎重に外した。
出てきたのは、四方どこからでも取り出しやすいように配置された剣と弓矢と脛あてと籠手だった。
「なるほど、確かに死人が出るな」
通常の商売なら、剣なら剣だけ、武具なら武具だけでまとめて運ぶものだ。形が同じ物を一緒に扱う方が効率的だからだ。だがすぐにどこかを襲おうとしていたのなら、これ以上効率的な運び方もない。売るのか。襲うのか。これがラオスキー侯爵の元に運ばれるものだったのだとしたら……。ブロードの背筋に冷たいものが走った。
荷馬車の速度が遅くなった。幌の隙間からラオスキー侯爵の屋敷が見えた。ブロードは急いで上板を乗せると木箱を〈離れ〉に押し戻した。戸板を元にはめるが、最後の一か所だけがなかなかはまらない。人の気配が近づいてくる。ブロードは立ち上がった。縛られた状態に戻る時間はない。踵で最後の一隅を蹴り、強引に〈離れ〉を元の状態に戻すと、幌が開くと同時に地面に飛び下りた。
「お、お前!」
「ああ、窮屈だったんでな。悪いな」
ブロードは驚きに口を開けた領兵に向かって、縄を放った。
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