1-5 すれ違う カンチガイ

 青年は数秒固まった。我に返るとハルに柔らかく微笑んだ。

「これを私に譲ってくれないかい?」

「いらない、ます」

「どちらですか?」

 否定なのか肯定なのかよくわからない返事に青年は首を傾げた。

「私、それほしくないです」


 ハルは両手でリドゥナを抱きしめ後ずさる。ジャルジュを羽交い絞めにしたままのブロードに駆け寄り、ブロードの服の裾を引っ張った。


「この人泥棒いいます」

 ハルは青年を指さした。

「……泥棒」

「泥棒とは無礼な!」


 青年とブロードが呆気にとられ顔を見合わせれば、青年の護衛が剣に手をかけた。

 ブロードは慌ててジャルジュを羽交い絞めにしたまま、今度は護衛の男とハルの間に割って入った。


「こいつは外国から来たばっかで言葉がいまいちなんだから言い間違いくらい許してやってくれ」

「ブタ!私はちゃんと話せ……ます」

「ああ、そうだな、ちゃんと話せるな。俺の名前が呼べるようになったら認めてやるよ。で、ハル何のリドゥナだったんだ?」


 護衛が怒りを収め始めたところへ、さらなる燃料を投下したハルをブロードは投げやりにいなし、問題のリドゥナを覗き込んだ。

 そしてその文面に眉を顰めた。


「なんだ、これは? クニウリマス? 総史庁の文官もこの暑さで馬鹿になったのか。クニューを書き間違えるなんて」

 同時にリドゥナを覗きこんだジャルジュも険しい表情になった。


「クニュー?」


 ハルは首を傾げた。


「この国の珍獣だ。所有しているのは大抵大金持ちだ。それにしてもあんた、クニューが欲しかったのか?」


 ブロードは抵抗しなくなったジャルジュを解放し、青年を見た。


「いえ。ただ二枚あったほうが、土産話にも花が咲くかと思いまして」

 青年は笑った。

「そうかい」


 リドゥナをとった後どうするかは依頼主の自由だ。ブロードはぴらりと手を振ると、目下の懸案事項であるハルを見下ろした。


「くに、くにゅー、くにー、くにゅー、むむむむう」


 目を輝かせ何度も同じ言葉を繰り返しながら唸っていたハルは、ブロードを見上げ、取ったばかりのリドゥナを指さした。


「これなに?」


 オウソウダン ヨウメンダン。


「ああ、お前、わけありのリドゥナは初めてか?たいていのリドゥナは入札最低額と入札日と出品物だけだが、時々わけあり物件があるんだよ。オウソウダン。これは文字通り売主との価格交渉ってことだ。売主がどうしても高く売りたいときなんかに使う手だ」


 訳知り顔のブロードに、ハルはむむむ、と唸った。ハルはこれまでどれだけ安価な品物でも、セドでワケアリでない物件など見たことがなかった。


「ってことは、セドじゃないだろう思う」


 ハルの指摘は尤もだった。

 本来セドに、売主の意志など存在しない。どんなに愛着があろうと、セドにかけられるとなった時点で話し合いや交渉などとは無縁のものになる。リドゥナを手にした五人の財力での争奪戦だ。だが、世の中には越えられても越えないほうが安全な世界というものが存在するのもセドの厳然たる事実だった。


「そこは言ってやるな。身分と金持ちには逆らわないのが身のためってもんだ」

「ってことは、オウソウダンはえらい人のヒキョウナテなんだな」


 ハルは真面目くさって頷いた。


「卑怯って。せめてしたたかと言ってやれよ」

「ってことは、したたか違う。したたかは私。強い、けなげ、まじめ。ずるいは違う。ってことは……」


 さらに続けようとしたハルの口をブロードは節くれだった手で塞いだ。


「ってことは、ってことはうるさい。覚えたからって何にでもくっつけるな。説明してやるから少し黙れ」


 大きな手で鼻も塞がれたハルは目を丸くし、ブロードの手を叩いた。ブロードは「わりい」とハルの口から手を離した。


「ヨウメンダン。こっちはどっちかっていうと人間性を見るってことだ。出品物が生き物なんかの時に使われる。密猟者から保護したのに、買った人間が密猟者でしたじゃ洒落になんないだろう。一応国の主催する競売だからな」


「分かる、ます」


 ハルは自信満々に頷いた。懐から鑑札を出すと申し込み用紙でもあるリドゥナにハル・ヨッカーと名前を書き始めた。リドゥナに名前を書き、提出することでセドの参加者となれるのだ。

 ブロードはハルの肩を掴んだ。


「おい、クニューはやめとけ」

「ナニ、で?」

「クニューは買い手はつくだろうが、気に食わない人間はかみ殺すって猛獣だ。子供ならまだしも大人になってからのクニューなんて、売る奴にも買う奴にもろくなやつはいない。どっかの大金持ちが愛玩物として手にしてたのに身代潰しそうになって売るか、密猟者から保護したのを売るのか、どっちにしろ碌なもんじゃない。まだ死にたくないだろ」

「でも、飼っている人いる?」

「まあな。有名なのは国王だ。もっともあの暴君くらいじゃなきゃクニューなんて飼えないんだろうさ。だがな――」

「相談なら、価格交渉する。私、買える。それに、わたし、今日これひとつ」


 ハルは大きく頷き、両手でリドゥナを抱きしめた。ハル・ヨッカーを潰すためにブラッデンサ商会が総力をあげた結果、ハル・ヨッカーがとれたリドゥナは一枚だった。

 だからといって、クニューはない。

 ブロードは舌打ちを飲み込んだ。せめて屑リドゥナにしてももう少しましなリドゥナを一枚渡せないものか。ブロードはジャルジュに目をやった。


「後見なのでしょう。借金がないとやる気が起きないあなたにはちょうどいい案件でしょう」


 ジャルジュはにべもなかった。


「ダイジョブ。人間性は私……よい、悪いの間」

「なんだ? 普通っていいたいのか」


 ハルはむむむと唸った。


「ハナマル!」

「なんだ、ハナマルって。お前の国の言葉か」


 しばらくハルは考えこんだ。そして笑顔で胸を張った。


「ハナマルは良い子のしるし!」


 ブロードはもう一度ジャルジュの表情をうかがったものの、その表情の険しさに大きな大きなため息をついた。


「なんで俺、会頭なんてなったのかな?」

「それをあなたが言いますか」

 呆れたように言ったジャルジュに、青年がくすりと笑った。


         ※


 セド申し込みの終わりを報せる鐘が鳴りだし、ハルは慌ててペンをしまった。鐘が七つ鳴り終わるまでにリドゥナを出さなければ、参加の意思なしと見なされる。だが、鐘は二つ鳴ったところでぷつりと切れた。かわりに、滅多に使われることのない拡声器がジージーと鳴った。


『えー、えー。二四七番、二四七番のセド参加者の方、ただいまより売主との面談を行います。至急受付までお集まりください。繰り返します――』


 広場の隅のリドゥナの受付所には総史庁の第三席と近衛の甲冑を来た男がいた。総史庁の第三席はたまに見かけることがあるが、近衛がセドにやってくることはない。

 そもそも終わったセドに総史庁が介入するなど権力や不正を許さないセドにおいてあり得ないことだった。


「まさか」


 ブロードはジャルジュと顔を見合わせ、ハルからリドゥナをひったくった。

 ハルが返せ、と飛び跳ねる。


「クニウリマス、クニ、まさか、国だと?とうとう王もイカれたか」 


 ブロードは舌打ちとともに吐き捨てた。

 ジャルジュは王城を仰ぎ見た。何代も前の王が、王妃が城下を見られるようにと作った白亜のバルコニーが太陽の日を浴び白く光っている。


「ブロード様」

「なんだよジャルジュ、しけたツラして。別にお前のせいなんて思わないさ。久しぶりに面白くなりそうじゃないか。さすが、ハル・ヨッカー、持ってるな」


 ブロードは吹っ切れたようにからりと笑い、くしゃりとハルの頭をかき回した。

 ハルはブロードの腕を掴んだ。


「なんだ?」

「ブタ、私と行きます。セド」


 あまりに唐突な言葉に、ブロードは口を開けた。次いで意味を理解すると、大げさに肩をすくめた。


「いやいや、お前のセドだ。俺は関係ないだろ。後見はお前が何かしでかしたときに一緒に責任をとる者であって、一緒にセドをする必要は――」


 ハルは首を振った。


「ブタ、面白い、言います。私一緒させてあげ、ます」


 ブロードはじっとハルの顔を見た。ハルもまたブロードをじっと見た。

 そんな二人をジャルジュは冷静に見つめた。周囲が興味津々で二人の様子をうかがっている。有能なブラッデンサ商会統括は一瞬で決断した。


「……言いましたね」

 淡々と言った。

「いやいや、お前正気か? 俺にこいつの面倒みろって?こんな荷物抱えてセドなんて狂ってるだろ」


 内容こそ否定だが、ブロードの声は弾んでいた。借金がないと張り合いがないなどと嘯く男だ。国売りのセドも多少の刺激でしかないらしい。「さすが借金王」と誰かが言った。


「自分が取ったセドなら面白いとも聞こえますが」

「そりゃ、まあな。面白いことは大歓迎だ」

「これが一人で王と謁見し、怒りを買わずに無事帰って来られると?できると思いますか。あなたは後見なのでしょう」


 ジャルジュはじっとりとした目でブロードを見た。


「あああ、そっか俺、後見だわ。後見。こんなでかい案件でとちったら俺も連帯責任だな。引いてはブラッデンサ商会にも影響あるかもだしな。国売りのセドでこいつの後見って詰んでるなあ。終わってるなあ。でも後見だからこんなちんまいの見捨てたらだめだしなあ」


 ブロードはさも今気づいたと、手をたたいた。ジャルジュはため息とともに、首を振った。

 ブロードはジャルジュをのぞき込んだ。


「なんだよジャルジュ。行かせたいのか、行かせたくないのかどっちなんだよ。大体、厄介事の方が、金になる。セドの鉄則だろ。金のにおいに敏感なお前が何を躊躇う?さ、行くか、ハル」

「ありがとごじます、ブタ」


 ハルはお辞儀をした。ブロードの手を引き走り出す。遊びに行くかのような微笑ましい後ろ姿だ。


「そうだ、ジャルジュ」


 ハルに手を引っ張られながら、ブロードが振り返った。


「情報を、集めておきます」

「おう、頼んだ」


 ジャルジュの返事に、ブロードはにっと笑い、ハルの後を追った。

「さて、僕らも行こうか。王様に会えるなんていい土産話になりそうだ」


 青年はジャルジュに礼を言い、ブロードたちの後を追った。


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