異世界の街はなにやら治安がよくない

 農地を広げる許しって、牧場物語の二年目かよ……。


「なりません御屋形様。かように怪しいものどもに、土地を広げる許しを与えるなど」

 ロラク卿が、男にしてはヒステリックな口調でそう言う。


「よいではないか。どうせただ何もとれぬと放っておいた土地じゃ。そこで牛の乳が出るようになれば、民が潤うであろ」

「しかし」

「実際に、たなか農場のおかげで、農地で働く囚人の意識も高まったと聞く。よいであろ、この者らには、この国の農業の手本であってほしいのだ」

「農業など囚人の仕事です。御屋形様、イルミエト公、いえイルミナ姫のかかわることでは」

「その名で呼ぶなと何度申せばわかるのじゃ。私は姫の立場を捨てたのだぞ」

 イルミエト公は、怒った猫みたいな顔をした。それに気圧されて、ロラク卿は黙り込んだ。


「とにかく。たなか農場はこの国を変えうるものだ。これからも農業の手本となり、この国の産業を推し進め、ゆくゆくはイーソルに並ぶ大国家としたい」

「御屋形様。無謀です。農業で国が変わるなど聞いたこともありません」

「やってみねばわからぬだろう」

「あ、あの、恐れながら……」

「黙っておれ、下郎が」

「なんだ? 申してみよ、稔」


 ロラク卿に思いっきりけなされたが、イルミエト公が話を聞く体勢に入ったので、僕は本当に農地を広げてよいのか確認を取った。ロラク卿がそんな許しは出さないといったものの、イルミエト公がそれを否定し、山間部であればいくらでも広げよ、と笑顔で言った。


 よっしゃ。これで牧草不足から解放されるぞ。小さく心の中でガッツポーズする。そして、イルミエト公は、羽ペンでパピルスみたいな紙にさらさらとこの許可について書いた。それを僕に渡して、イルミエト公はにこりと笑った。


 ドキリとする笑顔だった。いや、笑顔で落ちるとか、普通逆だから。僕が笑ってこの世界の女の子が落ちるのがテンプレだから。

 農地を広げる許しを出した書状には、「これからもこのハバトの地の農業の手本であれ」と、一言書き添えられていた。こういうことをさらさらっと書けるのは、やはり生まれ持った才能というか素養とかそういうものなのだろうな、などと考える。


 頭を下げ、館を出た。早く父さんに伝えねば、と思いながら噴水の広場に向かったが、馬車はなかった。え、もしかして置いてけぼりにされたわけ、僕。そう思っていると、噴水の足元でチョソの実をかじっている浮浪者が話しかけてきた。

「あんた、たなか農場のひとだろ?」

「あ、は、はい……」

「なんかな、ことづてを頼まれて……なんだったかなあ。思い出せねえなあ」


 男はそう言ってチョソの実をばりばり噛んで飲み下した。やっぱこれ覚醒剤みたいに、摂取すると脳みそスカスカになるやつじゃないのか。だいたい父さんよ、なんでこんな浮浪者に頼んだ。それはともかく、男はひとしきりチョソの実をかじってから、


「そうだ思い出した。夕方客を送るときに、ここに来るって言ってたぜ」

 と、黄色と赤の、チョソの実から出たカスの張り付いた歯をみせてにたあと笑った。


 とにかくここで待つほかないようだ。しかしこの浮浪者の横で待っているのもなんとなく気持ち悪い。そうだ、噴水の観察をしよう。

 噴水は馬に乗った騎士の像の、馬の口から水が出ているというよくわからないものだ。

 噴水の池には金貨や銀貨が沈んでいる。どこでもひとの考えることは同じのようだ。広場にはハトに似た鳥がいて、地面をつんつくつんつくつついている。ハトにしてはえらくシンプルな、全身紺色で、色合いだけならカラスっぽい鳥だ。


 噴水のへりに腰かけて、ノイの街の様子を見る。騒がしい土地だ。人はせわしなく建物に入ったり出たりしていて、まるでアリの巣を思わせる。大道芸人がちらりほらりいて、ギテトとちょっと違う、流行歌、といった風情の恋愛の歌を歌っている。


 まあ、テンプレ的な異世界の都市だ。近くでなにか飲み物が売られている。一杯銀貨三枚。財布を開けてみると余裕で入っている。


 喉がカラカラだ。イルミエト公の前で緊張したのもある。その飲み物を買おうか考えて、店先ののぼり旗に「チョソジュース」とあるのを見てやめることにした。

 僕まで脳みそスカスカになったら、あの農場はどうなるんだ。いや、確かにちょっと、チョソの実の味は気になっているんだけれども。


 普通の女の子や普通の労働者が、当たり前みたいにそれを買って一気飲みしているのを見て、ここは結構な無法地帯なのだなと思う。デデラ草の煎じ薬がどこにでも生えているせいで取り締まれないのは理解できるが、チョソの実を取り締まれないのはなぜだろう。脳みそスカスカになるという認識がないのだろうか。


「ぴーぽす」

 唐突にすぐ横の浮浪者が叫んだ。いや、それゲームだ。スマホの名作ゲームだ。ここは終末世界ではない、いっそ発展途上世界だ。


「ぴ、ぴーぽす?」

「ぴーぽす!」


 叫んでいきなりストリップを始めた浮浪者を、みなぎょっとした顔で見ている。仲間だと思われたくないのでぐるりと噴水の反対側に回る。


「ぴーぽす!」

 さすがに見ていられないので、そこにあった交番に駆け込む。


「あのっ。なんか浮浪者のひとがストリップを始めました」

「え? そんなの日常茶飯事だよ。どうせチョソの実が切れて正気に戻ったら服着るんだしさ。ほっとこうよそんなの」


 またしても「インドかよッ」事案だ。いやインドでも公然わいせつ罪はあるだろうけれど。

 しょげながら交番を出ると、男は服を着ながらがくがく震えていた。やっぱりこれ覚醒剤みたいなもんじゃないの。


 そろそろ太陽は真上。お昼である。お腹が空いてしまった。食堂はないかなと探すが、どうやらノイでは食事を家族と別に一人で食べるという文化がないらしく、食堂っぽい店はないわけではないがどこも家族連れでぎゅうぎゅうだ。


 んーと。

 ぼっち飯。それしかあるまい。勇気を出して食堂に入ると、かわいい女の子が注文を取りに来た。メニューはルサルカと野菜の漬物のセット一択である。しょんぼりしながらそれを注文し、前金制らしいので銀貨四枚と銅貨二枚を支払う。


 意外とぼっち飯を不気味がる人はいないのであった。杞憂、というやつである。

 出てきたルサルカはこれまたいっさい食欲をそそらない、みるからにおいしくない感じだ。野菜の漬物も、キャベツとニンジンの二種類だがなんとなくくすんだ色で、おっかなびっくり手を伸ばす。


 ばりっ。漬物はとんでもなく硬い。歯が欠けるかと思った。キャベツの漬物って、もっとこう、ふわっとしてるもんなんじゃないの。しかもしょっぱい。ただの塩漬けじゃないか。


 ルサルカを口に運ぶ。これまたおいしくない。

 一人おいしくない顔でそれらをつっつき、とりあえずお腹はいっぱいになった。

 食堂を出る。なにやら人ごみができてガヤガヤ言っている。


 ――ノイスポの号外が出ていた。ノイスポはゲスニック来襲の一件以来、たなか農場のことをよく記事にしてくれて、おかげ様で広告効果は抜群である。ノイ曙光新聞は、格調高くて有名だが、一般庶民はノイスポのいささか下世話な記事のほうが好きらしい。


「号外だよっ号外だよっ。レオ帝陛下が、イルミエト公の献上物を、大喜びで食べたとさっ」


 献上物というとイチゴとカッテージチーズか。この世界の広い範囲を治めるというレオ帝でも、あの程度のものを喜んで食べるほど、この世界の食糧事情はよろしくないらしい。


 号外を一枚もらう。当然技術がないので写真などはない。レオ帝の横顔が描かれているが、中世ヨーロッパの絵みたいな気味の悪い絵だ。悪魔の肖像画みたいだ。


 そうやっていると、ノイの城門の向こうから二頭立ての馬車がやってくるのが見えた。父さんだ。

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