第3話


 窓から見える大阪の街が暗闇に包まれ始めた。目の前を堂島の川が流れ、ネオンが水面に揺らめいている。

それはまるでゴッホの描いた星月夜の様に見えた。

「教えてくれ。それでその御子神と言う男、いまは何をしているのだ?」

青い液体を口に含むと佐古部は、目を細めて面倒くさそうに言った。

「どこかに高跳びしましたよ」

「高跳び?」

 田中は驚いた口調で言った。

おいおいと言う風に佐古部の顔に向かって目を寄せた。

「一体どういうことだい?高跳びなんて。それじゃ全く佐伯君の事が分からないじゃないか?それに高跳びって・・何か犯罪でもしでかしたのかね?」

 すごくまずそうな顔をして佐古部が田中を見る。

「まぁこうです。神戸で別れた翌週の金曜日、また彼から電話がありました。土曜日に僕のマンションで会わないかと。そして例の話の続きをしたいとね」

「で、行ったのだな?」

 佐古部が頷く。

「僕はもう既にその時には興味は無かったのですが、できれば彼の秘密の深部を覗いて断ろうと決めていましたから、彼に返事をして土曜日の午前十時ごろ彼の所に行きました。ドアを叩くと、彼は出てこず、マンションの中では何かを探すような音がドアの向こうから聞こえていました。それでもう一度呼び鈴を鳴らすと彼が出てきました。彼の顔は凄く困っていました。しかし僕の顔を見るや少し笑うと『いいところに来てくれた』と言ったのです」

 ぷかりと煙草の煙で輪を作ると、小さく息で拭いた。煙の輪が音も無く消えると、空になった煙草のケースを手でクシャリと音を立てて潰した。

「僕は彼に言ったのです。何か困っているようだね?と。彼は僕を急ぎ部屋に入れると僕に言ったのですよ。『昨日集金した下請け業者の三百万の小切手の入った革製の青いバッグを無くしてしまった』と」

「彼に聞くと非常に間抜けな内容でね。本来ならば集金した現金、小切手があれば必ず直帰などせず社に戻るのがルールなのですが下請け業者から出て社に戻るまで少し時間があるので日曜大工用品店に寄ってしまい、結果として社の帰社時間に間に合わなかったらしいのです。それもその店に寄ったのは、その夜に女と遊ぶためのロープを買うために寄ったと言うことらしいです。彼の様にそこそこ仕事ができる男でも欲望の愉楽の為にルールを外して、こんな失敗をするなんて。結局僕が来る明け方まで激しく楽しんだのですが、その最中に失くしたようです」

「何と言う間抜けな話だ・・」

 田中は口を開けて、首を振った。

「それで小切手が見つからず・・か」

「そうですね」

佐古部がグラスを振りながら話を続ける。

「まぁ一応、彼に何か思い出してごらんよ、と言いました。彼の話だと『会社から帰ると既に女がドア前に留めてあるロードバイクの中のサドルバッグから鍵を出して部屋に入っていて、それからはマンションを出ることは無かった。そして翌朝、女が帰るので近くの駅に送りに行くのに一時間程マンションを離れた。それだけだ。誰も不審者なんか部屋に入っていなかったし、盗難にもあっていない』と僕に言ったのです」

「それだけか・・」

「そうですね。一応彼に女が小切手を持ち出していないか確認したのですが、女は一晩中裸で居て最後に服を着る姿をワインを飲みながら見ていたので全然そんな形跡は無かったそうです」

「何と言う破廉恥な生活なのだ、その御子神という男は」

 眼鏡を曇らせて田中が言う。

 怒っているようだと佐古部は感じた。

「僕はそれでじゃもう一度部屋を探してごらんよと言って部屋の外に出たのです。そして煙草を吹かしながらマンションの外を眺めていました。彼のマンションは5階で目の前は救急病院があります。あとは遠くに大きなタワーマンションが見えます。どこにもあるような都会の平凡な一つの街です」

 佐古部は目を閉じた。

 眉間に皺を寄せて田中がその顔を見ると、目がぱっと突然開いた。

「な、何だ。佐古部君」

「考えるべきだ、そう僕は思ったのです」

 天井を見ながら言葉を吐き出してゆく。

「そう、僕も会社の金が無くなるのは嫌ですからね。彼はドア向こうで音を立てて必死に小切手を探している。僕はロードバイクを見ました。そこにサドルバッグがありました。そこを開くと確かに鍵があります。横並びのマンションを見ましたが、静かで誰も出てきません。田中さん、普通の生活のリズムの中で中々こうしたシンプルな場所に隠されているものほど見つけにくいものです。返って手の込んだ箪笥の奥の財布とか絵の裏に隠したへそくりなんて言うものの方がはるかに見つかりやすいものでしょう。誰もがそんなところに置いていたら危ないだろうと思いう場所ほど安全なのです」

「そうかい?」

田中が笑う。

「あまりに勝手すぎるだろう」

 ビールを飲み干して言った。

「あなたの例の健康に悪いDVD。モネの立派な絵の見事な額の裏に隠してあるのはどうかと思いますがね?」

田中が紅潮して言った。

「君!どうしてそれを」

「あんな崇高な作品の裏に邪なるものを隠す。それが人間の本性でしょうね。まぁそんなことは今どうでもいいでしょう。どうしてそれを見つけたかは秘密です。知りたければこの話の後に言いますよ。それよりも話を続けます」

 佐古部が真面目に言った。

「まぁ彼がそこまで考えて部屋の鍵をここに隠しておいたかどうかはわかりませんが。とりあえず僕は結論として『誰かが忍び込んだ』と、結論づけたのです。そうすると考えはシンプルで、ではどうしてこの場所がわかって彼が不在の一時間と言うというジャストタイミングで忍び込めたかと」

 もじもじするように田中が背を丸めている。

ふふとその姿を見て佐古部が笑う。

「で、どうなのさ。その結論にあう答えを見つけたのかい?」

「ええ」

佐古部が言った。

目を丸くして田中が言う。

「どう、やって?」

「簡単ですよ。つまりは知っていたのです。彼のバッグを結んだ人物はこの場所に鍵が隠してあると言うことをね」

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